第170号~第179号より
かわいまことさんのオススメ記事
●【週刊俳句時評 第3回】桜鯛と蛇 神野紗希 ≫読む 第170号2010年7月25日
担当範囲の170~179号の発行時期は、2010年7月25日から9月26日である。この時期の目次にざっと目を通してみて、あらためて気がつくことがある。
「週刊俳句(以下「週俳」)」の読者、執筆者にとっては、自明のことなのだが、特集および特別記事で取り上げられている俳人たちの年齢層が、新聞や俳句総合誌で取り上げられている俳人たちのそれよりも低いということだ。同時期の俳句総合誌の特集で取り扱われている俳人たちと比べると、その年齢差は三十から八十年ほどある。
試みに対象範囲の号(170~179号)での特集および、特別記事扱いのものを号数の若い順から挙げてみる。
・(172号)現俳協青年部 シンポシオンⅡ『俳句における自動機械』 レポート
・(173号・174号)【俳句甲子園2010】
・(174号・175号)『別冊俳句 俳句生活 一冊まるごと俳句甲子園』「卒業生新作8句競詠」を読む(上・下)
・(175号)【追悼・森澄雄 一句鑑賞】
・(176号)【特集】傘 [karakasa] vol.0「傘」創刊前夜祭
・(176号)【特別記事】席題句会U-30~山口優夢さんが角川俳句賞とっちゃった
・(179号)あいおいがきかじんに愛を・相生垣瓜人 100句抄
などである。
これらのラインナップを見るとわかるとおり、【追悼・森澄雄 一句鑑賞】と「相生垣瓜人」の記事以外は、取り上げられている対象俳人の年齢層が、高校生、大学生、若手(四十一歳)になっている。
これらの中で、もっとも年長なのは、現代俳句協会青年部 シンポシオンⅡの基調講演を行った宇井十間氏で、1969年生まれの四十一歳。最年少は『別冊俳句 俳句生活 一冊まるごと俳句甲子園』「卒業生新作8句競詠」で出句した1991年生まれの中川優香さんである。つまりは、この時期の週俳の特集および特別記事は、十九歳から四十一歳までの俳人たちの作品とその俳句の「読み」を中心に編集されていたということになる。執筆対象以外の他の号との詳細な比較はしていないので、実証的ではないのだが、こうした特集記事から印象付けられるのは、「若い俳人たちが活躍している」ということである。
四十歳以下の俳人たちのアンソロジー『新撰21』刊行後、「若手俳人」たちは、ようやく俳句総合誌や詩誌などの短詩型ジャーナリズムのなかで、特集として取り上げられ、発言する機会と執筆の場を与えられるようになってきていたが、まだ、単発的の感は否めなかった。しかし、この時期の週俳は10号(約二ヶ月間)にわたり、十代から四十代の俳人たちを特集および特別記事で取り上げ、その機会を与え続けている。
そこから推し量ってみると、2010年の俳句史を振り返った際に筑紫磐井氏が『俳句年鑑2011年版』の巻頭提言で「俳句の世界におけるこの一、二年の顕著な出来事といったら若手の活躍が目立ってきたことであろうか」と述べるに至った下地の一端を、この時期の「週刊俳句」が担っていたと空想するのも面白いのではないだろうか。
もちろん、特集記事だけで判断し得ることではないし、磐井氏の発言との関連を証明し得る裏づけがあるわけでもない。その論証は将来、平成二十二年の俳句史を記述する者に委ねるしかない。しかし、俳句史は作品と評者だけを記述して成り立つものではない。俳句および俳句批評を発信した「場」すなわち、メディアの存在も視野に入れる必要があるはずである。そうした理由から、この時期の「週刊俳句」というメディアが掲げた編集姿勢は評価するに値する、と明記しておきたい。
さて、前置きが長くなったが、そろそろ、この時期の「オススメ記事」を一つ挙げてみたい。もちろん、先にあげた特集記事は、どれも一読をお薦めする。そして、神野紗希氏の提案で168号から開始された「週刊俳句時評」も必読である。第1回については、担当範囲外なので割愛するべきだが、時評を開始する動機・意義について神野氏が言及している箇所は、この「時評欄」を考える際に重要と思われるので、引用しておく。
ネットの利点は、紙媒体に比べてタイムラグが少ないことだから、時評に向いている、それに、総合誌・結社誌の時評やネット上の記事の中には、優れた指摘のあるものがたくさんあるけれど、それらはたいがい書かれて終わりだ、もっと議論が深まるような反応や応酬があってもいいし、週刊俳句がそういう場のひとつになればいいなと思う、豈weeklyも終刊になってしまうことだし、いい機会だ、といったようなことを言った。
時評を書く際、特にポリシーはないので、少し変だなと思ったことから、素晴らしい句集を読んだというところまで、とりあえず気楽に書いていきたい。世の中にあふれる、投げかけられるばかりの問いを、ひとつずつではあるが、拾って、応じていきたいと思う。
ここで、「週刊俳句時評」の方向性がある程度、規定され、第3回(170号)から第5回(172号)までは神野氏と山口優夢氏が交替で執筆。第6回(173号)から関悦史氏が執筆に加わり、第7回(174号)が山口氏、第8回(176号)が関氏、第9回(177号)が山口氏、第10回(178号)が神野氏、第11回(179号)が関氏の順で書き継がれていく。
すべてを取り上げたいが、オススメ人(かわい)の能力の問題で、170号の【週刊俳句時評 第3回】桜鯛と蛇(神野氏執筆)を取り上げたいと思う。といっても、そのなかの「おまけ」部分が、オススメなのだ。その「おまけ」で神野氏は、次のように記している。
面白いのは、わたなべ氏も白濱氏も、「俳壇」を仮想的に仕上げているところだ。わたなべ氏から見れば、白濱氏は批判すべき「俳壇」の一員。白濱氏から見れば、わたなべ氏は批判すべき「俳壇」の一員。このように「俳壇」という言葉が、マジョリティの象徴として使われるとき、たいがい、発言者はみずからをマイノリティでヒロイックな位置におこうとする。そんな、あるかなきかの仮想敵を設定して、どちらがより優位に立つかという不毛なやりとりよりも、一句の読みについて素直な意見をかわしたほうが、「俳壇」のためになると思うけれど。
補足すると、「わたなべ氏」は、船団の会のわたなべじゅんこ氏、「白濱氏」は樹氷同人で、「俳句」2010年8月号(角川学芸出版)の俳句月評の執筆者の白濱一羊氏のこと。文中の「仮想的」は「仮想敵」の誤記。
ここで神野氏は、「俳壇」という語を例に挙げて、俳句を評する立場を得た者が陥りやすい態度について述べている。しかし、当の「俳壇」とは何かについては、「マジョリティの象徴として使われる」ことがあることを指摘するだけで、明示的な定義はなされていない。
しかし、それを批判するつもりはない。ここで確認しておきたいのは、神野氏が感じている「俳壇」という語を用いて俳句について何がしかの発言をする者たちへの違和感、胡散臭さについてである。
この違和感なり、胡散臭さは、第1回で時評執筆の動機として挙げていた「少し変だなと思ったこと」に相当すると思われる。この違和感は、他者を攻撃し、排斥する方向には向いていない。同じく第1回で「世の中にあふれる、投げかけられるばかりの問いを、ひとつずつではあるが、拾って、応じていきたい」という回答者の延長線上にある態度といってよい。
「俳壇」という「あるかなきかの仮想敵を設定して、どちらがより優位に立つかという不毛なやりとり」を行っている俳人たちを新たな方向に導く求道者、あるいは、「俳壇」などという共同幻想からの覚醒を促す、啓蒙者として振舞おうとしている。だからこそ、「俳壇」などという「あるかなきかの仮想敵」を想定する前に、「一句の読みについて素直な意見をかわしたほうが」よい、という言辞が導き出されてくるのだろう。それは、次の一文からも推察できる。
「鑑賞を読者に丸投げしたかのような無造作な取り合わせの句」が一体どういうものを指すのか、具体例や具体的な読みのプロセスを挙げないままに、「分からない」とだけ言うのであれば、それは批評の対話を生む評言たりえない、結局は愚痴のように終わってしまう。
白濱氏が何を言いたいのか、私はもっと知りたいし、谷氏の蛇の句を理解できる人とできない人とがいる(「難解」と感じるボーダーの個人差がある)ということについて、もっと考えたい。そのためには、やっぱり、具体例を挙げて読みを提示してもらわないと、その批判の真意を引き継ぎ、語り合うことはできないと思うのだ。
こうした、俳句の「読み」を通して俳句作者および俳句評者と対話し、自身の「読み」と他者の「読み」から共通項と差異を導き出せば、それを更なる別の他者たちと「読み」を共有することが可能で、俳句の理解が深まり、俳句との関係性が回復され得ると信じているように映る。
このような神野氏の姿勢は、至極まっとうで、当たり前のように見える。しかしそれが、当たり前ではなかったのだ、という俳句世界の事例を引用することで、神野氏は俳句評者としての立ち位置を明確にしている。神野氏の俳句評者としての姿勢は、この時評の「おまけ」の末尾の文章に端的に現れている。
具体的な読みの示されない論が、説得力を持つことなどあるのだろうか。とかく、批評の場に「読み」が足りないことに驚く。
この一文でも明らかなように神野氏は、俳句なり、俳句批評なりを「読む」土壌が未成熟である俳句世界の現状をありのままに指摘しつつ、変革を促しているのである。作品を読みつつ、批評によって作品を書きかえ、作品を書きつつ批評を読むことで変革を促そうとすることは、本来の文学者の姿勢を想起させる。
モーリス・ブランショがかつて、「作品を読む者は、作品を書く者が作品の孤独の冒険に属しているように、作品の孤独のかかる断言のうちに入り込むのである」(『文学空間』粟津則雄・出口裕弘訳、現代思潮社、1962年刊)といったように、作品を読むという行為は、作者の無意識に接続することにほかならない。つまりこの行為は、作者の狂気を追体験することを受け入れることの表明でもある。
しかし、ほとんどの読者は「作品の孤独」の「うちに入り込む」、つまり読み得ることなく、表面上の情報を読み得たと誤認しているに過ぎない。しかし、読み得ることが不可能に近いと知りつつも、作品を読み続けることでしか、真の作品は生まれないのかもしれない。
神野氏の俳句評者としての立ち位置を規定する場として、「週刊俳句時評」の存在は、大きい。それは「週刊俳句」という、結社誌でも総合誌でもないネット上のソーシャルな場が、俳句の「読み」をゆっくりと成熟させてゆく「プラットフォーム」となり得るかもしれないと期待するからだ。
ここでいう「プラットフォーム」とは、「週刊俳句時評」の第6回(173号)で関悦史氏が「人の自発的行動の方向に影響を与えるものとしての基盤」を指す。関氏は宮台真司氏のシンポジウム中の発言、「プラットフォームの是非を人々の行動に関わる面白い面白くないという自己評価に即して考える「から」結果的に公共的なものを作った」を引用して、俳句世界における実例として「俳句甲子園」、「芝不器男俳句新人賞」、『新撰21』とともに「週刊俳句」を挙げている。
私はなかでも俳句の「読み」を更新させ得るかもしれない「プラットフォーム」として、「週刊俳句時評」に期待したいのである。
そうは言うものの、一方で危惧するのは、ネット上であるが故に作品の「読み」が単なる情報として流通し、消費され、検索の道具に堕してしまわないかということである。しかし、この期間における神野氏の俳句批評の執筆動機が、現状の俳句世界に対する「違和感」に基づいていることが顕著であるため、その「読み」に向き合うことができている。
この現状の俳句世界に対する「違和感」は、他の時評の執筆者である山口氏、関氏の言辞からもうかがえることである。いわゆる若手俳人たちが俳句と俳句世界をどう読んでいるかを知る記事のひとつ(一群)として、この時期の「週刊俳句時評」をオススメしておきたい。
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≫既刊号の目次 161-180
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