2011-02-13

関悦史の透明な時間 四ッ谷龍

関悦史の透明な時間

四ッ谷 龍



1

ある特殊な瞬間に、こちらに姿を現わす像がある。それはたとえば、病に臥せって高熱に浮かされていたり、めまいにおそわれて気を失いかけたときであったりするのであるが、意識が肉体を離れて、宙をさまようような感覚がやってくる。それによってふだん見ているものとは異なる、蒼白になった風景が見えてくる。患いの場ではなくてもふだんの生活で、ふっと自分が自分でなくなるような、自分がまったく違う世界に迷いこんだようなあてどない心地をもつことは、誰しもあるのではないだろうか。このような不安定な経験は、しかし、嫌悪すべきものではない。異常を感知することで、日ごろ信じているみずからの「バランス感覚」や「世界観」は、一種の仮象であり、認知すべきもう一つの宇宙がこの世にあることが実感できるからである。

  はつなつといふものうすく目をひらく

関悦史のこの句では、はつなつ、が特別な像として意識にのぼってきている。夏が来るということが、けっして楽しい避暑期のはじまりを意味しない。初夏は、日常の外側で目をひらく大きな存在として知覚されているのだ。この句を読むことによって、われわれはふだん気づかないでいるけれども確かにありありと存在している何かと対面することになる。

  白桃や三人(みたり)の白き客の来し

「白」を二度繰り返すことで、作者はこれが実景の再現ではなく抽象的な映像であることを、念入りに強調していると言える。「白き客」といっても、それは白人という意味でも、白服の人という意味でもない。ここでの「白」は、ほとんど「透明」や「不可知」に近い形容として使われているといっていいのではないだろうか。三人の客といえば、聖書の中の東方三博士や釈迦三尊などが連想されるが、そのような神話をうっすらと意識させながら、作者は三人がわれわれにとってふだん見えない人、平常の感覚では触れることができない人たちであることを伝えようとしているのであろう。

透明といえば、関には次のような句もある。

  空室のいつせいに透く花火かな
 
空室と書かれているが、花火会場の近くに幽霊ビルか売れ残りマンションが建っていたというわけではあるまい。この句は現実風景の再現ではない。花火という祝祭の時間帯において、突如作者は透明な空室が並んだまぼろしの高層建築の姿が顕つのを実感したのだ。日々の現実はかなたに沈み、非日常の風景だけがことばとして残された。

このように関悦史が触れよう、形にしようとしている「ほとんど不可知な世界」のことを、「透明な時間」ととりあえず名づけておこう。

この文章では、以下、関がどのようなルートをたどって透明な時間へとたどり着こうとしているのか、その道のりをさぐろうと思う。ルートをさぐることは、関が見ているのと同じ風景に身をさらすことであり、身をさらすことが一つの創作行為となるような叙述でなければならないが。


2

前章で挙げた関悦史の三句は直截に透明な時間を掴みに行ったような作品である。現実の風景を媒介にせず、特定の理念を足がかりにするのでもなく、一気に詩の領域へ切りこもうとした試みであり、これらは関の作品のなかでも私がとくに好む部類に入る句群である。

ダイレクトに詩をつかむというのはなかなか成功が難しい方法でもあるが、そのような試みに自分を賭けた作家として、阿部完市という俳人がいた。

  透明を葉月がつつみ三河がつつみ  完市

  この野の上白い化粧のみんないる

  やらやらと朝やつてくる蝶氏など

これらの句の「透明」や「白」、そして「やらやら」という擬態語が示す気配は、関悦史の透明な時間とほぼ同質のものであるといってよい。精神分析医であり、みずからの方法に自覚的であった阿部は、「意識と無意識のあいだに無限にひろがる半眠半醒の領域」、とでも名づけるべきものを作品によって指し示そうとし続けたのである。

阿部の俳句は、ことばから意味を削ぎ落とし、ことばが何らかの視覚像を結ぶことも拒否し、作品が特定のメタファーや寓意と結びつくことも排除して、ただひたすらに、ことばに薄く貼りつくイメージだけを掬い取ろうとしている。このような純度の高い俳句は非常に魅力的であるが、阿部の作品に出会ったときにわれわれ俳人が経験する何よりも難しい問題として、われわれが阿部作品に惚れこみ、彼の態度に共感すればするほど、自分の句が阿部の作品に似てきてしまうということがある。詩にダイレクトに迫ろうとすれば、阿部の文体以上に効果的なルートを発見するのは相当たいへんなことだからだ。彼の作品に親しんだことのある人ならば、エピゴーネン化という危険に身をさらす思いを経験したことが必ずやあるに違いない。

関悦史は、賢明にというべきか用心深くというべきか、阿部のような「直線的に詩の本質に迫る手法」をめったに選択しない態度をとっているように私には見える。直截な手法を選んだ前章の三句は、彼の本質をより明確に表してはいるものの、方法的には関俳句の中ではまれな部類に属するとも言えるだろう。

代わりに彼が選択したのは、一見何らかの意味がありげな表現を差し出してみせながら、じつはその意味とは違うものを作品で表現するという、より屈折した方法ではなかっただろうか。読者を牛にたとえるならば、関という闘牛士が差し出す題材は赤い布であり、本当の詩は別の場所に身を移している。賢い牛であれば、布を見ずに闘牛士本人にこそ視線を向けて突き進まなければならない。

そのような彼の手法を、まず出世作というべき連作『マクデブルクの館』(平成14年度第1回芝不器男俳句新人賞城戸朱理奨励賞受賞作)百句の中に見ていくことにしよう。


3

  嘆キツツ崩レ溶ケタル姉ノ快

  階段ヲ自動人形ガ上リ來ル

  地下ニ亡父ニ磨キコマレシ《鐵ノ處女》

この連作の特徴として、全篇が旧漢字とカタカナだけで記述されていること、猟奇的な題材を好んで扱っていること、それらの結果として、歴史伝奇小説を目にしているような妖しげな触感を読者に覚えさせることがあるだろう。

だがそのような装いに目を眩まされてはならない。この連作が単なる猟奇小説の焼き直しであるとしたら、すでに誰かが作った文学世界の再生であり、子供だましの俳句遊びにすぎぬ。それくらいなら、この連作が下敷きとしたであろういくつかの幻想小説を読んでいるほうがよほど想像力の肥やしになるというものだ。読者の中にはこれらの句をそう斬って、より深い関心を持とうとしない人もいるに違いないが。

だが、たとえば連作の最初の句、

  内界ニ洋館浮イテ眠ラレズ

はどうだろう。作者が不眠症に悩む人だと知っているからなおそう思うのだが、「眠ラレズ」は案外きわめて個人的な悩みの告白と理解することが可能なのではないだろうか。

作者の個人的事情を斟酌して解釈するのは望ましい読みかたではないけれども、次の句は関本人を知らなくても、句の中の感情を読みとることはできるだろう。

  死ンデナホ性トイフ修羅止マザリキ

「死ンデナホ」と言うが、実際には死んだ人間には「性という修羅」は存在しないのである。死ねば人はただの物体であり、修羅にさらされているのは、死者についてそういうことを想像している生者の側なのだ。もっと言えば、こういう句を作っている作者自身が「性という修羅」に悩まされているに違いないのである。だから読みようによっては、この句の主人公は死んでいるようで死んでいない発話者自身であり、これはきわめて率直な悩みの告白であるとも推測しうるのだ。だが作者の恥じらいと節操は、感情をあからさまに表出することを許さない。あくまで中世伝奇小説の一こまであるかのような装飾を句にほどこした上でなければ、彼はことばを紡ぐことをしないのだ。

恥じらい、と言ったが、ふつうの人間なら誰でも日々「性トイフ修羅」にさらされているのであって、それは恥ずかしいことでもなんでもない。それくらいのことは関も承知であろう。その上で恥じらうというのは、人間の本性そのものの中に「性」という獣性が結びついており、その人間性のありように作者が恥じらっているというふうに、私には感じられる。

  別ノ美童半バハ鳥トナツテ死ニキ

「別ノ美童」とは何者のことであろうか。別ノ、と言われると、「別ではない美童」とは誰を指すのかを忖度したくなり、いろいろ連想が進むのである。別ではないとは何か。それは「他人ではない、自分自身」のことを言っているのではないだろうか。そして別の美童とは自分の分身を指すのではないか。
 この句の美童が、単なる一人の美少年のことを言っているとすると、それこそ伝奇小説のリピートでしかなく、退屈しか感じられないし、「別ノ」という形容について面白い連想もはたらきそうにない。ところが美童が作者自身であるとすると、俄然一句は興趣をさそうものになってくる。「半バハ鳥トナツテ」というところに、作者の変身願望を見出すことができ、そしてその失敗という自傷のセンチメンタリズムが強烈に匂ってくる。「別ノ」という表現に、「別の存在へと変身したい」という若々しい憧れが強く読みとれる。もちろん「美童」はナルシシスムの象徴である。

だが繰り返しになるが、作者は自分の憧れを正直に表すことに羞恥心をおぼえている。だから伝奇的な身振りがどうしても欠かせないものとなっていくのだろう。自分の心情をあつかましく垂れ流すようなことは、彼の精神性が許さないのだ。そうした関の恥じらいのセンスを、私はたいへん美しいと思う。

  藏書ミナカプカプ翼疊ムナリ

部屋の中に積まれた本(翼をもつ本といえば、本棚に立っているというより床に置かれたものを想像するほうが自然だろう)、それらが生き物のように呼吸をし、かぷかぷと音をたてながら翼をたたんでいる。ここから読みとれるのは、書籍に対する作者の尽きせぬ愛情である。

気になるのは「カプカプ」という擬態語である。ふだん見かけない副詞であるし、使うとしても「かぷかぷと」と「と」を加えた形のほうが、発想としては自然ではないか。だがその「カプカプ」というオノマトペアから、私はもう一つの別の文学作品を思い起こす。

 二疋(ひき)の蟹(かに)の子供らが青じろい水の底で話てゐました。
『クラムボンはわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『クラムボンは跳てわらつたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
 上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらつてゐたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』
『それならなぜクラムボンはわらつたの。』
『知らない。』
 つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽつぽつぽつとつゞけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のやうに光つて斜めに上の方へのぼつて行きました。
(宮沢賢治『やまなし』より)
『やまなし』は宮沢賢治の数ある童話の中でも、とりわけ詩的純度の高い作品として、多くの人の心をとらえてやまない作品である。この小品を読んだ人は、まず「クラムボンはかぷかぷわらつたよ」という一行のすばらしい響きにノックアウトされ、心を二匹の子蟹とともに川底に遊ばせてしまうのである。

関の句が宮沢賢治を想起しつつ作られたことは、まず間違いがないと考える。「かぷかぷと」ではなく、「かぷかぷ」でとどめていることが、何より明確な証拠である。賢治の澄明な童話を下敷きにしているということは、関悦史がこの句で表出したかったものも、澄明な童心の世界であるということが言えるのではないだろうか。旧漢字やカタカナで武装したいかめしい外見とはまったく裏腹に、関がその陰でひそやかに差し出すのは、若草のようにみずみずしく柔らかい感性なのである。

それにしても、「かぷかぷ笑う」という表現を、「(本が)かぷかぷ翼を畳む」というようにまったく違う場面に切り返して応用するというのは、なんとみごとな想像力の跳躍であろうか。私はこの句を、関が書き留めたもっとも秀逸な詩的結晶の一つに数えることに、何のためらいももたない。この童心、澄明で透明な童心は、関が透明な時間へと歩を進めるための、大切な機縁となったに違いない。

   鵙鳴クヤ時計塔ニモ肉詰マリ

   複眼ノ廢帝牢ニ柘榴啖フ

これらの句はどうだろう。もちろん、奇怪な幻想を描いたものと解釈できるし、それで充分なのかもしれないが、たとえば前句を読む際には、作者が肉詰めピーマンを箸でつつきながら、「うーむ、これが時計塔であったなら」などとつぶやいている姿を同時に想像してみるのも楽しいのではなかろうか。後句では、複眼の人物といえば映画「ハエ男の恐怖」などが思い起こされる。だがそれと並行して、つぶれた柘榴にたかる蝿を見て「この地底の廃帝どもめ」と作者が親しく呼んでいる情景を連想してみることもまた許されるのではないか。単なる怪奇趣味を玩ぶだけなら、俳句はどうやっても散文である小説を超えることはできまい。その中に笑える要素を見出してこそ、怪奇がいっそう引き立つというものである。

関の俳句には、虫や鳥などの小動物がかなりの頻度で、しかも印象的なかたちで登場する。

  死にきらぬゴキブリが聴くクセナキス

  小鳥来て姉と名乗りぬ飼ひにけり

  蝉の屍の震へやみけり山車遠のき

  網にかかる蛸とゴルディアスの結び目と

これら小動物への関心は、関の「童心」とどこかでつながるところがあるような気がする。死にかけた蝉をつついたりするのは子どものしぐさであり、大人はそんなものに関心を示しはしないのだから。先の句の「複眼」も、怪奇幻想だけではなく、子どもが昆虫の顔を見つめている視線をふくんでいると受け取ることはできないだろうか。


4

2009年12月、東京・市ヶ谷において『新撰21竟宴』という俳句論談会が催されたが、第二部のシンポジウムで関は登壇し、いろいろ興味深いテーマをわれわれに提供してくれた。

その中で私が心を動かされたのは、彼が祖母の介護をになって最後看取った話をしたくだりであった。
最初ひとりで抱えこんでどうしようかと思ったら、そこに世界の側からヘルパーさんとかケアマネさんとか隣近所とか、病院行くときに、ふだんそんなに折り合いがよくなかった親類が車を出してくれたりとかが次々に出てきて、いろんな関係がその場その場で必要に応じて生成するわけです。祖母の介護というのは、家族が私しかいなかったもので、私が私の単独性において引き受けざるを得ない、自分の単独性において引き受けると、世界と、そういう関係性からどんどん必要なものが出てきて、必要が終わったらなくなってという形で、微分曲線的に何かが発生して終わっていくと。そういう働きが俳句によって出来るといいなというふうに思います。(邑書林ブックレットNo.1『今、俳人は何を書こうとしているのか』)
人間が複数集まれば、そこにしばしば「組織」が発生する。夫婦、家族、親戚、同窓、会社、自治体、国家などがそれに当たる。組織が自分自身を独立体として維持しようとすれば、そのための「ルール」や「法律」が必要となるが、それらは個人の自由な心情を束縛しながら自己を強固なものとしていきがちになる。あわせて、規律を正当化するための「歴史」や「伝統」の物語も次々とこしらえられていく。だが、関がここで示した世界観は、組織化をまったく前提としていない、人間の自発的な意思に信頼を置いたネットワーク像なのだ。人は必要があればおのずと集まり、必要がなくなればおのずと散っていく。ある程度成熟し、情報を共有するためのシステムが確立している社会であれば、組織の規律を持ち出さなくても、人間の本性の中にもともと存するお互いつながりあう資質は充分生かされうるということを、関は介護というリアルな現実を通して自分なりに再確認したようである。組織に所属していなくても、人間は必ずしも孤独ではないのである。

このような関の世界観を確認した上で、彼が「ぶるうまりん」第15号(2010年8月)に寄稿した連作「祭禮――氷屋の配達を手伝いつつ 25句」を読んでいくことにしよう。表題が示すとおり、祭礼の模様を実況中継風に俳句化していった連作で、空想的な「マクデブルクの館」とは一見正反対の作風だが、内容からうかがえるのはつねにかわらぬ関悦史の素顔である。

  母ら・包丁・蚊の行きかひて公民館

祭礼の準備をしているお母さんたち――祭料理のために操られる包丁――祭の中を飛んでいる蚊――の三者が、並列に置かれている。注目すべきは、この三者のあいだに強い連繋はなく、順序や重み付けの差もないということである。

たとえば「・」(なかぐろ)で三つの名詞をつなげた俳句としては、中村草田男に次の句がある。

  鼠・犬・馬雪の日に喪の目して

この句は「・」によってつないだ三種類の動物をつぎつぎ繰り出すことで、死の悲しみを読者にむけて鮮烈に叩きこんでいくような効果を上げている。「・」は三つの動物を強く連結しているのだ。(この句はシェークスピアの『リア王』における「そこいらの馬や犬や鼠が」という科白の引用とのことだが)
ところが関の句では、三者はばらばらに並置されたままであり、特定の感情へ読者を誘導するということがないのである。三者の間にはひろやかなスペースが置かれている。とはいえ、お母さんたちが活躍しない夏祭はさびしく、料理包丁が使われないコンビニ弁当だけの夏祭は味気なく、半纏や浴衣の男女が薮蚊に悩まされないとすればそれも夏祭らしくない。そのような意味で、これら三者は祭を祭らしく彩る、たいせつな出演者たちであると言える。

これら三者の登場のしかたは、関が祖母を介護したときに自然と集まってきた関係者のありようと、よく似ているのではないだろうか。それぞれの出演者が、自発的に場に集まってきて、イベントが終わればまたおのずと散ってゆく。開かれたネットワークがそのままに置かれている心地よさが、この句にはある。

ついでに言えば、下五の「公民館」という置きかたはなかなか巧者である。実況中継風の連作であるとはいえ、俳句である以上、一句それぞれ独立で読めるだけの情報量が保証されている必要があるのであって、この句も祭礼とは限定しないまでも、何か地域の集会が催されている情景であるということは下五で伝達しておかなければならない。だが、あまりに情緒が勝った語で場面を設定してしまうと、それが前にしゃしゃり出て「母ら・包丁・蚊の行きかひて」の自由な連繋をぶち壊しにしてしまうだろう。「公民館」などという、ぶっきらぼうでキッチュな語であるがゆえに、かえって三つの登場者に干渉せず、演者たちが思うようにふるまえる自由度を確保しているのだ。

ところで昨年私は、テレビ番組で辻井伸行というピアニストが「展覧会の絵」を弾く様子を観、そして聴き、たいへんな感動をしたのであった(そのことは「ウラハイ」のサイトに寄稿した)。

関悦史の俳句を読んでいると、私は辻井のピアノの音と非常に近い何かを感じることがある。辻井のピアノは、それぞれの音が自発的に響き、お互いを支えあっているような印象をこちらに与える。音楽が直線的に突き進むのではなく、響きが建築的に積みあがるのでもなく、音がつながりあいながら放射状に発散していくというように聴こえる。このような辻井の音楽のつくりかたが、関悦史が大切にしている自発的なネットワークのありようとよく似ているのだ。

辻井のピアノや関の俳句に触れると、これまで存在しなかった新しい世界観が彼らの中で孵化しようとしていることが確信されてくる。われわれの世代までは、東京オリンピックがあり、日本万国博覧会があり、高度成長があり、それらを通じて自分が日本という組織に所属していることを無意識のうちに刷りこまれてきた。そして組織の束縛とたたかうために、まずはそれらに対峙する自我を育て、発露させていく努力が必要であった。しかし関や辻井は、表現の最初の時点から、組織の束縛を超えた新しい社会関係を予知していたように見受けられる。

関悦史は「透明な時間」へとたどりつこうとするうえで、このような開かれたネットワーク感覚を道しるべとして使っているように見える。先に私は、関の透明な時間は、阿部完市の俳句が帯びている気配と等しいと述べた。だが、

  栃木にいろいろ雨のたましいもいたり   完市

  やくそくのときところともしびいろ松原

といった句を読むと、前の句の「もいたり」というダメ押し感覚、後句の「ときところともしびいろ」という頭韻を使った強迫的な表現方法は、網状にひろがる関の受動的な感受性とは違うものだなと思わないでもない。

網のようにやわらかく触覚を拡げるためには、インパクトある直截な語り口だけでは不十分なのであろう。たとえばこの連作では、「祭礼」という題材を借りているが、句の目的は実際の祭礼を再現することではなく、人間たちのやわらかい心のつながりを暗示するところにある。その、ふだんは目に見えず、関の俳句の中にだけあらわれてくるネットワークこそが「透明な時間」であり、彼は間接的な手法で網目の存在を示唆するのである。

連作「祭礼」の他の句も見てみよう。

  紋付もアスファルトに寝て祭の夜

  町は轟音氷屋の犬土間に眠り

前句、「紋付」の人は、祭礼でもっとも重要な役割を果たすべき主要人物の一人である。一方後句、氷屋の犬は祭から疎外された、いちばん末端の存在である。しかし関にとっては、両者には何らの上下格差がなく、どちらもしどけなく土間や路上で寝こんでしまっている。この二句を並べると、関悦史という人はつくづく物事を自由に、平等に眺めることができる人なのだなと感じ入る。自由な目で見れば、人も犬も、主人公も脇役も、大きなネットワークの一部をかたちづくる要素として平等な存在なのである。そして表現にユーモアがあるところが、われわれをほっとさせてくれる。

  山車引いてみな野暮つたき伊達をとこ

  女の肌みな夜祭を得て光る

どちらの句にも「みな」という語が置かれているところは、注目に値する(先に引用した「藏書ミナカプカプ翼疊ムナリ」にも「みな」が登場していた)。関は、特定の人物にスポットを当ててそこに焦点を絞るということを好まないのだ。男たち、女たち全員を、ひとしく賛美しようと努めていることがわかる。彼は「孤」を礼賛する人ではなく、人間同士、存在同士のあいだに共有される何かを大切にする人なのだ。

  旧道を祭提燈浮きゆけり

にぎやかな祭の中で、ふっと姿を現した浮遊感。あてどない想いは、不眠症等に悩む関の体質と密接な関係があるようだ。体内感覚を表現したこの句などは、比較的ダイレクトに透明な時間にアプローチした作であるように思われる。

  公民館広間に麦酒ならびたる

さりげない句だが、「公民館」のキッチュ感はここでも生かされている。「広間」の「ヒ」、「麦酒」の「ビ」、「ならび」の「ビ」と、似た音が三回繰り返されるところ、ゆったりと反復の拍子を刻んで気持ちよい。もし下五が「ならぶなり」「ならべらる」などとなっていたら、音調が悪く採れないところである。

  熔岩流のごとくに山車の群帰る

山車が帰っていくというのは祭が終わりに向かうということで、どちらかといえば淋しい局面であるはずなのだが、それを「溶岩流」という元気のよいものに喩えたところに意外性があり、オカシサを感じさせてくれる。このような関の比喩の用法は、それを論じるだけで一つの文章になるくらいのテーマであると思う。


5

関悦史については、まだまだ書きたいことがいろいろある。とくに彼の近作にまだ触れていないのは残念だが、あまりいろいろなことを書きすぎるのも散漫になるので、続きは別の機会としたい。

再度言うが、関の作品はこれまでの俳句になかった世界像を提供するものである。過去の古い尺度で彼の俳句を評価することにはたいした意味はない。読者がそれぞれの感受性において関の透明な時間をときほぐすように読んでいくことが期待されるのである。

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