【週俳9月の俳句を読む】
俳句は齢を重ねてこそ
山﨑百花
ゆふぐれの壜ゆふぐれの彼岸花 るふらんくん
情趣ゆたかな句です。
山﨑百花
ゆふぐれの壜ゆふぐれの彼岸花 るふらんくん
情趣ゆたかな句です。
壜は空き壜、洋酒が半分ほどはいった壜、ハーブオイルを作っている壜、などなど。
彼岸花が壜に差してあってもいいし、庭に一叢あってもいいし、写真の中の「ゆふぐれの彼岸花」でもいい。
「ゆふぐれ」のリフレインが効いています。
なんども読んでいると、壜は作者だったり読者だったりしてしまう。
「ゆふぐれの 壜 ゆふぐれの 彼岸花」
るふらんくん、上手に年を取りましたね。
盆踊青き闇よりはじまりぬ 柏柳明子
夕映えが収まり、櫓の提灯の灯が目立ちだす頃。薄青い空が、東からだんだん濃い青になり、夜を迎えます。
盆踊青き闇よりはじまりぬ 柏柳明子
夕映えが収まり、櫓の提灯の灯が目立ちだす頃。薄青い空が、東からだんだん濃い青になり、夜を迎えます。
そのちょっとした時間が「青き闇」なのですね。
盆踊り本来の、精霊を迎える心が伺える句です。
(はぢまり→はじまり)ですので訂正しておきました。
シーソーのかたへに秋の来てゐたり 金子 敦
シーソーは小児の玩具ですが、思い切り遊んだ経験のある方なのでしょう。
この句のシーソーは、遊び手も無く、止まったままのようです。
なんだか思い出の中のシーソーになっているような。
春や夏なら「かたへ」になど来ませんから。
トロフィーを抱かせてもらふ良夜かな 金子 敦
トロフィーを嬰児とすればよくある句ですが、このトロフィーはまさに抱きかかえるほどの大きさ、重量なのでしょう。
客人として幾度も見ているトロフィーですが、抱かせてもらえるのは良夜だから。
良夜にかこつけて、念願かなって、自分の世界には無い経験をしたのです。
蜻蛉の脚の関節すこし風 桑原三郎
蜻蛉の眼ではなく、脚です。脚は歩くためのものではなく、餌の捕獲用ですから、掴みやすく折れています。
人の加齢は足から、などと聞くと、モデルの二―バックとは程遠い形が眼に浮かびます。
なにやら蜻蛉の脚のようなスタイルが眼の前に浮かびそう。
あ、いえ、それは風のせいです。ちょっと風が吹いたんです。。。
わが脳をかかへて走るわが息子 谷雄介
変な句です。物として思い浮かべると、気持ち悪くなります。
けれど、ツタンカーメンの心臓や内臓を入れた壺もあることです。脳こそが宇宙という考え方もあります。世界観の違いを思えば、あるいは「わが脳」も、今日的には壺に入れて保存されることも有りなのかもしれません。
「わが」が「われわれの」の意なら、少子高齢化のある種の倦怠も感じます。
いえ、頭を抱えて走っているだけかもしれません。
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第281号 2012年9月9日
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第282号 2012年9月16日
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第283号 2012年9月23日
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第284号 2012年9月30日
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