2011-03-06

〔週俳2月の俳句を読む〕榊倫代

〔週俳2月の俳句を読む〕
「ああこの光景は知っている」
榊倫代


花菜風君洗濯をしているか  神野紗希

「君」が誰かはわからないけれども、作者にとって親しい間柄の(兄弟かもしれない)一人暮らしの若い男性だろうと想像する。

春の陽気に誘われて遊びに行ってしまったかもしれない彼に、「こういう日にこそ洗濯」と、その暮らしぶりに思いをはせたのだ。

風に揺れる菜の花畑から、洗濯物が軒先で揺れる狭い下宿へ。作者の思いとともに、読み手の視点もふわりと飛ばされる。



トイレタンクの上の造花や冬日差す  榮猿丸

トイレのタンクの上の手洗いボウルに、造りものの花や果物などを飾る家や店。昔はよく見たが、最近では珍しい気がする。生花と見間違うような精巧な造りのものではなく、昔ながらのちゃちな造花だろうと思う。

何の変哲もないトイレの様子である。であるからこそ「ああこの光景は知っている」と思わせる。

小窓から差しこむ冬日の下の、白いトイレタンクと、ゴムやプラスチックや化繊でできた人工的な色づかいの花。個室のひんやりした空気の中で、用を足すときの身震い。用がすめば、花の上から注がれてまた下へ流れていく水。

トイレという個人的な空間でのそれぞれの記憶に触れながら、掲句の中の造花は咲き続ける。榮猿丸という手品師の手の中から取り出されてそこに置かれた花のように。



靴音を聞き分けてゐる絵画展  西原天気

どちらかと言えば人の少ない展覧会でのデート。目の前の絵よりも、一緒にいる人の方が気になって仕方がない。一心に絵を鑑賞するふりをしながら、コツコツと近づいたり遠のいたりする靴音で相手の動きをさぐっている。腕がわずかに触れたりすれば、心臓の高鳴りも最高潮だ。

というような、付き合い始めの気分を思い出させる一句。恋をしている時は、五感もやたらに鋭敏になったりしたものだなあと、とうに忘れていたことも思い出したり。



節分ひとり納豆のパック投げて済ます  関悦史

豆まきの後の掃除が面倒だから殻付き落花生を投げる、とか、豆を小袋ごと投げる、というのは割と普通。納豆のパックを投げるという人はちょっと珍しい。というか初めて聞いた。せっかく節分だし、ひとりだし、まあ取りあえず、と、申し訳程度に済ましたという風情だが、投げられる方の鬼も嫌だろう。角が当たれば痛いし、うっかり開けば粘々とまとわりつかれる。這う這うの体で退散したと想像する。

今号の関氏の作品、リンク付きテキストという試みも大変面白かったので、まだリンクを開いていない方はぜひご覧になることをおすすめしたい。



春愁とは氷の芯の空気かな 生駒大祐

春愁という、悩みというほどでもないが、何となくやるせない気分をうまく表現した。閉じこめられた空気も、氷が溶ければ簡単に解き放たれる。気温の上昇とともに、愁いも消えていきますように。



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関 悦史 初 音 10句 ≫読む ≫リンク付きテクスト
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