2011-02-27

もんでもみやま梓月かな 後篇 西村麒麟

もんでもみやま梓月かな 後篇

西村麒麟


盗みする身のほつそりと秋袷

狐目、色の白い細長い指、僕にはそんな盗人が見えます。

女星とて男星にまさる光かな

これは七夕が季語ですね、その句が古いかどうかは、時代とは関係ないのだと、こういう俳句を読むと嬉しくなります。

海の水冷えゆく秋の彼岸かな

海の水が冷えているのではなく、冷えゆく、神秘的な美しさを感じます。

手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅

この海も美しいほど冷たい

何事もなくて冬の夜明けにけり

これは前書きが、『いくさに打負けて世上安からざりけるころ』とあります。何事もないことのが、平凡がどれほど貴いものか。

ほしものの深川へ飛ぶ寒さかな

てぇへんだ!

ぽんかんや師走の市の走りもの

ぽんかんが明るい事により、市も明るく感じます。

行年にまはらぬ人をまはしけり

僕はまはらぬ給料日前をまはしつつ(昨日友人があんパンをくれました)

霜白し草の庵は寒けれど

寒いけど、気に入っているんですね、美と厳しさは隣り合わせ。

うるさいのだ花鳥諷詠であればよいのだ 筑紫磐井

三味線を小壁に寄せて雪見かな

あぁ雪見とはこのように作るんだなと感心しました、三味線が小道具として効果的。

鍋焼に連れて戻るや雪の橋

雪の橋が良いですね、絵になる。

貧乏草貧乏くさく枯れにけり

季語は枯草、貧乏貧乏って笑ってしまう。ふー、給料日まであと何日・・・、はっ、これが貧乏。

水仙の咲く時捕るる秋刀魚かな

これ季語が冬さんま、珍しいですね、桔梗がきびきびした花ですから、とても形の綺麗な秋刀魚が想像されます。

胸のうちいちど空にしてあの青き水仙の葉をつめこめてみたし 前川佐美雄

昔から僕の一番好きな歌人は前川佐美雄です。

家古く建具新し日向ぼこ

嬉しかったんでしょうね。可愛い一句。

見ぬ月の幾夜冴えてや冬籠

見なくてもきんきんに冴えてる月を感じて過ごしています、感じる、という事が大事。

短きは筆の命よ冬ごもり

冬ごもり、と置く事でたくさんの手紙を書いたのでは、などと想像できます。やはりどこか人恋しい。

鼻糞の蚯蚓になるや冬籠

ならないけどね。

これ全部釈迦の鼻糞途方に暮れ 山口優夢

これ最初に読んだ時、なんてものを詠むんだ!って思ったけど、お寺で出すあられみたいなものらしいです。ね、落雁とは何と美しい名前か。

父母ののたまふままに避寒かな

のたまふまま、現実にはなかなかこうはできないですね、実に誠実。

梅探りがてら金沢文庫かな

何度見ても洒落た地名だなぁと思いますね、金沢って付いているのが良いのかな。

厚著して情を知らぬ懐手

寒椿つひに一日のふところ手 石田波郷

男は黙って懐手

川風や炬燵座敷の夕掃除

川の風というのが気持ちが良いですね、清らかな感じがある。

ともかくもならでやの年忘かな

無理なくこのような言い回しができるのがこの時代の強み。

楽しみて改めがたし芭蕉講

そうそう、勉強と言うより楽しみであるべきですね。

初春の淋しき業や墓まゐり

淋しき業、に悲しみが出ています、大切な人のお墓でしょうね。

年玉や海水浴の茶店より

とても可愛い一句、子供達大喜び、きっとこの時代の子供達は、これっぽっちかよ、だなんて絶対言わない。

言霊のさきはふ国ぞ恋かるた

めでたや日本

磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国は言霊のたすくる国ぞま幸くありこそ 柿本人麻呂

双六やここに泊りの夜の雨

ここに泊りの、と言う言い回しがニクい、本当に双六の句の名手だなぁ。

『続冬扇』

ぴつたりと障子さしたり梅柳

ぴつたり、梅柳が清らか

落書を防ぎかねたり花の寺

花鳥諷詠夜露四句!
とか書いてみたい

水の音すずしさ春の日傘かな

春日傘で水音すずしか、たまらん!

夜の秋やともしびに来るあめんばう

音も無く寄ってくるあめんぼ、あめんばうやてふてふ、などを見ると文語の持つ強みってのはあるなぁと感じてしまいます。

灯を取りにすいつちよの来るそんな宿 山田弘子

常葉木の落葉や海女の浮沈

落葉が地にあたるかつという音が聞こえそう。

猥談も果はありけり灯取虫

果てのない猥談も面白いけどちょっとね。果はありけり、なんて言うと思わず笑ってしまいます。

親も子も見真似の孫も昼寝かな

見真似の孫がミソ、よく愛情ある視線ですね。

濱焼の竹の小笠を捨てをしむ

前書は『尾の道の名物を贈られて』です、尾道より絶対、尾の道が良いなぁ、ぜひ句碑を目立つところへ。

釣りあげて鰻なりけり秋の暮

鰻かよ、と妙におかしい、ひょひょろした鰻の姿が見えて楽しいです。

流鏑馬の装束解かで月見かな

清方の絵のように、清らかで美しいですね、装束解かで、だなんてお見事。

江東も水に浸しぬ月の雨

これは下五は月の雨ベストかと思います、またお見事!

けだものや櫻の落葉秋の蝉

これ前書が笑ってしまうんです、『動物園』、いや、けだものって!?そうだけど、でもねぇ・・・。

ゐぬこともなき蚊の蚊帳に別れけり

季語は秋の蚊帳です、回りくどい言い方が洒落てます。

蠅ゐてもゐなくても蠅帳使ふ 後藤比奈夫

これもくどさが面白い。

迎火や思へば済まぬ事ばかり

優しさが滲んでいますね。気持ちの入っている俳句は不思議と伝わります。

雨粒がこんなにきれい青芒 山田弘子

これ読むとなんだか泣きたくなってしまいます。

雲高き彼岸の秋や京の山

これも見事、どこも動かせない、彼岸の秋、京の山は動かない。

行年の獅子に喰はるる兎かな

・・・これも前書『動物園』、どんな動物園だよ、けだものだよ。

風邪二人同じ薬を飲みにけり

ちょっとしたおかしみと優しさが見えますね。

共に歳とる愉しさよ庭若葉 山田弘子

おのおのの思ひあがりや芭蕉講

梓月翁ならこんな事も言える、まさに大人の余裕。

『自然は、われわれを幸せにするために、体の器官をうまく整えてくれたが、自惚れまでおまけにつけてくれた。』
ラ・ロシュフコー
吉川浩訳

おもしろの代々の調べや歌がるた

これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸

おもしろの調べ

『続々冬扇』

かくれ家は草の匂や暮の春

俳句のたくさんできそうなかくれ家、草の中、とかではなく草の匂、が素敵ですね。

すずしさやまだ夏ならぬ金魚売

季語は夏近し、金魚がまた涼しくて良いですね。

蛤の濡れて来にけり春の雨

春の雨が明るい、蛤が大きく見えます。

かりそめに置く隅棚の雛かな

かりそめに置く、という表現が繊細な感覚ですね。こういうなんでもない句は失敗すると雑に見えてしまうので腕のみせどころです。

つばくらも酒屋の暖簾くぐりけり

よっとばかりにつばくらめ、燕にはすいっと潜るいう感じがありますよね。

流さるる早き流れの蛙かな

虚子の大根の句は見事だなぁと思うけれども、こっちの句はおかしい、笑ってしまう、あ〜れ〜と流れゆく蛙。

花人と思はれて行く墓参かな

墓ありて人のぼりゆく花の山 飴山實

金魚屋の池のほとりや桃の花

この店の金魚は長生きしそう、まるまるとした金魚が見えるようです。

さみだれや土管につまる蟇

何をやっているんだか、これも流れる蛙と同じく笑ってしまう句。

海鼠喰ふこの世可笑しきことばかり 角川春樹

隣なる扇の風のあまりかな

さりげないなぁ、軽いユーモア、くすっと笑ってしまう。

蟇と我永らへて見る庭の月

直接は関係無いんだけれども、僕は泉鏡花の『高野聖』を思いだしました。

ほほづきにかがやかす眼や女の童

ほほづきならば、この場合は女の子の方が可愛いですね、わぁっと喜ぶ様が見えます。

紅葉山もの言はずして目が綺麗 岸本尚毅

これもきらきらした黒目が見えます。

まんまるの師走の月やすみだ川

まんまるが可愛いですね、月というよりもお月様。

行年や何の役にもたたぬ人

もし自分を詠んだのだとしたら、きっと悪いとも思っていないはずです、句集に冬扇なんて付けるぐらいですからね。そこがカッコいいよ、梓月翁。

目刺焼くぼくにも出来ることなれば 星野麥丘人

行年のこんにやく重き土産かな

こんにやくと聞くといつも龍太のこんにやく村を思いだしてしまいますが、はるか前にもこんな面白い句もあったのですね。

鎌倉で亡くなる人や寒の内

例えば芸人ならば浅草、文人ならば鎌倉で死ぬ、というのは一つの名誉なのかもしれませんね。

川水に沈むや雪の夕げしき

川の水が冷たくて、しんと澄みきっている様が想像できます、そこに消えるかのように夕べの街、ドラマチック。

とりあぐる人もあるらん冬扇
美しき人を集めて年忘

今年はこんな年忘に行きたい、誰か誘ってくれまいか。昔はみんな和服だろうし見た目にも華やかでしょうね、お酒もすすみますよ。

蝶逐ふて蝶追ふ我を忘れたり

これが最後の句にふさわしいかな、こういった俳句を作れる人は心根が優しいのだと思います。

さてさてどうでしょう、梓月、すごい作家ではないでしょうか?
これほどの作家がどうして埋もれてしまうのでしょうね、世の中には僕らが読んでないだけでまだまだ良い俳句がたくさんあるはずです。

『もうほんと昔の人を21』

なんて本があれば読みたいですが、ないし売れないので手書きで作ろうかな。
今の俳人と昔の俳人、両方に光があたれば喜ばしいと思います。
梓月、優夢、井月、兜太、たくさん面白い作家はいるけど、ほんとうはもっと同時に楽しめるはずです。

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