2011-07-24

リアルに感じられないことのリアルさ2 松尾清隆

リアルに感じられないことのリアルさ 2
堀田季何氏の戦争詠について

松尾清隆



本誌210号に寄稿させていただいた「リアルに感じられないことのリアルさ」という文章についての補足です。佐藤成之氏の一句について書いたものですが、その中でふれた堀田季何氏の第3回芝不器男俳句新人賞への応募作について。

最近になって選考結果と最終選考会の議事録が愛媛県文化振興財団のサイトにアップされているの気づいたので、堀田氏の作品についての各選考委員のコメントから関連する部分を抜き出してみました。


大石「戦争詠っていうんでしょうかねえ、戦争に対して今の若者がどういう風に考えているかっていうことが見えてきて、これも印象深い作品でした」

城戸「ウランという核兵器を作るための原料とウンコが出会うっていうところも、この日常と日常を破壊するものの出会いという点で、非常に新しい俳句の魅力を湛えているんじゃないかと思います」

大石「坪内さんが戦争っていうものを体験として詠うのではなく、頭として理解している、知識として理解している、そういう戦争の世界ではないかとおっしゃって、(中略)もうひとつなんか押してくるものがないなあと思ってたんですけれど、それはやっぱり知識としての戦争が詠まれているせいかと大いに納得しました」

齋藤「向こうに敵がいるからその敵に突っ込めっていう、そういうはっきり敵ってものが分かってればいいけども今は違うわけよね。ものすごいデータを駆使して、いろんな電卓を叩いたりコンピュータを叩いたうえに出てくる、にじみ出てくるのが敵っていうか戦争の正体なんですよね」

城戸「イメージとしての戦争に触れざるを得ない現代人としての宿命みたいなものが、やはり評価すべきじゃないかと思います」

齋藤「日常のある行為とか、ある何かを選択する、そのことで実は我々はもう戦争に加担しているんだということがね、全体から感じられるってことなんですよ」

※敬称略 ※作品については転載の許可が必要なので、直接同賞のサイトをご覧下さい。(→こちら


210号に「齋藤愼爾氏を除く四名の選考委員が積極的に評価しなかった」と書きましたが、上記のコメントをみてわかるように、大石悦子氏、城戸朱理氏からも一定の評価は得られています。私が「残念に思った」のは、最後の一篇に推したのが齋藤氏のみであったということ。対馬康子氏からは「この作者が今、20代、30代を代表する作者となるという決意ですか、選ぶ決意がちょっと私にはまだ、どう納得させようかなと思ってるところなんです」という発言がありましたが、私個人としては、同世代として「戦争に対して今の若者がどういう風に考えているか」を代弁してくれているように感じたのでなおさら残念に思ったという次第です。

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