2011-06-19

『虚子に学ぶ俳句365日』執筆者座談会

高浜虚子な日々
『虚子に学ぶ俳句365日』執筆者座談会

相子智恵 生駒大祐 上田信治 神野紗希 関悦史



編集部「週刊俳句」による≪紙の本≫第1弾、『虚子に学ぶ俳句365日』が無事刊行の運びとなりました。執筆者の皆さんは、ほんと、お疲れさまでした。まず執筆してみての感想など、軽く語り合っていただくという主旨です。

上田200字でしたっけ、あの分量が、絶妙に難しかった。

編集部40字×5行、ちょっと洩れてもOKという文字数でした。これ、ハードの制約、つまり365句を分厚くない1冊に収めるという事情から、割り出した字数なんです。

上田うまくやれば、二つ半か三つくらいの要素が入る。お弁当を詰めるみたいに、あっち寄せ、こっち寄せしながら、きちきち書いてました。編集部名義の原稿が、要素を入れすぎず、うまいこと書かれているので、ああいう調子でいきたいと思いながら、なかなか。

神野丁寧に説明したいと思うと、200字は、一つのことを説明するのにちょうどいい字数でした。ですから、最初の原稿依頼にもあったように、句の全体像ではなく、「ポイント」にしぼって書いたというかんじです。

編集部自分が書きたいことが少なければ、薄く伸ばしてラクチン。書くことがあまりないとき、引き延ばせる限度。多ければ、取捨選択と圧縮に手間取る、という感じででしょうか。信治さんは、書きたいことが多かったということですね。

上田虚子は、語り尽されているので、ちょっとでも新しいこと言うチャンスがあったら言っとかないと、と思うし。

200字の中に詰め込んで書こうとしてしまうので、内容を削ってしかも平易にというのが慣れるまでなかなか。

編集部「平易に」というのは、今回のキモのひとつでした。俳人だけに向けた本でないということでしたから。実はその点、ちょっと心配したのです。みなさん、りっぱな書き手ですが、一般向けにはそれほど書いていらっしゃらないと思ったので、「平易に」という点がむずかしかろうと。でも、杞憂に終わりました。「ちょっとむずかしいです。もっとやさしく言い換えてください」というリクエスト、ダメ出しは、結局、一回も言わなかったのではないかと思います。


どの句を書くかを各自決めるスタイル

編集部虚子句を数百句、共有データベースのようにどばっと並べて、各自が書きたい句を宣言して持って帰る今回のスタイル、時間的制限もあって、採ったスタイルでしたが、いかがでしたか? ワークショップみたいで面白かったのではないかと思うのですが。

相子「ワークショップ」。たしかにそんな感じで面白かったです。

原稿の割り振りのときには掲示板があるのが便利でしたね。

神野こんなに短い期間で、駆け抜けるように本ができたという経験ははじめてでした。

編集部皆さんにご相談・執筆依頼をしたのが3月8日前後。その数日後の3月11日に東日本大地震が起きたのでした。で、原稿の締切は4月4日(月)に設定。4月11日(月)にレイアウト入稿。校正紙を出して、皆さんにチェックしていただき、25日(月)に印刷所にデータ入稿。あわただしくて、すみませんでした。

依頼いただいてすぐに1本送ってみて、その後すぐ震災。最初の1本以外は今になると当時どうやって生きていたのかよくわからないような、家の中も生活状況もグジャグジャな中で書くことになりました。

編集部よくぞご無事で。執筆を応諾いただいたものの、いったん「戦力」からはずしました(笑。だって、虚子どころじゃなかったですもんね。私にとっての3月は、この本の進行と、関さんの被災地ツイートで過ぎていったような気さえしています。

そうこうするうち、面白そうな句は他の人がどんどん書かれてしまって、残っていて何か書けそうなものだけ半ば乖離したような状態でポツリポツリ。おかげであまり本数書けませんでした。

神野私は、毎日コツコツ書くということが苦手なので、書く日は、一気に20句くらい書く、という進め方でした。スロースターターなので、他の人にどんどん句が選ばれて減っていくのもあせったことでした。

上田あ、あの句とられちゃった、というのは、ありましたねー。

編集部例えば?

上田〈よろよろと棹がのび来て柿挟む〉〈立ち昇る茶碗の湯気の紅葉晴〉とかです。いや、365句の大半、そうかもしれない(笑。

神野書きたかったのに、とられてしまった句、私もありますね。12月28日「我が生は淋しからずや日記買ふ」(上田)。陳腐な句なんですが、妙に好きなので。
陳腐とか俗って、弱ってるときにハートに迫ってくるもので、虚子はそういうものもちゃんと詠んでるところが幅広い読者を獲得する所以なのかな。
あとは11月4日「能すみし面の衰へ暮の秋」(生駒)。げっそりと「老い」を感じる句です。ほかにもいくつか。早く書き始めていればよかったです。

編集部書く句を選ぶとき、「面白い句」を選びましたか? それとも、「書きやすい句」「記事のアイデアが浮かんだ句」?

上田まず、この句がおもしろいと言うことを、人に言いたい句。〈手より手に渡りて屏風運ばるゝ〉などですね。
次に、これまで語られてこなかったと思われる句。〈干網のかげをあびをり菊の鉢〉。そして、日頃から愛好の句。〈日凍てて空にかゝるといふのみぞ〉。
最後に、ふだんから称揚しているので責任範囲として〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉〈水仙の花活け会に規約なし〉。ともかく、書きたい句はたくさんあったし、本として代表句ははずせないしで、片端から。

編集部句の好みが出てるのでしょうかねえ、みなさん。

生駒僕は基本的に書く内容がぱっと浮かぶ句を書かせてもらいましたが、そういう句はだいたい好きな部類に入る句だったのでした。ただ、好きだけど書けない句というのももちろんありました。

編集部それは、どんな?

生駒まず、背景知識が必要な句。草田男年賀、青という雑誌、天智天皇などですね。次に、有名句すぎるため、定評となっている読み方の知識が必要な句。「棒の如きもの」などです。最後に、好きなんだけれど理由が説明できない句。これは最終的にはなんとか書いたような気がします。

相子なぜか私が選んだ句、小諸時代の句と山の句が多かったです。有名なところでは、10月30日「木曽川の~」とか、12月19日「冬帝先づ」とか…。どうも生まれ育ちのせいか、山や川の句が懐かしくなってしまうらしい。
それと、「きびきび」した強めの句の調子がわりと好きだと気づきました。でもそれって、あんまり虚子っぽくないかもしれないですね…。

編集部各自が書きたいものを書くというのが基本でしたが、編集部で要望した句も若干あります。「その中に小さき神や壺すみれ」は関さんにお願いしたいと希望を伝えた。「いかなごにまず箸おろし母恋し」は、やはり虚子と同郷ということで、紗希さんにリクエストした。あと、高柳さんには、週俳の記事、俳句と詩の会 「高浜虚子を読む」にあった高柳さんの虚子句20句撰を参考に、はじめの時期に、リクエストしました。

植物なんかは希望が来てからあわてて調べまくったりしました。

相子最初に割り振っていただいた句や、あとで申し出た句のなかで、「初心者向けの」「実用の」という意味では書くことが難しい句、それはすなわち「ぼーっとした、ぬーっとした、俳人好みのなんだかわからんけど魅力があるただごと句」という虚子独特の世界なのですが、それをどう「初心者」「実用」切り口で紹介するかに悩みました。苦し紛れに同じ季語の別の句に変えさせてもらったりもして、すみません。

生駒僕はたぶん後半の方になってギアを上げたんですが、「なんでこの句をみな持っていかないのだろう。遠慮しているのか?」というような句も結構あり、遠慮しない僕はいただいてしまいました。僕にとっては、依頼されて書くよりもやりがいがあるし、一度自分から宣言してしまうとキャンセルしにくいので、なまけものの僕には都合が良かったです。


いかにも「週刊俳句」的な作り方

相子編集があまりにもボトムアップ型で自由だった。書く句とか、句数とか、各自が選ぶスタイルでしたよね。一人アタマ、どのくらい書くのが目安なんだろう…、執筆者っていったい何人いるんだろう…、見開きで全部同じ解説者とかにならないほうがいいんだろうか…、とか。

編集部通常あまりない進行になりました。その点でやりにくかった部分もあると思います。みなさんに、申し訳なかったかもしれません。通常なら、個人なり編集会議なりで365句を選び、それを執筆者に割り振るという手順でしょうか。けれども、それをやってる暇はなかったというのがあります。

上田ウォームアップなしで走り出すという…(笑。

編集部執筆期間1か月というのは、ちょうどよいと思います。締切があまり先だと、かえって進まないということがありますよね。でも、そこに準備期間、全体の作業デザインとコーディネートなどを含めるとなると、そうとう圧縮になります。

相子ホントにこの日に入稿できるのだろうか…と、途中で若干、余計な心配をしてました(笑)

編集部心配していただいて恐縮です。いちおう進行管理はしていました(笑。日程のお尻は決まっていたので。

相子最後のほうで月別の表になったときに、あ、4月の句ばっかり書いてて、8月の句がない、と気づいて8月の句を書いてみたり、頼まれてもいないのに、自分の中で、勝手に毎月登場できるように均していましたw

終盤、1年分のファイルがメールでどかっと来るようになってからバーゲンセールみたいで面白かったです。

相子今回は、本の作り方自体が「週刊俳句」らしいなと思いましたね。

編集部各自が選んだほうが、おもしろがって書けるんじゃないですか。義務で書くより、書き手も楽しめるほうが、読むほうもおもしろいので。その点、ある程度、実現したのでしゃないでしょうか。それと、キャスティングさえ、しっかりしておけば、大丈夫というアタマはありました。台本をきちっと決めて芝居を進めるのではなく、キャストの都合とモチベーションに任せる。これも、とても「週刊俳句」的、といえると思います。

相子そもそも最初に提示された句のセレクションも「週刊俳句」らしくて独特でした。いわゆる名句よりも渋好みというか…これはどのように?

編集部信治さんの300句選を土台に、あとはテキトーです(笑。「週刊俳句」らしい、というより、信治さんらしい、ということかもしれません。

神野はじめに提示された句群を見て、選ぶ人によって、作家の印象というのは大きく変わるものなんだなあという感想をもちました。信治さんや編集部の好みが、選を、ある程度ユニークなものにしていて、そこが楽しめる部分でもあるかと。

編集部データベースと言いながら、千句程度まで絞ったかたちで提示したので、≪予備選≫的な要素が入ってしまったのですね。

神野「へーえ、こんな句もつくってたの、虚子」的な。「伊太利の太陽の唄日向ぼこ」、なんとなく瀬戸内の海の夕焼けに合うような気がするので、カンツォーネは私も好きです。
この句、日向ぼこに畳の匂いがしないというのが素敵です。
10月27日「食ひかけの林檎をハンドバックに入れ」。モダンな句だなと。写生とか、諷詠とかいう言葉で説明しなくても、ポスターやCMのひとつのように鮮明なイメージとして楽しめばそれでいいような気がします。

編集部句を掘り出すとき、「意外」と思う句が少なくなかったですね。ただ、データベース外からも、各自、句を提示いただいたんですよね。あれでラインナップの充実度がぐんと増しました。

上田自分用の書き抜き帳の虚子のところを、順番に、提案したり自分で書いたり。〈温泉の客の皆夕立を眺めをり〉とか、関さんに書いてもらった〈巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ〉とか、たぶん、そんなに語られてこなかった句だと思うので、うれしいです。
〈草萌の大地にゆるき地震かな〉は、書き抜いてはあったのですが、どこから引いた句か分からなくなっちゃって。毎日新聞の全句集にも載ってない。これはマボロシ? と思っていたら、「新歳時記」に載っていました。

編集部解説を書いていただいた方々にこんなことを言うのはなんですが、この本、並んだ句を順に読んでいくだけでも充分に楽しめる本になったと思います。

上田読者にもそうだといいですね。

編集部365句という句数は、句集1冊分にも近いですしね。


いまも生きている!虚子 (なにそれこわい)

編集部虚子ってどうですか? どのくらい親しんできたかはそれぞれ違うと思うんですが?

相子虚子って茫漠とした面白さがあるよなあ、と改めて、今さらのように思いました。やっぱり面白いです。

神野作品は、昔から面白いと思っていましたが、実際に虚子について語られる言説は、「すごい」「すごい」「写生」「こんなこと言われた」的なものが多かったのが、ちょっと敬遠する理由でもあった。≪師≫としての虚子の側面なんでしょうか。もっと、虚子の句の表現のメカニズムが知りたいし、テクストに即して語りたい、というところがあったので、今回の作業は楽しかったです。

相子「テクストに即して語りたい」。なるほど。でも、私は逆に、いままでが虚子を遠くから、作品・テキストだけでふつうに読んできただけだったせいか、今回の作業で、近しい人が虚子を語った本を読んでみたのが面白かったです。
4月5日の「山国の蝶~」の3回に渡る推敲過程だとか、6月19日の「蜘蛛に生れ」で、京極杞陽が虚子を「蜘蛛のようだ」と言ったこととか。近しい人の文章に触れなければ知れなかったので「へぇ~」と面白く。

上田高野素十、波多野爽波、岸本尚毅、の祖ですから(笑。自分が読んできた俳句、考えてきた俳句の、もっともビビッドなテーマは、すべて虚子の問題設定にはじまるもので、つまり、まさにまだ「生きている」存在。虚子 is still alive. そう考えると、ちょっと、気持ちが悪いですね。

編集部執筆前と執筆後でイメージが変わったとかって、あります?

上田〈いちじくをもぐ手に伝ふ雨雫〉なんていう句を、鑑賞するために、じーっと見ていると、青い葉に囲まれた空間で、雨滴が手にかかる=身体に環境がぐっと参入してくる、という、得がたい瞬間の経験を書いているように、見えてくる。
〈ふるさとの月の港をよぎるのみ〉。海には島があって、港の明かりの上には、柔らかく低い山並みのシルエットがあって、それらが横へ横へと過ぎていく、影絵か絵巻物のようだなあ、とか。
これ見よがしではないけれど、けっこう「なんでもなくない」モチーフの句が、より多く自撰されているのかも、というようなことを、思いました。

虚子については、あんまり変化はありませんでした。知らない句はゴマンとありましたが、漠然と持っていた虚子のイメージから出る句というのはそんなになかったような。

上田みなさんの感触、虚子についての感想を聞いていると、メンバーの中で、自分が、いちばん虚子のことが、ふつうに好きな人だったみたいですね(笑。

編集部ある読者がおっしゃっていました。虚子への愛の深さという点で、信治さんは、他の執筆者とすこし違う、と。

上田やっぱり?(笑

編集部書き手としての個性もそうですが、愛好家としての温度差、悪い意味ではなくて、思い入れの違いみたいなものを感じ取りつつ読んでいただくのがいいかもしれませんね。今日は都合で参加されなかった高柳克弘さんが、ブログに「執筆者によって鑑賞のスタンスがかなり違うので、その差異に注目してみるのも面白いかもしれません。」と書いていらっしゃいますが、たしかに、それも、この本の楽しみ方のひとつだと思います。

相子執筆の個人的な思い出としては、俳句を始めてすぐの十代のころに『虚子五句集』の輪読をしていたのですが、今回、当時書いたメモを見つけて、十数年前の自分に助けられた句もありました。当時の私は、「ぼーっとした、ぬーっとした」句が多い虚子の、どこが面白いのか全然わからなかった気がします。いまになってみると、面白さがよくわかるのですが。この本で、初心者の方にも虚子の面白さが伝わるといいのですが。

編集部伝わると思います。初心者だけでなく、幅広い層に。それではこのへんで。みなさま、お疲れさまでした。


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