2012-02-12

〔週俳1月の俳句を読む〕瀬戸正洋

〔週俳1月の俳句を読む〕
見かけた人知っている人

瀬戸正洋


僕が自分のことを「殻潰し」呼んで開き直っていた頃、裏駅のとある屋台でひとりの老人と親しくなった。三十数年も前の話だ。ちくわとはんぺん、そしてコップ酒。その街の喫茶店や図書館で見かけたことも数回あった。若い頃、井泉水のところへ通っていたと言っていた。嘘か本当か知らないが、「井泉水はブックメイカーというのは本当のことで自分も見たことがある」と言っていた。それを言った老人の顔は今でも覚えている。冗談なのかどうかなど二十歳そこそこの僕には解らなかった。しばらくしたある日、話を聞いてくれたお礼だと言って封筒を渡された。中には折られた半紙が入っていて、これは井泉水の書いたものだと言われた。僕は裏打ちして額に入れた。これも本物かどうかも判らない。この日が僕が老人と会った最後だった。胡散臭い話だが、この老人はいったい誰なのだろう。名前も知らない。生きているなら会ってみたいものだ。


それはそれは見事な関東煮でした   生駒大祐

これは、胡散臭い屋台のものではない。味はもとより、器も、顔ぶれも、宴席の雰囲気も「それはそれは見事」だったのである。もちろん日本酒の銘柄も。何よりも作者は、相手に対しても、自分自身に対しても感謝をしているのだ。食べられてしまった「関東煮」でさえも幸せだったのだと思っている。


行き先を忘れてしまふ嚏かな   村田 篠
水鳥なのか流れゆく水なのか

「嚏」によって過去と現在とが分断されてしまう。「老い」の予感に対する不安もあるのだろう。だが、こんなことは暮らしの中では茶飯事なことなのだ。行き先を知っているなどと言うことは自分の思い込みであり、本当はどこへ行くのかなどということは誰も知らないのだ。水鳥も、流れてゆく水も、村田さん自身なのである。原稿用紙に定規で線を引く。真ん中に点を打ち、それが現在、左が過去で右が未来。時間とはそんな単純なものではないだろう。未来は原稿用紙から離れたところにあるかも知れないし、斜め上にあるのかも知れない。もしかしたら、裏側にあるのかも知れない。楽しい時間は短く嫌な時間は長い。これは僕らの経験だ。人生とは水鳥なのだ。流れゆく水なのだ。自分が思いもしなかったところに立ち竦み、いつも喘いでいるのだ。


初空にビル白々とご町内   上田信治

「白々」とご町内の「ご」。それに上五に「初空に」と置いた。上田さんは自己批判をしている。僕は「成分表」の愛読者だ。これは、僕の偏見だが、上田さんの俳句と「成分表」は同じだと思っている。かつて「成分表」に、彼は赤塚不二夫の「天才バカボン」のことを書いた。バカボンもバカボンのパパの行動も、よく見れば、僕らが普段していることと全く同じことなのだ。赤塚不二夫は僕らのあたりまえの日常をバカボンやバカボンのパパに演じさせる。嘘をついたことがばれてしまっても嘘をつき通さなければならない。何故、真面目なひとの行動を見ると笑ってしまうのか。何が面白いのか。「ナンセンス」とは、いったい何なのか。いろいろと考えさせられてしまった。


七曜のまたはじまつてしまふなり   西原天気

西原さんは時間を止めたいと思っている。時間を非常に意識している。これもひとつの真理だ。元日は日曜日だった。土曜日の二十三時五十九分、粋がっても身構えても、年は明けて、二分、三分と過ぎ去ってゆく。新しい年から新しいことをはじめようと思っても、その一瞬はあっという間に過ぎ去ってしまうのだ。僕らは、新しく生まれ変れるはずの、「一月一日の『午前零時』」を落ち着いてたっぷりとかみしめたいのだ。


浅草冴ゆ左利き用包丁買ひ   谷口智行

左利き用包丁を買ってあげた相手というのは、いつも通っている小料理屋の女将なのか、どこかの「別嬪さん」なのか。「冴ゆ」と「左利き」という言葉から彼の後ろめたさのようなものを感じる。谷口さんの医師(科学の世界)としての領域が広くなればなるほど、熊野の闇(非科学の世界)は無限大に広がっていく。知の世界が深まれば深まるほど、未知の世界は狭まって来るのではなく、同じように未知の世界も広がっていくのだ。世の中には、知の世界では説明の出来ないことはいくらでもある。不思議なことばかりだ。彼と話した時、僕らが谷口さんについて考える場合、熊野にこだわり過ぎると彼の本質である「何か」から外れてしまうのではないかということを、ふと思った。「別嬪さん」という言葉も、その時、彼から聞いたのだった。何かとても新鮮な経験だった。もちろん僕は、「別嬪さん」が誰なのかも知っている。


第245号 2012年1月1日
生駒大祐 うしなはれ 5句  ≫読む
村田 篠 水鳥 5句  ≫読む
上田信治 ご町内 6句  ≫読む
西原天気 胸ふかく 5句  ≫読む

第246号 2012年1月8日
特集・新年詠2012  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む  ≫読む

第247号 2012年1月15日
谷口智行 初 暦 7句 ≫読む
小林千史  7句 ≫読む

第248号2012年1月22日
雪我狂流 日向ぼこ 7句 ≫読む
依光陽子 涯 hate 7句 ≫読む
矢口 晃 蝌蚪は雲 7句 ≫読む
山下つばさ ぱみゆぱみゆ 7句 ≫読む
福田若之 既製品たちと歌ううた 7句 ≫読む

第249号2012年1月29日
望月 周 冬ゆやけ 7句 ≫読む
林 雅樹 紛糾 7句 ≫読む
松本てふこ 遊具 7句 ≫読む
野口る理 留守番 7句 ≫読む

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