2011-06-12

【週俳5月の俳句を読む】 菊田一平

【週俳5月の俳句を読む】
スタスタぺたぺた

菊田一平



ぶらんこにきて上履きと気づきけり  今村 豊

はるかはるか昔の話で恐縮だけれど、小学生になったばかりのころの上履きは「草履」だった。稲わらや麦わらで編んだあの草履だ。今は観光地の民芸品店なんかで売られたりしているけれど、そのころはどこの家でも祖父や祖母たちが夜なべ仕事に編んでいた。

だからだれも草履をはくのを不思議ともなんとも思わなかった。草履を入れる袋は母が縫った。算数セットの計数器を入れる袋のような、チューリップのアップリケの付いた紐付きの袋だ。それを「草履入れ」と呼んでいた。

草履をはいて木造の校舎の廊下を歩くとスタスタぺたぺた音がした。給食室に
渡り廊下を渡って脱脂粉乳を取りに行くときもスタスタぺたぺた。便所への行き返りもスタスタぺたぺた。学校中がスタスタぺたぺたしていた。

休み時間になるとスタスタぺたぺた歩くともだちの草履のうしろを踏んではこけるのをみて手を叩いて喜んだ。油断していると同じように踏み返される。不意打ちを食らった悔しさに、笑いながら逃げるともだちを夢中で追いかけた。他愛ないそんなやり取りを「草履踏み」といった。

草履がすたれてバレーシューズのようなズック靴の上履きになったのはいつのことだったろう。はっきりしないけれど、チリ地震津波以降。たぶん小学校の三年生か四年生あたりのことだったに違いない。

祖父ゆずりの甲高盤広の不恰好な足には上履きのゴムのバンドがきつかった。脱ぐと足の甲にゴムの痕が赤い帯のようにくっきりと残った。草履と違って動きが活発になったけれど上履きって痒いもんだなあと思った記憶がかすかに残っている。


ぶらんこにきて上履きと気づきけり

そう。草履よりはるかに動きが活発になったから上履きのまま校舎を飛び出してしまうことがたびたびあった。今村さんもたぶんチャイムが鳴ると同時にぶらんこや遊動木や竹のぼりにまっしぐらに走った口だったんだろうな。恥ずかしいけれどぼくも同じだった。上履きのままで猛然と校庭へダッシュした。

ぼくたちの小学校のぶらんこは右と左の鎖の長さが微妙に違っていて、漕ぐときしきしきしみながらやや右に回転しながら揺れていくのだった。いやあ、懐かしさに背筋がぞくぞくする。まさかあのぶらんこもう残ってないだろうなあ。


みすヾの忌すずめの交尾目のあたり   
白井健介

鳥跳ねて李の香る奈良や京   
花尻万博

東京はソフトクリームから溶けて   
高崎義邦



第210号 2011年5月1日
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