2011-05-08

【週俳4月の俳句を読む】 田島健一

【週俳4月の俳句を読む】
もうひとり連れて

田島健一



あまり取り上げられることはないけれど、僕たちが俳句をつくるとき、俳句をつくっている「私」を承認してくれるもうひとりの「誰かさん」がいる。

重要なのは、その「誰かさん」との関係だ。

僕たちは、その「誰かさん」の承認を得ようとするがために、いつも陥りやすいスポットに陥ってしまう。良く言えば、その「誰かさん」がいるために、「私」は「私」でいつづけることができるし、悪く言えば、そのために「私」は「私」を出られない。

俳句の倫理は、「私」を「私」と名指すその「誰かさん」をダッシュで置いてきぼりにすることだ。

全速力で駆けなければ、自分の小さな景色からは抜けられない。



ひらのこぼさんの「街暮れて」。

最初と最後の句〈足の指ひらいてとぢて春よ来い〉と〈季の移りゆきつつ日々の座禅草〉は印象は似ているけれど、たたずまいが違う。このふたつの句の距離が、おそらくひらのさんの居心地のよい空間なのだろう。このゆったりとした二句に挟まれた春の作品群からは全体的にのんびりした印象を受ける、その奥に「寒さ」のようなものを感じるのは僕だけではないはずだ。

人の名前を詠み込んだ句は、あまり上手くいっていないような気がした。人の名前を名指すと、その名前を所有し消費する。何かそれが、ひらのさんの持っている世界の流儀に反しているようにも感じた。その流儀のなかでは〈サボテンが好きな女と春火鉢〉〈書割の街は目覚めず雪の果〉〈季の移りゆきつつ日々の座禅草〉のような世界がふさわしいような気がした。


天野小石さんの「たまゆらに」。

天野さんの句は、いつも雅だ。それはもちろん、使われている語句の端々に見られる。何かいつも隅々まで掃除の行き届いた和風旅館にいるようだ。僕のような雑然とした人間には、ちょっと心落ち着かないけれど。その煌びやかさに、若干とまどいを感じないわけでもないのだけれど、それでも〈暖かや島を包める星の数〉〈航跡の光に春の深まりぬ〉のような句には何とも言えぬ自然光を浴びているような感じがして素敵だ。天野さんの世界は、たぶん言葉がシンプルになればなるほど、自然光に近付くのだろう。ちょっと変った世界だ。


矢野玲奈さんの「だらり」。

矢野さんは礼儀正しい。破天荒なフリをしていても、その振れ幅は可動範囲が決まっている。〈ジルバよジルバ引き寄せらるる春へ〉のような句は、そういう枠を飛び越えようという作者の努力の跡が伺えるが、あまり上手くいってはいないと思う。むしろ〈海市まで雲を連れゆく汽笛かな〉のような句に、作者の秘められた力を感じる。「雲」というあたりに作者の礼儀正しさが残っているのだが、つつましくて好感が持てる。逆に〈譲られしふらここのまだ揺れやまず〉のような句で、簡単に許されようと思っていてはだめだろう。〈譲られし〉で何か言い得たと思ったのだとすれば、甘いと思う。〈魚河岸の静かな昼やつばくらめ〉も地味だけれど素敵だ。


福田若之さんの「はるのあおぞら」。

巷で話題となった〈ヒヤシンスしあわせがどうしても要る〉が十句の中では出色だろう。他の句も景色は似ているのだけれど、どれも少しずつもの足りない。〈強く生きたいと強く思った〉〈いのちがいのち照らし出し〉〈翼いらない〉〈僕らは世界に振り回される〉などは、ストックフレーズだ。例えば〈詩は泣いていられないんだつばめ来る〉などは、もはや「つばめ来る」は必要ないんじゃないだろうか、とも思う。なんで季語使うんだろう、と思っちゃう。何かほとばしるものを俳句に読み込もうという意気込みは買うけれど、俳句の外側から見つめている目に届いていないのじゃないだろうか。ちょっと、厳しいこと言うようだけど、ごめんね。


関根誠子さんの「明るい夜」。

関根さんの作品は、あたかも物が生きているようだ。というよりも、関根さんは物をあたかも生きているように扱う。これは、俳句の技術とはちょっと違う話だ。日常というものは、どれもこれも邪魔だと思われるくらい「物」にあふれていて、人間をおとなしく放って置いてはくれない。ほんとうにうんざりはするけれど、仕方がない。俳句を通してそうした「物」が命を持ち出すと、途端に世界は賑やかで愉快になる。
そういう意味では、関根さんはいつでも物にまみれながら努力している。えらい。


羽田野 令さんの「鍵」

逃水に鍵を返しておかうかな〉〈白梅はゆふべ枕にふれてゐた〉など、静謐で魅力的な句が多い。一息に詠み上げるかたちが、作品を大がらにしている。作品全体をつらぬいている真面目さに、若干息が苦しくなるようにも感じるけれど、真面目でいいじゃないですか。〈春雷を起こした方のペンの先〉なども面白い。十句の中には、常套な比喩も見られるけれど、それはそれ。なにか、この静けさのなかに、孤独な視線を感じる。むしろこの作品の静謐さのなかから、作者自身の孤独な魂が抜け出ることがもっとも難しいことなのかも知れない、とどうでもよいことを思ったりした。


第206号 2011年4月3日
ひらのこぼ 街暮れて 10句 ≫読む
天野小石 たまゆらに 10句 ≫読む
第208号 2011年4月17日
矢野玲奈 だらり 10句 ≫読む
福田若之 はるのあおぞら 10句 ≫読む
第209号 2011年4月24日
関根誠子 明るい夜 10句 ≫読む
羽田野 令 鍵 10句 ≫読む

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