2010-08-22

俳句甲子園レポート2010 決勝編 江渡華子

俳句甲子園レポート2010
決勝編

江渡華子



敗者復活戦から決勝戦にあがる確率はどの程度なのだろうか。
首里高校は前日にも増して、より勢いを身に着けていた。
そして、涼しい屋内で熱い戦いが始まった。

決勝戦

【先鋒戦】
開成A  白亜紀の骨吊られをり夜の秋
首里   灼け砂を鳴かせて白き全反射

結果は開成Aチームの勝利。

首里高校からしてみれば、自分のチームの句に対して開成Aチームから出た「鳴き砂の説明でしかない」という指摘にうまく対応できなかったのが、敗因であろう。ただし、開成Aチームも首里高校から「博物館が夜開いているのか」と質問が出たのに対し、誰の目線から詠まれた句なのか、回答できていなかったことが気になった。

【次鋒戦】
開成A 面白き形ただよふ海月かな
首里  空白を埋めに埋めたる夏休み

結果は首里高校の勝利。

「空白が何を指しているか」という開成Aからの問いに首里から「宿題やスケジュール、進路など」と複数の回答があったことに対し、再び開成Aから「焦点がぶれているのではないか」と指摘があったが、「すべてを含んで夏休みなんです」という首里の赤嶺さんの回答は、夏休みの必然性や空白の広がりを見せており、今大会のディベートの中で一番印象的な発言だった。質問に対し、的確且つ面白い回答をすることが、一番のアピールになる。開成Aチームが、一瞬沈黙したことがその発言の威力を物語っていた。

【中堅戦】
開成A 西日中白の連なる団地かな
首里  白昼の西瓜の紋の波を打つ

結果は開成Aチームの勝利。

小澤實審査員が、「一物仕立ての俳句を詠むときは、季語にどれほどの情報が含まれているか事前に確認する必要がある。西瓜の模様が波をうっているようなものであることは、西瓜という季語に含まれている」とおっしゃっていた。17音という短さの中で、言葉を重複させてしまうのはもったいない。

【副将戦】
開成A 陶枕の全き白に小さき罅
首里  白熱のロックのギターの弦灼くる

結果は開成Aチームの勝利。ここで、開成Aチームの優勝が確定した。

陶枕を見たことないので鑑賞しかねると言う首里高校に対し、開成Aチームの三村君が「そうおっしゃるなら見せましょう」と白い陶枕を取り出し、会場を沸かせた。しかし、「この会場に陶枕を使用したことのある高校生がいるでしょうか」との首里高校の問いに、会場に拍手がおこった。きっと、会場にいるほとんどの人が、陶枕を見たことがなかったのではないだろうか。それに対し、「けれどこうして実際大事に使用しているものを詠んだのだから、それを言われるとどうしようもない」と三村君が答え、さらに会場から拍手が起こった。

黒田杏子審査員長が開成Aチームの句に創作点満点である10点をいれ、絶賛された。それに対し、高柳克弘審査員が創作点を5点にしていた。「開成高校がこのような題材を選ぶことは、決して悪いことではない。むしろ個性として評価される部分であるが、きちんと詠みこむことができていないため、5点という辛めの点数をつけた」とのことだった。

開成高校はよく、「高校生らしくない」「若者らしくない」という評価を受けやすい。それは選ぶ題材やどのように詠むかという方法に対する評価だろう。しかし、そこを否定をすることはないのだ。それはひいては人間性を否定することにもなるのだから。選んだ題材をきちんと詠めることが大切なのである。高柳審査員の発言は、少なくとも公的な場では、開成が今までに受けたことのないものだったのではないだろうか。私は、新鮮かつ的確だと感じた。若手の先頭を走っている高柳審査員がおっしゃったというところも嬉しく感じた。

開成Aチームの小野君が、試合後にコメントを求められ、昨年度の審査委員長である金子兜太氏に言われた「表現欲求について、松山中央高校と開成高校は月とすっぽんだ」という言葉に、大変衝撃を受け、一年間必死に練習をしてきたと言っていた。

高校生はとても素直だ。言われたことに落ち込み、喜び、考える。時には反発するだろう。

山西雅子審査員が、「人に何と言われようと自分の言葉を大切にする気持ちと、人に言われたことを大切にする気持ちを、両方とも持っていてほしい」とおっしゃっていた。それは、どの分野でも人が伸びる最善の方法なのではないだろうか。高校時代にその重大さに気付くことはあまりないかもしれないが、その大切さを知ることで、より成長できる。

山西審査員の言葉こそ、大切にしてほしい言葉だ。

去年金子兜太氏が審査員長として参加されたことが、大会に与えた影響は大きかったように感じる。上手い俳句ではなく、魂の叫びを俳句にするのだという金子兜太氏の考えと松山中央高校の句が合った大会だった。

しかしながら、今年は技術の高い句が評価されていたように感じる。高校生は素直だ。言われたことに素直に影響される。去年の金子兜太氏の主張が今年はあまり会場内で感じられなかったことは、去年今年と参加している高校生にちょっとした混乱を与えるのではないだろうか。結社の主宰は、選句で主張をする。それは俳句甲子園の審査員も同じで、それぞれが持っている評価軸を選句によって表現している。それが年によって前年と大幅にずれると、俳句甲子園としての方向性が少々見えづらくなるのではないだろうか。

昨年度松山中央が行っていた「この鑑賞でよろしいでしょうか」というディベート方法が今年はあまり目につかなかった。俳句甲子園の新たな可能性を見出すかもしれなかっただけに、少々残念ではあるが、どのような方法をとるかは高校生の自由なので、そこは俳句甲子園運営側が手を出せない部分だろう。しかし、審査員を選ぶことは俳句甲子園運営側が行うことなので、どういう意図で行っているのか、今後もう少し見えてくれば嬉しい。誰を審査員にするかは、主宰が選句をした際の主張と同様に、俳句甲子園運営側が俳句甲子園からどんな俳句を生み出したいと思っているか、という主張だと思っている。

正木ゆう子審査員が、最後に「俳句甲子園は、ここに俳句の魅力の全てがありそうな濃厚さがあったが、俳句にはそれを上回る器がある」とおっしゃっていた。

現在の若手には、俳句甲子園経験者が本当に多い。楽しかった俳句甲子園を上回る俳句自身の魅力に取りつかれている部分もあるのだろう。

物事が終わった後で、冷静に見えてくることはよくある。俳句甲子園も終わってから、あそこであれをこうすればよかった等と思うことがたくさんあるだろう。そんな中で、人に何を言われても大切にしたい何かを持つことと、人に言われたことを大切にする気持ちをもつことができれば、その見えたことを未来に活用することができる。

今年の俳句甲子園も、たくさんの言葉のお土産ができたこと、大変ありがたく思う。

参照→第13回俳句甲子園決勝詳細

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