2010-10-03

【週俳9月の俳句を読む】月野ぽぽな

【週俳9月の俳句を読む】
月野ぽぽな  汗と時間とウロボロス

    
おしろいに滅びし星の光(くわう)とどく  今村恵子

夕方に花開く白粉花。朝方にしぼむまでの間この花が見上げるのは夜空の星。この光景だけでも美しいところだが、掲句はさらにその満天の星の中にはその光が地球に届くまでのあいだに既に寿命を終えているものがあるという事実を含み込む。見えているのにもうそこにはない。存在と時間の不思議、存在の儚さが、一夜のうちに萎んでしまう白粉花の儚さと響き合うと共に、ひらがな使いに見る字面のやさしさや、この句を口にしたときのOの母音(O/HO/HO/KO/TO)の畳み掛けが生むまろやかな韻律が、この句を一層深く美しく響かせている。

  
葛の花鋭利な喫茶店に雨  宮本佳世乃

強い生命力を感じさせる葉の茂りの中に見え隠れしながらも鮮やかな色彩を主張する花、葛の花は野生のプライドとも言いたいような強さを放つ。ここに取り合わせられた「鋭利な喫茶店」。喫茶店の造り自体がロフト調とか鋭角的な幾何学パターンを多用したものであるかもしれないし、そこにいる人の心境や関係がぴりぴりと緊張感のある状態なのかもしれないが「鋭利な」という感覚的で独自の形容によりこの喫茶店もまた存在を強く主張して魅力的。そしてそこに雨。証明可能な数式はシンプルな美しさを持つという。この美しい一句がバランスをもって立つように雨はやさしく降っていてほしい。



おしろい花待つといふこと夢多き  下村志津子

女性の属性と言える「おしろい」の名を持ち、しかも夕べに咲くため「夕化粧」とも呼ばれる「白粉花」は恋の気配を漂わせ、「待つということは夢の多いことなんですよ」という相聞の語らいに諦念の甘美をより色濃く与えてゆく。



アスレチックジムの自転車盆の月  杉原祐之

都市生活の一場面を切り取っていて新鮮である掲句だが、それと共に上五中七と下五の取り合わせの妙がある。まず上五中七の「アスレチックジムの自転車」、この提示によりそれを漕ぐ人が見えてくる。おそらく窓———高層ビルの上階にあるフィットネスセンターの———に向かっているその人の視線の先には「盆の月」。時は8月中旬、まだ残暑が厳くセンター内は冷房が効いているに違いない。ひんやりした室内でも励んでいるうちにはそれを忘れるぐらい汗ばんでくるだろう。提示された光景だけにとどまらず句中には登場していない人物さらにはその人の体感までをも読み手に彷彿させるのだ。



秋日和心音とも秒針とも  澤田和弥

穏やかな秋の日の静けさに身をおいたときに聞こえてくるのは自分の心臓の鼓動、それから腕時計の秒針の音。とくとくとくとくちくたくちくたく。中七下五の句跨がりが生むシンコペーションも心地よく、ここに人間という生き物と時計という無機質な物とが交感する不思議な時間が立ち上がってきた。さらには個人の時間と太古からの時間との邂逅と共振も。



この枯野人を喰らふと翁の語  すずきみのる

「翁」と聞くと芭蕉を思い、「枯野」と「芭蕉」と聞くと芭蕉の辞世の句といわれる「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を思う。ここはそんなわたしの勝手な読みにお付き合いいただけるだろうか。夢の中を駆け廻る枯野人はその夢を見ている芭蕉。自分が自分を食べるイメージ。ここに表れるのがウロボロス———起源はエジプト文明にまで遡る古代の象徴の一つで、自分の尾を噛んで環となった蛇もしくは竜———だ。その象徴的意味は、始めも終わりも無い完全なものとしての「死と再生」「不老不死」「循環性」「永続性」「初原性」「完全性」等など、また分析心理学のユングによると「人間精神」とも。———旅に病んで夢は枯野をかけ廻る———かけ廻る———廻る。次第にこの句自体がウロボロスそのものにも見えてくる。さらに、他界した後も作品と俳論共々が現在に生き続ける聖俳芭蕉、そう、芭蕉自身がウロボロスにも見えてこないか。(参照:フリー百科事典「Wikipedia」内ウロボロス)


  
死がふたりを分つまで剥くレタスかな  さいばら天気

「死がふたりを分つまで」(Till the death do us apart)は、キリスト教の結婚の儀式において行われる新郎新婦の誓約言のあまりにも有名な一節の一部。その一部の提示により、俳句という短詩型の中に一節全文を呼び込むことに成功している。その全文とは「新郎(新婦)は、新婦(新郎)を妻(夫)とし、良いときも悪いときも、富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなときも、死がふたりを分かつまで、愛し慈しみ貞節を守ることを誓いますか」。上五中七の大仰さに下五の些細さを取り合わせる大胆さに驚いているうちに、「愛し慈しみ貞節を守ること」は「毎日朝飯のためにレタスを剥くこと」に重なり、実は夫婦生活を成立させるのはこの絶え間ない日々の営みなのだという繊細な視線に気付く。その時々にあるだろう情念・気分をあの淡い緑と朝の光に昇華させながら。



今村恵子 水の構造式 10句  ≫読む
宮本佳世乃 色鳥 10句 ≫読む
下村志津子 隠し鏡 10句 読む
杉原祐之 新婚さん ≫10句
澤田和弥 艶ばなし ≫10句
〔投稿作品〕
すずきみのる とんと昔あったげな 10句  ≫読む
〔ウラハイ〕
さいばら天気 にんじん 結婚生活の四季 9句 ≫読む

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