林田紀音夫全句集拾読 123
野口 裕
まなうらに柩の暗さ足出て寝る
昭和四十三年、未発表句。奇妙な句。「足出して」ではないところも、奇妙さを倍加させる。紀音夫に時折ある、意識せざる諧謔だろうか。
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鉄骨の空昏れてなお人体吊る
昭和四十四年、未発表句。昭和三十七年「海程」発表句に、「騎馬の青年帯電して夕空を負う」(第二句集収録)がある。これは、同年「海程」発表句の、「虹をかけた避雷針上の虚飾に耐える」や、同年未発表句の、「避雷針以上は許されない地下足袋」から見て、建設途上のビルに立つ鳶職の青年を思わせる。上掲句中の「なお」は、そうした句との関連をも想起させる。
都市の真っ直中で、紀音夫の視線はしばしば上を向く。向いた先に山はない。勢い、雲や飛行機、夜であれば星や月などが句材となる。建造物も、そうした中のひとつである。阪神大震災に取材した、「鉄筋の棘忽然と激震地」(平成八年、「花曜」発表句)もその延長線上にある。
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浴槽に泛いて太古の雨を聞く
昭和四十四年、未発表句。紀音夫には珍しい発想。浴槽で聞く雨音のリズムから、生命の起源でも想像しているところだろうか。こうした発想は、十全に展開し得なかった。この時期の作品発表媒体は「海程」のみ。巻末の福田基氏の解説によると、同人の発表が三句に限定されていたようだ。福田氏は、
彼の多作から推して、作品の捌け口のない苛立ちもあったであろうが、三句ゆえ厳選し出句できたに違いない。だが振り返って言えることは、その厳選のため、掘のいう芸としてのペシミズムのみのレトリックが顕著になり大衆に受けなかったのは確かである。としている(文中の堀は、掘葦男)。「甚平や一誌持たねば仰がれず」(草間時彦)ではないが、仰ぐ仰がれるの対人関係とは別に、十分な誌面を持たない俳句作家の悩みというものがこの時期存在していたのだろう。
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