2010-09-12

週刊俳句時評 第9回 傘と樹と

週刊俳句時評第9回 
傘と樹と

山口優夢


九月に入って、俳句シーンを活性化させる可能性を秘めた媒体が創刊されたという知らせが二つも入ってきた。一つは紙媒体の同人誌、もう一つはネット媒体のブログである。しかも、両方ともに比較的若い世代を中心としたものであり、奇しくも、どちらの媒体もその中心人物は二人である。

紙媒体の同人誌を創刊したのは、藤田哲史、越智友亮の二人。彼らが作ったのは、先週の週刊俳句で創刊前夜祭を行なった、「傘」である。これは、俳句作品の発表ではなく、評論を中心として、毎号特集を組むというスタイルで刊行されるとのこと。創刊号は「佐藤文香特集」で、主なコンテンツは、彼女の新作八句、ロングインタビュー、藤田、越智による佐藤文香論、佐藤とgucaというユニットを組む太田ユリのエッセイ、となっている。

このご時世、資金が要らない、簡便にしかも強力に情報を浸透させる力のある、そんな、インターネットという媒体を選ぶのではなく、「あえて」、印刷代のかかる、限られた部数しか作ることのできない、そんな、紙媒体を選ぶという戦略は、なかなか興味深い。彼らは、なぜ「あえて」紙媒体を選ぶのか。巻末の「「傘」創刊について」という文章の中には次のような一節がある。

「この作品はいい」という読み手が発するメッセージ。そしてそれを≪効率よく≫ではなく、≪確かに≫伝えたい。そういう気持ちをつきつめた結果、雑誌という形態に拘らざるをえなかった。

メッセージの伝わる「効率性」がネットの方が高く、伝わる「確かさ」が紙媒体の方が高いのかどうか、そもそも「効率性」と「確かさ」はどちらか選びとらなければならないものなのか、と言う点について疑問はあるものの、言わんとするところは分からなくもない。

手間をかけずにメッセージを伝えることができる状況があるからこそ、あえて、わざわざ手間をかけて形にした、というそのこと自体に価値が生れる。そこまでして伝えたいことがあるのならば、ある一定のレベル以上の文章が書かれているのだろうと読者は想定するため、結果的にこの同人誌は比較的多くの人にきちんと読まれることになるだろう。

ただし、実際に、ネットよりも紙媒体の方がレベルの高い文章が多い、などということを僕は言いたいのではない。ネットという簡便な方法を捨て、紙媒体という敷居の高いものをあえて選択することの中には、「俺たちは本気だぞ」というメッセージを込めることができる、ということを言っているのだ。それは姿勢の問題であって、実際の文章のレベルの問題とは基本的に関係が無い。ただ、総合誌などに文章を書く機会の相対的に少ない若者が、俳壇の中で自らの考えを表明するためのゲリラ的戦法として、僕はこの「あえての紙媒体」という方法を買っている、ということである。

そして問題は、その中身である。

ここでは、特に「リセット・ア・ダイアル」と題された、藤田哲史による佐藤文香論に焦点を当ててみたいと思う。この「傘」におさめられた佐藤文香関係のコンテンツの中で、この文章が、最も佐藤文香という作家の本質に迫ろうという意欲に溢れているからだ。しかし、完全に佐藤文香の本質を捉えた評論なのか、と言うと、僕としては首肯し難い部分もある。

藤田は、世評に高い佐藤の第一句集『海藻標本』を読んだ際に「違和感」を覚えたと語り、「果たして『海藻標本』は本当の佐藤文香を示してくれた作品だったのだろうか?」と、まず問題提起している。しかし、その問題提起は、やや非明示的に、『海藻標本』において佐藤文香が本領を発揮しなかったのではなく、「『海藻標本』において佐藤文香の本領は評価されないままだったのだ」という問題意識にスライドし、その原因を池田澄子の序文に求めている。

藤田は、「池田は序文において佐藤文香その人への印象、亡師(三橋敏雄)からの教えなどを挙げつつも、いっこうに作品について深く鑑賞することはなかった。」と糾弾し、池田の序文が最終的に「さびしさ、という強い味方、そこから得たものが佐藤文香の俳句を香らせる、と私はここで言い切る。」と、佐藤の俳句を「さびしさ」という言葉で捉えたことに対して「著者によるあとがきには、言葉への興味だけが簡潔に述べられているばかりで「さびしさ」の片鱗もない」と批判的である。

そして、藤田は、そのような池田批判を繰り広げたのちに、「序文で真に書かれなければならなかった『海藻標本』の技巧の裏にある新しさとは一体何か」と改めて問題設定を行ない、それに答える形で、自説を展開する。

藤田の佐藤に対する見方が当を得ているかどうかを検討する前に、藤田のこの論の展開の仕方について、少し苦言を呈しておきたい。それは、池田批判を行なうならば、もっときちんと批判をしなければならないのではなかったか、ということだ。

いっこうに作品について深く鑑賞することはなかった」と藤田は書いているが、そもそも序文とは鑑賞を主目的にしているわけではない。序文は、「この作者の俳句は読むに足るものだから、読んでくださいね」という(主として「俳壇」宛ての)メッセージを基本的には持つものだというふうに僕は理解している。佐藤文香の印象を「自分が思わないことはできない不器用な人間」というふうに、ある種の魅力を持つ少女として描き、「結社に属していないではないか」という想定され得る佐藤への批判に対して先回りして手を打つために「自己啓発あるのみ」という師の教えを持ってくる。これらの作業により、池田の序文には、俳壇というものへ佐藤をきちんと売りだそうとしている意図が見える。そういう意味ではこの序文はきちんと序文としてなすべきことをなしているのだ。序文に深い鑑賞がないから句集の本領が評価されていないのだ、などとは、お門違いもいいところではなかろうか。

ただし、池田がどのように序文を書くか、と考えたとき、いくつかのパターンがあったはずで、その中で句を読みこんで深く鑑賞を行なうという回路を取らなかった、ということには、確かに意味があるかもしれない。池田は『海藻標本』序文において「焦点の絞り方が垢抜けていて明快」「付き過ぎず離れ過ぎず」など、抽象的で紋切り型の鑑賞に終始しているところがあって、そのあたりの歯がゆさは気にならないわけではない。もちろん、紙幅の限界がある中でなるべく多くの句を紹介したい、などの現実的な制約があったことは想像に難くないが。

そして藤田の論の展開のうち、最も杜撰だと思われるのは、池田の言う「さびしさ」に対してほとんど何の本質的な言及もないことだ。池田が佐藤の作品に触れて掴みだした「さびしさ」という評語を退けて、自分の論を展開するのであれば、そもそも佐藤の句には「さびしさ」は感じられないということを具体的な例を用いて示すべきだ。あるいは、「さびしさ」を感じさせる句はあるものの、それ自体は本質的なものではなく、池田は佐藤の本質を見誤っているのではないか、ということを論理的に指摘すべきだ。その指摘がほとんどなく、池田とは違って自分はこういう論を展開しました、というだけでは、そもそも最初に池田の序文を批判した意味がない。意地悪を言えば、『海藻標本』において池田の言う「さびしさ」と藤田の指摘する佐藤の俳句の新しさとが本当に両立し得ないものなのか、この文章のどこにもそれは書かれていないのだ(そして、実はこの二つは同じカードの裏表なのではないか、と僕は考えている)。

池田の言う「さびしさ」が何を意味するのか。やや脇道に逸れるが、ここからは僕の考えを書いてみよう。池田は、「さびしさ」という評語を出す際、その段落の冒頭でこう語っている。

最後の「褐」を読んで思った。文香は大人になりながら、生きることの怖さや哀しさを知ることで言葉をこそ頼りとし、言葉に向き合うことで一層、人であることのさびしさの極みも知っただろう。

この続きとして、「さびしさ、という強い味方、」で始まる文に接続するのである。佐藤の『海藻標本』は「緑」「紅」「褐」の三章に分かれており、池田の言う「さびしさ」とは、「褐」を読んだ感想の中に登場する言葉である、ということは注意すべきだろう。そのさびしさとは、「生きることの怖さや哀しさ」といった現実の世界から、言葉の世界へ入り、「言葉に向き合うことで」むしろ強化された、「人であること」の根源的なさびしさだ、と池田は語っている。

これまでにも指摘されたことがあったが、「褐」の章には明らかに現在彼女が生きている場所とは交わらない遠い時空を描いたものが多く見られる。

催馬楽に岸現れて桜かな
邂逅や鞍馬いちにち火に濡れて

初夢に見る上代の魚市場

湖の底の祭を掬ひに行く
後朝を扇の鳥は羽搏かず

七月の防空壕にさいころが

彼女の言葉は現実から離れて、独自の時空間を形成する。過去の様々な瞬間を言葉は立ち上げてくる。そして、様々な時空に出れば出るほど、彼女の言葉は神々しく美しくなり、それに引き比べて一句の光景は、みるみる儚くなってゆく。どの時空にも出られるということは、どの時空にも存在していないということだ。

催馬楽に表れる岸も、いちにち火に濡れる鞍馬も、美しく儚い存在となる。これらはすでに現実では失われてしまっているものだ。だからこそ、この句に流れている時間のなかでは存在していても、いつか失われることがすでに予見されているものとして、そしてそれゆえに美しい存在として、登場しているかに見える。七月の防空壕という、どう考えても無粋なものでさえ、そのような美しさを持っているのだ。「さいころ」の象徴性が、戦争に対する、ひいては人生の定めなさに対する感慨としてもらされているから、この防空壕は土臭さよりも、七月の抜けるような青空を遠く眺めてしまうことになる。

池田は、佐藤の句から、失われてしまう存在の儚さのようなものを見ているのではないか。そして、他の比較的現実に近いものを描いている句にも、その儚さが波及しているように感じているのではないだろうか。僕は、池田の言う「さびしさ」をそのように理解している。

ただし、作者である佐藤自身が、そのようなさびしさにどれだけ自覚的に作っているか、それは池田にも測りかねるところがあったのだろう。その戸惑いが、序文の最後につけられた、「と、私は言い切る。」という、逆説的に言いきることができていない表現に表れているのではないか。

このような、やや煮え切らない池田の序文の文体にも明らかなように、池田は佐藤の俳句の本質を、客観的な言葉で皆が納得できるように指摘できているわけではない。その代わり、彼女は彼女の感性で主観的に佐藤の俳句を「さびしさ」と捉えているのである。そして、さびしいと感じるのはあくまで池田の感性であり、必ずしもそれが佐藤をはじめとするこの世代の気分を的確に表しているものかどうかということに関しては、疑問が残る。そういう意味で池田の序文がミスリーディングである、という指摘なのであれば、僕としても納得いかないわけではないのだが。

上で見てきたように佐藤の句がいくつ時代を越えようとも儚さというものを引きだしてしまうということ、それを客観的な言葉で指摘するならば、藤田の言う「いつしか「質量」と言葉が切り離された結果」なのではないか。藤田の論そのものに深入りして見てしまうと、この「傘」を読む楽しみを減らしてしまうので、あえてあまり詳しくは書かないが、ここで指摘されていることは、確かに佐藤の本質の一面を捉えられていると思う。必ずしも佐藤の作品が、彼の指摘の中に全ておさまってしまうものであるとは思わないが、それにしても彼女の句におけるリアリティーが従来の客観写生とは全く異なる位相で実現されているということは確かであろう。

そして、三橋敏雄の戦火想望俳句のようには現実感を着地点にしていない言葉の組み上げ方にこそ、池田は「さびしさ」を見出していたのではないか、と僕には思える(もちろん、言い切れはしない)。

問題は、佐藤自身が、これらの句をさびしさを感じながら出してきているのではなく、さびしいものであるということは前提として、一種の諦念を込めて、その上でそれらを賞翫しているように感じられるところではないか。本当に彼女が新しいのは、実にそういう態度なのではないかと僕は思う。

佐藤の使いこなす流麗な言葉の使い方は、しかし、なぜ同様に流麗に見える髙柳の句とは全く違う印象を与えるのか。髙柳は、世界の大きさに対峙している自分を含めた生き物たちの小ささ、儚さを詠嘆することに自覚的であり、そういう意味では伝統的な感性を現代に移植している作家であるのに対し、『海藻標本』における佐藤は、そういった伝統的な感性からは一歩ひいて、ひたすら美しい言葉の連なりを求めるところに俳句を立ち上げているのではないか。

長恨歌のちに冷たき手となりぬ

たとえば佐藤のこの句では、言葉はひたすら美しさを組み上げることに奉仕しており、組み上がったその言葉は、美しさの果てにさびしさを垣間見せている。さびしさは、美しさの中に内包されているのだ。なぜこの句を美しいと感じるのか。作者の意識が、この唐代を揺るがすロマンチックな悲恋に全くと言っていいほど浸っておらず、冷めているから、ではないか。そこでは、さびしさは内包されているものではあっても、目指されているものではない。

そして、さらに重要なことは、このような美しさというのは、『海藻標本』を根底で支える価値観ではあっても、佐藤自身を究極的に規定するものではない、という点である。

ジャスコ特設水着売場に口説かれて
犬連れて地下鉄に近頃遭わぬ

星のうち流れる種族を君は待つ

これら、『海藻標本』ののちに「里」誌において発表された句は、明らかに美しさとは別種のものを志向している。しかし、基本的な態度として、言葉で世界を組み上げることに対して自覚的であること、は変わりがない。それは「ジャスコ特設水着売場」というおよそ詩語に程遠いものを取り入れたり、「地下鉄に近頃遭わぬ」という奇妙な言い方を選択していたり、「星のうち」の「流れる種族」と、流れ星を新たな角度で規定してみたり、という点に特徴的に表れている。そう、確かに、そこでは言葉は質量と結び付くことを目指して配置されているのではなく、もっと直接的に彼女自身を志向するために奉仕しているのだ。

そして、今月の『俳句界』で発表された佐藤の俳句は、もっと先鋭的に、彼女の中の混乱したカオスを表現するために言葉を組み上げている。

塩素の水へ光は夏の意味で、まだ

藤田の指摘は決して十全なものではない。質量を手放しているのは本当に佐藤だけなのか、質量を手放していない句も佐藤の中にはあるのではないか、など、吟味することはいろいろ残されているとは思うが、まずは刺激的で今後の議論につながる論だった、というふうに僕は考えている。それだけに、池田の序文に対するアプローチは、もっと練られなければならなかったのではないか、という点は残念ではあったが。

×××

さて、もうひとつの新たな媒体は、ネット上に立ち上げられたブログ、『俳句樹』である。発行人は、豈の中村安伸と海程の宮崎斗士の二人。これは今年の7月に終刊した『豈weekly』の後継誌という位置づけになるらしい。今度は週刊ではなく、月に二回、隔週でのアップということになる。

先日創刊準備号が出たばかりなので、具体的にどのような記事がそこにアップされることになるか、まだ分からない。今は、創刊準備号に筑紫磐井が書いているように、このブログが「豈」と「海程」、二誌の若手を中心に立ち上げられたと言う、そのこと自体に注目が集まっている段階である。

昔の経緯を知る同人は減ったものの、高柳重信を知る同人の多い「豈」と兜太氏の主宰する「海程」の協力はある意味で歴史的な事件と言わねばならないであろう。ジャーナリスティックには前衛俳句という呼称で括られたものの、お互いの意識は根本的にかなり異なっていた。(「「俳句樹」の発足に当たって考えたこと」筑紫磐井)

そういう俳句をめぐる歴史は、僕のような若さだと実際身にしみて感じることは難しい。僕が思うのは、このような二誌の協力関係は、ある意味では現代的な事態なのかもしれない、ということだ。結社や同人誌同士の垣根を超える、ということ。しかも、互いに反目し合っていたようなグループ同士が、世代交代によって互いに対する負の感情のポテンシャルが自然に低くなり、手を結ぶような垣根の超え方。たとえが陳腐で申し訳ないが、坂本竜馬が間に立って薩長の手を結ばせたのとはだいぶ異なる。

磐井が言うような、根本的にかなり異なっていた「お互いの意識」自体が、時代とともに意義を失い、人びとの意識の中から消滅して、この協力関係を作り出したのだとしたら、ぜひとも、そのあたりの「豈」内、「海程」内の意識の移り変わりの変遷などを自己言及的に語る記事などを「俳句樹」では読んでみたいものだと思う。

そのような「豈」と「海程」の二誌の協力という流れとともに見過ごせないのは、これが前述の通り、「豈weekly」の後継誌であるということだ。近年の俳句批評に対してある一定以上の存在感を持っていた豈weeklyが、豈という一つの同人誌に拠っていたのに対して、海程がもう一つの母体になることによって、この「俳句樹」がどのような広がりを見せるのか。今後も注目していきたいと思う。

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