彌榮浩樹「1%の俳句―一挙性・露呈性・写生」再読
有季定型と「写生」は結婚しうるか(3)
青木亮人
前回まで
前回は、俳句の「一挙性」についてまとめた。
私たちは、僅か十七字にも関わらず小説等と同様に「意味=内容」の完結を求め、そこに一貫した主体のありかを求めてしまう。
その結果、一句における無意味・恣意的な事物の提示がかえって読者に「意味」をうながすことになる。
彌榮氏はこれを俳句の「一挙性」と名付けたのであり、それを実際に「階段が無くて海鼠の日暮かな」で検討したのが前回だった。
その際、「一挙性」の「歪み」について触れることができなかった。そのため、今回は「歪み」を整理した後、氏が信奉する「写生」をまとめることにしよう。
6.俳句における「歪み」
「1%の俳句」における「歪み」は複数の位相で示されており、全てを詳述するのは難しい。ここでは、俳句形式の「一挙性」がもたらす「歪み」のみ紹介しよう。
階段が無くて海鼠の日暮かな 橋 閒石
「階段が無い/海鼠/日暮」は日常で体験しうる事物や時間であり、また無関係に近い。しかし、これらが一句内に押しこまれて一挙に提示されると、「“無関係”が“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立する」(彌榮浩樹「1%の俳句」)。
この「一挙性」を、角度を変えて検討してみよう。
一見無関係に感じられる「階段が無い/海鼠/日暮」は、なぜ一句内に収まりえたのか?
それは、「て・の・かな」の助詞の働きによる。これら助詞が(それ自体)無関係な三者を縫いつけた結果、「階段が無くて海鼠の日暮かな」と有季定型に収まりえたのである。
この助詞について、彌榮氏は次のように述べていた。
日本語では、実体語である「名詞」「動詞」「形容詞」という「詞」以上に、「助動詞」「助詞」と分類される「辞」がより重要だが、そうした「辞」の重みが極端に表現されたものが「切れ字」なのだ。(「1%の俳句」、「群像」2011.6)
「切れ字」について、今回は触れない。注目したいのは、「「詞」以上に、「助動詞」「助詞」と分類される「辞」がより重要」という一節である。
なぜなら、俳句の「歪み」が発生する“場所”は、「詞」以上に「辞」であることが多いためである。
では、なぜ「辞」は「詞」以上に「歪み」を現出させるのか?
これを検討するために彌榮氏の論から一度離れ、正岡子規の「写生」を参照してみよう。子規が理想とした「写生」は、次のような句である。
赤い椿白い椿と落ちにけり 河東碧梧桐
「赤い椿、そして白い椿という風に――椿が落ちた」というこの句に対し、当時の俳諧宗匠は「ただごと」(素人でも詠める凡句)と批判したが、子規はこの句こそ「写生」の秀句と礼讃した。
子規が賞賛した理由は複数あるが、一点のみ挙げよう。それは、作品を読む速度(=物語言説)と内容を理解する速度(=物語内容)が合致する(と錯覚しうる)作品だったために他ならない(このあたりは絓秀実氏『日本近代文学の誕生』〔太田書店、1995〕等に詳しい)。
分かりやすく述べると、私たちは「赤い椿白い椿と落ちにけり」を読む数秒間に、句の「意味=内容」を一瞬で“風景”に還元しうるはずだ。
なぜなら、内容がごく単純である上、「椿が落ちる」という現実かつ瞬時に体験しうる出来事のため、読者は句を読み進めながら「眼前に実物実景を観る」(子規「明治二十九年の俳諧」、明治30)ように「意味=内容」を還元しうるためである。
ところで、碧梧桐句がかくも円滑に“風景”を喚起しえたのは、助詞と助動詞の使用法にあるといえよう。
赤い椿白い椿「と」落ち「にけり」
この句における「と」「けり」は、実際は話者=主体の判断が込められた「辞」であり、特に「と」には強い判断がある。しかし、私たちが「赤い椿」句を読む際、「と」をさして意識しないのではないか。
通常、作者=主体の判断が提示されると、読者が「意味=内容」を風景に還元する速度は遅くなる(または乱される)ものである。次の句を例に考えてみよう。
鶏頭の十四五本もありぬべし 子規
この句の内容は極めて単純である。そのため、読者は「意味=内容」を一幅の情景に容易に置きかえられる……はずが、「ありぬべし=辞」の扱いにとまどうのではないか。
「これほど単純な内容なのに、作者=主体はなぜ「ありぬべし」と強調しなければならないのか?」という風に(作者の子規には理由があったが、作品からは判断しえない)。
このように感じる読者は、「ありぬべし」に見合う「意味=内容」を補完しようと模索する。しかし、句は十七字で完結しているため、読者はそれ以上進むことができない。
◆表現(物語言説)―「ありぬべし」という主体=話者の強い判断
◆内容(物語内容)― ?(作品に、「ありぬべし」の強さに見合う内容が見当たらない)
このギャップが解消できない時、読者は「意味=内容」を瞬時に風景に還元できず、句を理解する速度にブレーキがかかってしまう。
その瞬間、句を読み下す速度と内容把握の速度が乱れてしまい、「眼前に実物実景を観る」(子規)ようには「意味=内容」を処理しえなくなるのである(余談だが、斎藤茂吉が「鶏頭」句を絶賛したのはこのためである)。
追記(7/25 22:39)
斎藤茂吉が「鶏頭の十四五本もありぬべし」を絶賛したのは、「ありぬべし」という強調が純粋な主体の意思表示=主観の現れと感じたためと推定される。
・物語言説→「あり“ぬべし”」という強調
・物語内容→ほぼゼロ
このように、物語内容がゼロに等しいため、
そして、
ただ、茂吉の“近代”には多様な要素が含まれているため、
(追記終)
つまり、子規の「鶏頭」句がこのような事態をもたらすのは、内容の単純さと「ありぬべし=辞」の強調が見合わないため、といえよう。
この点、彌榮氏が指摘する「「ありぬべし」という表現の複雑さ、認識の濁り、速度の遅さ、摩擦感」(「1%の俳句」)という一節は、「ありぬべし=辞」がもたらす物語言説/内容の速度の不一致を指すものと推定される。
では、碧梧桐句にこのような事態が生じないのはなぜか?
詳細は省くが、「赤い椿白い椿と」は、「赤い椿白い椿」の「意味=内容」を「落ちにけり」という現実かつ瞬時に体験可能な出来事にのみ収斂するよう働いているために他ならない。
その結果、読者は「意味=内容」を一瞬で把握しうるフレームに収めうるのであり、この点、碧梧桐句の「と=辞」は物語言説/内容の速度を一致させる働きがあるといえよう。
ところが、これと真反対に「辞」を用いたのが橋閒石だった。
階段が無く「て」海鼠「の」日暮「かな」
この句において、読む速度と内容理解の速度はまるで一致しない。
私たちは作品を数秒で読みうるが、「階段が無くて海鼠の日暮」の「意味=内容」を理解するには――今=ここで一望しうる情景に還元するには、という意味――、読み下す速度以上に時間がかかるはずだ。
この齟齬、つまり読む速度(物語言説)と内容把握(物語内容)を乖離させる犯人(?)こそ、「て・の・かな」の「辞」である。
これらの「辞」は、「階段が無い/海鼠/日暮」という三者をあたかも関係あるように縫合することで、数秒で読み下しうる完成品として読者に提示する。
読者は完結した(と信じる)閒石句を受け取り、「意味=内容」を充填しようとするが、熟慮してもそれは揺れ続け、定まることはない。
物語言説は数秒程度、しかし物語内容の理解には膨大な時間がかかる……碧梧桐句と異なり、閒石句の「辞」はなぜこのように乖離をもたらすのだろう。
「て・の・かな=辞」は、「階段が無くて海鼠の日暮かな」と一挙に作品を完結させたが、それにも関わらず、「階段が無い/海鼠/日暮」は無関係な事物同士であることを保ったままである。
その結果、「“無関係”が“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立」(「1%の俳句」)せざるをえない。
この瞬間、物語言説/内容の速度が乖離してしまい、「歪み」が生じるのである。
閒石句に魅力があるとすれば――「内容が分からない」と魅力を感じない俳人も多いだろう――、さしあたってはこの「歪み」に存在するといえよう。
他ジャンルと比較すると、このような乖離=「歪み」は小説等より強く発生する可能性が高い。なぜなら、僅か十七字の俳句は物語言説が極度に短縮されてしまい、物語内容との乖離が顕著になりやすいためだ。
そして、この乖離=「歪み」を強く助長するのが(閒石句においては)「辞」である、とひとまずはいえよう。
ところで、「歪み」は橋閒石の作品に限らない。およそ優れた句は「歪み」を現出させるものであり、それは次の句も同様である。
人参を並べておけば分かるなり 鴇田智哉
句意は述べるまでもなく、読んで字の通り……と言いたいが、一つ問題がある。
人参を並べておけば何が分かるのか、まるで分からない点である。
作品をいくら読んでも、この答えは得られない。
答えを示す代わりに、句は黙って「分かるなり」の「意味=内容」を探るよう読者に強要し、後は口をつぐむのだった(この「強要」については、前回レビュー(http://bit.ly/m3u4BK)5を参照)。
しかも、「人参を並べ「ておけば」分かる「なり」」の「辞」は、「意味=内容」の補完を読者に強く求めるよう働くのである。
これを詳しく見てみよう。
「人参を並べ「ておけば」」は、「人参を並べれば」「人参が並んでいれば」以上に作者=主体の意図を感じさせる「辞」である。しかも、作品は「分かる「なり」」という力強い断定(!)で終わっている。
これを受けとる読者は、「そこに作者=主体の何らかの意図や理由があるはずだ」と感じるのが普通だろう。
しかし、句は「意味=内容」について何も語らない。作品は黙って読者の手を取り、何もない余白――ハイデガーの「空け開け(Lichtung)」に近いだろうか――へ、いざなうのみである。
人参を並べておけば □ 分かるなり
読者は広々と空け開かれた“□”に招きいれられ、そこにたたずみつつ、何が「分かる」のか……と思案するだろう(これと同様のことを、田島健一氏〔俳句実作者、「炎環」所属〕が「俳壇」2011 .7で指摘している)。
そもそも、「分かる」は「□が(は)分かる」という意味であり、□とともに把握する動詞といえる。つまり、何らかの主体=主語を必要とする動詞なのだ。
ところが、「人参」句は「分かるなり」と動詞ぶり(?)が強調されながら、□は余白のまま空け開かれている。
その一方、作品内では「人参を並べておけば…」と細かいディティールが示されているのである。
これを受け取る読者は、いやが上でも作者=主体の意図を考えざるをえない。「□が“分かる”のだろうか。または□は“分かる”のかもしれない。あるいは……」
――しかし、“□”は何も応答しないのである。
「応答しない」というより、次のように述べた方がいいかもしれない。「人参」句における“□”は、読者をどこにも存在しない「意味=内容」の彼方へ歩き出すよう、ただ無言で指し示すのである(ちなみに、鴇田氏の句にはこのような構造が多い)。
この点、「人参」句の完全な「意味=内容」は読者の前についに到来しない。
より正確にいえば、鴇田氏の句において、「意味=内容」は、ついに現れないという状態で、常に到来するのである。
このように読者をいざなう“□”は、前回のレビューで指摘したように、「偶然を装った、恣意的かつ無意味に見える事物の提示こそ、読者を「意味」へと誘惑し、かつ今=ここに一望しうる風景の復元に走らせ、そして作者=主体のまなざしを強烈に感じさせる」(「有季定型と写生は結婚しうるか2」)働きをすることは、言うまでもない。
表現上は作者=主体の判断が記され、具体的なディティールも書きこまれながら、肝心の「意味=内容」が空白のまま一挙に作品として完結してしまうということ。
この不均衡=「歪み」の発生を可能とするのが、僅か十七字で完結する(と信じられる)俳句形式であり、また「歪み」を助長するのが「人参を並べ「ておけば」分かる「なり」」の「辞」だった、といえよう。
彌榮氏の論に戻ると、「1%の俳句」はこの「辞」のありようを「露呈性」という特徴も含めつつ、示唆的に述べるに留まっているが、この「辞」に対する感覚は広範な射程を秘めたものといえよう。
私見では、本居宣長が明確に主張し、折口信夫が直観的に指摘するとともに時枝誠記が整理した、かの「日本語=辞」に宿る主体の影――生霊や「まれびと」のように――につながる認識になりうる、と推定される。
無論、宣長や折口の「辞」は和歌/短歌に関してであり、俳句に関してではない。
ただ、短詩形の短歌及び俳句は、日本語の「辞=主体」のありようを急激に露呈する――それは時に「人参」句の“□”に近いものとして現れるだろう――可能性が高いといえよう。
しかし、これを論じるのは「1%の俳句」レビューの役目ではない。「辞」による「歪み」の整理は以上とし、次に彌榮氏の「写生」観を紹介しよう。
7.なぜ「写生」という言葉を?
彌榮氏が俳句の本質に「写生」を挙げたことは、「1%の俳句」を読めば明瞭である。
では、氏はなぜ「写生」を本質と見なしたのか? これを充分に解きほぐすには「写生」に関する問題を多々検討する必要が生じるが、今回は詳細に立ち入らない。ここでは、氏の「写生」観の要点を整理するに留める。
まず、「1%の俳句」における氏は「写生」をほぼ俳句の絶対条件と信じ、それ以外を認めない姿勢を貫いた。
その理由の一つとして、氏には「写生」が単なる技法でなく、過去の膨大な作品群を丸ごと内蔵した言葉のために強く主張したのでは、と推定される
以前に述べたため詳細は省くが(「批評家たちの「写生」3」、竹中宏主宰「翔臨」70号〔2010〕等)、私たちが「写生」を具体的に想像する際、提唱者の子規句よりも高浜虚子や「ホトトギス」雑詠欄の句群を想像する場合が多い。
芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏(大3.11)
白露に阿吽の光さしにけり 川端茅舎(昭5.11)
ぬかづけばわれも善女や仏生会 杉田久女(昭8.7)
夏草に汽罐車の車輪来て止まる 山口誓子(昭8.10)
川を見るバナナの皮は手より落ち 高浜虚子(昭10.12)
白日紅葉煙草廃めたる両手垂らし 中村草田男(昭14.2)
〔虚子句は「ホトトギス」所載「句日記」、他は「ホトトギス」雑詠欄〕
詳細は省くが、実作者は右のような句群を想起した時、初めて「写生」に驚嘆するのではないか(賞賛/批判いずれにせよ)。
現代の私たちは、まず虚子率いる「ホトトギス」の句群を想定し、次にそれらを出現させた起源を探した結果、明治期の子規俳論を遡及的に発見する……という手順で「写生」観を形成する場合が多い(ただ、これは俳句実作者の傾向で、一般的には子規から入る場合も多い)。
しかし、右の引用句群をよく見ると、これらが一貫した理論や概念に貫かれているとは言いがたい。
しかし、当時の句作者や読者たちはこれらを「写生」の実践と信じ、そのように解釈しつつ、人に語り続けたのである。
「写生」という、どのようにも捉えうる魔法のささやきに胸を躍らせながら、俳人達は蛇笏や誓子達のように句を詠もうと切磋琢磨したのだった。
ここで彌榮氏の「写生」観に戻ると、氏はこれらの句群が「写生」として実践され、信じられたという近現代句の道程を信じ、引き受けようとしたために「写生」という語=歴史を重視したように感じられる。
この点、氏の「写生」は理念や理論というより、明治~昭和期の「写生」句を引きつれた具体的な作品像の総称という方が近いかもしれない。次の一節を見てみよう。
例えば、「季語」を語ろうとする。しかし、「季語」は、他の俳句の様々な特質と相互に絡みあいながら俳句作品の中で実現されるのであり、それらと切り離された語りでは、1%の俳句における「季語」の働きはほとんど見えない。(…)1%の俳句における「季」の表現とは、「秋」だから歳時記の秋の項目に載っている「季語」を入れる、といった機械的な平板なものではない。(彌榮氏「1%の俳句」)
「1%の俳句」において、「写生」「季語」等は理論的に整備された技法論や文化論等に還元されるものでなく、蛇笏や虚子、素十等の具体的な作品を引きつれた上での説明とならざるをえない。
そのため、氏の俳句論には「99% vs 1%」といった価値観及び俳句史観が付随することになるのだが、さしあたって彌榮氏は過去の作品群を携えた実践の総称として「写生」という語を重視した、という点を確認しておこう。
このようにまとめると、「では「写生」という認識自体に意義はないのか」という疑問が浮かぶかもしれない。
無論、そのようなことはない。彌榮氏にとって「写生」は看過しえない認識であり、それゆえに論の中心に据えたことも事実であろう。
では、「1%の俳句」が重視する「写生」とは一体どのような認識なのだろうか。
8.「写生」=俳諧性?
「写生」とは何か――この巨大な問いにはいくつもの答え方が想定されるが、今回は一点のみ挙げる。
それは、近代俳句が江戸期俳諧と手を切った時に獲得しえた、ほぼ唯一の俳諧性だったと推定される。
では、“俳諧性”とは何か――これも巨大な問いかけであるが、ここでは次のように定義することにしよう。
和歌・漢詩、あるいは小説や演劇、これらが文芸としての意味をみずからに問いかけることは極めてまれだろう。
それにひきかえ俳諧は、俳諧とはなにか、という自問自答を繰り返さねばならない文芸であった。俳諧の歴史は、俳諧性や俳意というものを、自己確認しつづける宿命にあった。
(藤田真一氏「田中道雄著『蕉風復興運動と蕪村』書評」、学術誌「国語と国文学」2002.9)
江戸俳諧研究者の藤田氏は、“俳諧性”を「俳諧とはなにか、という自問自答」そのものと定義した。
詳細は省くが、“俳諧性”とはよく言われるように「滑稽味」や連衆との「座の文芸」以上に、メタレベルの認識そのものを作品として示す文芸に他ならない(ちなみに、“俳諧性”を「滑稽」「座の文芸」とするのは、多くが近代俳句以降から遡及的に発見した俳諧の姿であり、それが江戸期俳諧の全てではない)。
実際の作品で見てみよう。
鮓(すし)をおす石上(せきじょう)に詩を題すべく 蕪村
現代の私たちからすると、シュールな内容に感じるかもしれない。しかし、この句は『和漢朗詠集』の文句をずらしたところに趣向がある。
林間暖酒焼紅葉(林間に酒を暖めて紅葉を焼き)
石上題詩掃緑苔(石上に詩を題して緑苔を掃く)
白楽天の漢詩で、いかにも詩人の所作らしい内容といえよう。
蕪村は、この詩の一節を鮓を漬けこむ重しの石に見出した。
「鮓をおすこの石は、(かの白楽天のように)漢詩を書くにちょうどよい」――すなわち、『和漢朗詠集』という風雅な理念=価値規範を、鮓石という現実の俗事に見出すことで漢詩の世界観をずらす、つまり風雅な理念がずれること自体にこの句の“俳諧性”がある。
言いかえよう。白楽天というカノン(価値規範)に鮓石という現実の俗事を裁ち入れることで、「カノン」と信じられている価値観を揺るがす認識そのものに、蕪村句の“俳諧性”が存在するのである。
藤田氏が指摘するように、和歌や漢詩が自らの価値観をゆさぶる事物を率先して詠むことは稀であろう。ただ俳諧のみが和歌ではないものを、漢詩ではないものを、つまり和歌や漢詩等のカノンを受け入れつつもそこからずれるもの、はみでるものを謳い続けたのである。
分かりやすく述べると、「ある価値規範や先入観等をいったん受け入れた上で、その先入観をずらし、揺さぶりをかける、その営為自体が“俳諧性”」となろうか。
この点、俳諧は俳諧そのものとしては実在しない。和歌でありつつ和歌でないもの、漢詩でありつつ漢詩でないもの、この緊張に満ちた往還運動そのものが――藤田氏の言でいえば、「自問自答を繰り返さねばならない」――“俳諧性”なのである。
ところが、近代俳句はこれら文芸上のカノン=価値規範を排除してしまった。
子規以降の俳句は和歌や漢詩等のみならず、江戸期までの日本文芸の世界をほぼ焼き捨ててしまったのである。
その結果、近代俳句は蕪村句のような“俳諧性”が不可能になった。
しかし、それに近いものを醸成しうる契機が僅かに存在しており、その一つが「写生」だったと推定される(今回は触れないが、他には一部の自由律と新興/前衛俳句にも“俳諧性”が見られる)。
このように記すと、語義矛盾に感じる人が多いかもしれない。なぜなら、「写生」は “俳諧性”を滅ぼした張本人であり、その「写生」が“俳諧性”たりえるとは、一体どういうことなのか――確かに、これを示すには多くの論証を行う必要がある。
しかし、ここでは字数の都合上、「写生」が“俳諧性”を発生しうることを簡単に示すことにしよう。
9.「写生」とは
「1%の俳句」において、「写生」は次の例とともに説明されている。
α―太陽は東からのぼり西に沈む
β―太陽は西からのぼり東に沈む
γ―太陽は動かない、地球が太陽の周りをまわっているのだ
これらは、「αは僕たちの知覚世界、βは『天才バカボン』の主題歌の歌詞、γはガリレオ・ガリレイの地動説」(「1%の俳句」)であり、この中で「写生」はαに近いという。なぜなら、「写生」は現実の体験を重視する認識のためである。
しかし、「写生」は厳密にはαではない。氏は続けて次のように説く。
これらの句(=「写生」句、引用者注)がαに近いヴァージョンであるということ、βやγと比べてみると、ほとんどαだといってもよいヴァージョンだ、ということもまた極めて重要である。「写生」という言葉の内実はそこにある。すなわち、現実でありつつ現実でないものが「写生」の核心である、というのである。
αとは異なるヴァージョンでありながらαに酷似している、疑似α性ともいうべき性質、それが俳句の「写生」のもう一つの核心なのだ。(「1%の俳句」)
では、それはどのような姿なのか。ここで「1%の俳句」から離れ、中村草田男の句を解釈した山本健吉の文章を例に考えてみよう。
四十路さながら雲多き午後曼珠沙華 草田男
昭和二十二年作。草田男はだいたい四十代に多事な戦争前後の時代を過ごしている。(略)自分の四十路はさながら今日のこの雲の多い午後に似ていると取ることもできる。しかも雲の多い秋の郊外には、おびただしい曼珠沙華の群れである。
「曼珠沙華」はこの場合動かない。曼珠沙華は何か寓意的な花である。
(山本健吉『現代俳句』)
山本は、作者草田男の「多事な戦争前後の時代」を参照することで「「曼珠沙華」はこの場合動かない」と結論付け、作品から「寓意」を読みとろうとした。
確かに、草田男句にはこのような側面も強い。しかし、次のようにも捉えられないだろうか。
季語「曼珠沙華」が「この場合動かない」と必然性を帯びるのは、作品が十七字で一挙に完結したためであり、「曼珠沙華」自体は偶然を湛えた事物なのではないか、と。
草田男句における必然/偶然について、細かく見てみよう。この句を分解すると、次のようになる。
A―四十路さながら
B―雲多き
C―午後
D―曼珠沙華
橋閒石の句でも確認したように、A~Dの語自体に強い関連は存在しまい。ただ、現実の感覚に照らすとB・Cは一幅の情景に還元しうるため、関係があると感じうる。
同時に、「雲多き午後」という“風景”が常に「曼珠沙華」を必要とするかといえば、そうではあるまい(これに比べると、「雲多き午後」と「四十路さながら」はまだ関係性を見出しやすい)。
しかし、一句はすでに完結しているため、A~Dは「“無関係”が“無関係”のままで、一句の中で“関係”として成立する」(彌榮氏「1%の俳句」)。
その結果、一見恣意的な”関係”を受けとる読者は、むしろそこに作者=主体の意図を読みとり、作品の表現と「意味=内容」の間に必然性を見出そうとするだろう。
では、なぜ私たちは表現と内容の間に必然性を求めるのだろうか。
一つには現実に生きるということ、つまり自分が自分であることの価値を願い、それゆえに過去から将来に至る人生を一貫したもの、意義あるものとして私たちが生きようとするためだろう。
私たちは、自らの体験一つ一つに「意味=内容」を見出し、自らの人生における過去―現在―将来を緊密に縫いつけ、全てを必然の歩みとして理解することで、生きることに価値や意義を見出そうとする。
従って、暮らしの中で無意味かつ不可解なもの、また偶然に満ちたもの――何かの事件や突発事など――に出会った時、「意味=内容」という必然を見出すことで安心しようとするだろう。
もし、全てが偶然としたら……自分が生まれたのは偶然、また今見ている個々の事物は偶然に存在し、どれもが無関係であり、しかも昨日の自分と明日の自分は同一でなく、偶然そうだったというに過ぎない……これはもはや精神分裂に近く、通常の生活は無理だろう。
私たちの多くは、現実とはもしかすると偶然かつ無意味な事象の羅列かもしれないが、それでは生きていけないため、「意味=内容」という必然や物語でそれを覆い、安心しようとしているのである(ちなみに、こういう意識を持つこと自体が近代に顕著な感覚といえる)。
俳句の解釈も、これと同様ではないか。
表現と「意味=内容」の間に何らかの必然性を見出さないと、私たちは不安に陥るのである。
ここで、草田男句及び彌榮氏の論に戻ろう。
草田男句のA~Dはさしあたって現実の事象である。加えて、一句として完結しているため、互いの関係に必然性があるように感じうる。
この点、草田男句は「太陽は東からのぼり西に沈む」というα=現実のヴァージョン(「1%の俳句」が参照したネルソン・グッドマンの概念)をなぞった作品といえよう。つまり、私たちが日々体験する出来事を、追体験しうるものとして詠んだのが草田男作品である。
しかし、この句はそれのみだろうか。
草田男句の「四十路「さながら」雲多き午後「曼珠沙華」」という部分には、必然を揺るがす不穏な偶然が顔をのぞかせているように感じられる。
それは“三十路さながら”だったかもしれず、また“春の桜”でもありえたのに、なぜか現実は“四十路さながら”“曼珠沙華”でしかありえないということ、つまり作品内では必然に彩られながら、その裏には「○○であったかもしれず(過去)、あるいは○○のはず(将来)でもありえたにも関わらず、現実はこうでしかありえない…」という偶然性がはりついていることを、露呈してはいないか。
これを言いかえてみよう。
私たちは、 「四十路さながら雲多き午後曼珠沙華」を読み進めつつ、句の「意味=内容」に見合う現実のヴァージョンをかき集め、その合成物の中で“現実=過去”を追体験しようとする。
つまり、過去の実体験=記憶から適当なものを集め、今=ここで一望しうるフレームに収まるよう「意味=内容」の完成を目指すことで、自身にとっての現実のヴァージョンを安心して追体験するのである。
しかし、「四十路「さながら」雲多き午後「曼珠沙華」」には作者=主体の意思が――読者に恣意的に感じられる作者=他者の選択の現れとして――、「意味=内容」に還元しえない残余として漂ってしまう。
この時、読者は次のように感じるだろう。
「なぜ三十路や五十路でなく、“四十路”そのものでもなく、“四十路さながら”なのか? なぜ“”百日紅”“秋彼岸”などでなく、“曼珠沙華”でならねばならなかったのか?」と。
作品の奥底からこのように解釈の可能性が口を開け始めると、多くは“四十路さながら“や“曼珠沙華”の必然性を作家の人生や境涯に照らしつつ、「この場合動かない」と納得しようとするだろう。
先にも述べたように、私たちは「意味=内容」という必然をおおいかぶせることで現実のヴァージョンを安定したカノン=価値規範と信じ、それなりに納得しつつ日々を暮らしているためだ。
同様に、たとえば“曼珠沙華”は秋に咲くから秋の花であり、昔から彼岸を想わせる花と信じられたために“彼岸花”なのである。
このように私たちは“曼珠沙華”をカノン=価値規範として、つまり「そういうものだ」と信じることで、「そうでないかもしれない」という可能性=偶然性を遮断しつつ、“曼珠沙華”という季語を必然として使用してきたし、これからもするだろう。
ところが、草田男句は“曼珠沙華”というカノン=必然を詠みこむとともに、それを揺るがす偶然性を到来させてしまっている。
それは、「四十路さながら雲多き午後」になぜ“曼珠沙華”が詠まれるのか、作品からは判断しえないためであり、その結果、読者は「他の季語でもありえたかもしれないのに、なぜ“曼珠沙華”でなければならなかったのか?」という問いを発動させるために他ならない。
しかし、十七字の俳句作品は、読者安定した「意味=内容」を、つまり必然性を帯びた回答=カノンを最終的に与えることはないだろう。
「人参を並べておけば分かるなり」が最後まで「分からない」のと同じように、草田男句の“曼珠沙華”(と“四十路さながら”)は「そうでしかありえなかった」必然と、「他でよかったかもしれない」偶然が手を携えたまま作品内に休らっているのである。
この草田男句のありようを参考にしつつ、「写生」の“俳諧性”をまとめてみよう。
草田男の作品は、「雲多き午後」や「曼珠沙華」、あるいは「四十路さながら」という言葉を日常の現実からつかみだし、見定め、「写生」句として整えた。
彼が眼前の「曼珠沙華」等を実際に「写生」したかどうかは、さして問題ではない。
重要なのは、読者が自ら過去に体験した――もしくはこれから体験しうる――現実のヴァージョンを注入=充填しやすい言葉によって作品が成立している点である。
すなわち、「写生」は作者の実体験の有無が問題ではなく、読者が現実のヴァージョンを充填しえる言葉が選ばれているか否かが重要であり、この点、草田男句は読者が抱く現実のヴァージョンを、つまり日常生活におけるカノン=価値規範を――読者が「そういうものだ」と思いこんでいる体験や価値観などを――受け入れた「写生」句、といえよう。
しかし、読者が作品に現実のヴァージョンを注入し、句の世界を「意味=内容」で満たすことで安心しようとすると、草田男句はそれに収まらないものを開示しはじめる。
なぜ“四十路さながら”なのか、なぜ“曼珠沙華”なのか?
この時、読者は草田男の作品に不穏な影をかすかに見出すだろう。
……これまで「そういうものだ」と信じ、日常生活や句作において何気なく接してきた“曼珠沙華”という季語や、その実体。
または、雲多き“という風景や“午後”という時間帯、あるいは“四十路さながら”という措辞。
これまで――そしてこれからも――「意味=内容」を充填しつつ、安心して接してきた/接するはずのこれらの実体験や価値観、言葉は、本当に「そういうもの」だったのだろうか。
句に詠まれた言葉の群れは、読者がこれまで体験した現実のヴァージョンを次第に揺さぶり、それが読者=あなたにとって単に一つのヴァージョンでしかないことを静かに開示するだろう。
さらに、それは読者に次のように問いかける。「あなたにとって、これまで信じてきた(そしてこれからも信じるであろう)現実のヴァージョンとは、一体どのようなものか?」と。
この点、私たちは草田男句を通じて過去に体験した現実のヴァージョンを単に追体験するのでなく、慣れ親しんだ(はずの)現実=実体験のヴァージョンが、(実は)さまざまな可能性があったにもかかわらず、そうでしかありえなかった“過去=宿命”という形をとって、読者の前に初めていきいきと現前するのではないか。
いずれにせよ、草田男の「四十路」句は読者が注入する現実のヴァージョンを受け入れるとともに、それを揺さぶり、ずらしかねない契機を発生させるのである。
まとめると、和歌や漢詩等のカノンが消滅した近現代において、「写生」は現実のヴァージョンをカノン=価値規範として作品内に招待し、歓待しながらも、それをずらし、揺るがす装置として俳句形式に宿るといえよう。
それを受けとる読者は、自らの現実のヴァージョンに対して「自問自答を繰り返さねばならない」(藤田氏の一節)。この瞬間、読者に近現代の“俳諧性”が到来するのだ。
「1%の俳句」における次の一節、つまり現実という名の「αとは異なるヴァージョンでありながらαに酷似している、疑似α性ともいうべき性質、それが俳句の「写生」のもう一つの核心」とは、この“俳諧性”を指摘したくだりといえよう。
端的に言えば、彌榮氏は俳句の魅力を日常でありながら、日常からずれるものを現出させる点に見出したのである。
氏にとって、このずれをもたらすのが「写生」であり、また「写生」と括られた過去の作品群がその具体的な実践だった。
そのために氏は「1%の俳句」で「写生」を強調し、俳句の本質として掲げたのである、とはいえないだろうか。
おわりに
すでに長くなったため、最後に次の点をいくつか指摘しつつ、レビューを終えることにしよう。
◆高柳重信の捉え方
反「写生」の象徴として取りあげたのは分かるが、高柳には複数の側面がある。彼は「ホトトギス」が達成した「写生」の凄さを知悉しており、それは実作よりも「俳句研究」編集等にうかがえよう。
むしろ「ホトトギス」内部の俳人以上に「写生」の怖さを知る彼が、論として反「写生」を表明しなければならなかった意味を考えることは、そのまま近現代俳句史の捉え方につながる問題である。今後、氏が俳句実作を軸とする評論活動を展開する際、看過しえないものと推定される。
◆カッシーラー、グッドマンの参照について
カッシーラーやグッドマンの世界認識は空間把握的と推定される(特に「ヴァージョン」など)。
「写生」の捉え方によって見解がわかれるが、「写生」の機構を説明するには、私見では時間認識に関わる哲学・思想等を参照した方が有効に感じられるが、いかがだろうか。
「ヴァージョン」のように空間把握な認識の場合、「△と▼のヴァージョンが異なるといっても、結局ヴァージョンという点では同じでないのか」という風に誤解されやすいように感じられる。
なお、本レビューでは十分に展開できなかったが、鴇田氏の「人参」句についてはハイデガー(ドイツの哲学者)の「空け開け」を、また中村草田男の作品についてはジャック・デリダ(フランスの哲学者)の「差延」及び九鬼周造の偶然論といった認識から示唆を得る点が大きかった。これらは、個人的にはいずれも時間に関する概念と推定される。
◆有季定型と「写生」について
本来、「9.写生とは」に続く章として論じるべき内容だが、ネットの読み物としてこれ以上量が増えるのはためらわれるため、ここに記すことにしたい。
大まかに示すと、有季定型は内容に必然を帯びさせる装置である一方、「写生」は偶然を呼びこむ認識、といえよう。
この両者が拮抗するところに近現代俳句の醍醐味があると推定されるが、それは危うい綱渡りのようなもので、私見では有季定型と「写生」はついに同質たりえないものが潜んでいるように感じられる。
「1%の俳句」においては、有季定型がそのまま「写生」たりえる、というより有季定型だからこそ「写生」が力を発揮する、という論法だった。
今回はそれが刺激的な内容となったわけだが、たとえ有季定型と「写生」が不即不離の関係にあるとしても、両者の関係にずれを見るか否かで今後の俳句観が――または言葉というものの捉え方が――大きく変容するように感じられる。
これから評論家として立つ氏には大きな問題になりうると感じられるが、いかがだろうか。
●
本レビューの一回目冒頭で、彌榮浩樹氏の「1%の俳句」は批評に近い一文である、と指摘した。
なぜなら、「1%の俳句」は「普遍=公共的な価値」を志向するには個人的な信念からしか出発しえないこと、それが多くの他者の誤解と批判にさらされることを覚悟の上で、というよりそのようにしか「文学」を実践しえないことを自覚した論だったためである。
しかし、批評は今一つの信念――むしろ実感というべきかもしれない――を必要とするように感じられる。
それは、断念である。信念を抱き続けることと、断念を抱きしめることは表裏一体であろう。
断念と信念の交錯に立ちつつ、それでも実践=アンガージュマンを試みるべく筆を進めようとする時、初めて批評というスタイルが、そして散文としての文体が切迫感とともに意識され、要請されるのではないか。
いずれにせよ、俳句に少なからず関心を抱く者として、氏の今後の活動に期待したい。
リンク
第1回 有季定型と「写生」は結婚しうるか(1)
第2回 有季定型と「写生」は結婚しうるか(2)
●
0 comments:
コメントを投稿