2012-10-14

【週俳9月の俳句を読む】俳句は齢を重ねてこそ 山﨑百花

【週俳9月の俳句を読む】

俳句は齢を重ねてこそ
 

山﨑百花



ゆふぐれの壜ゆふぐれの彼岸花  るふらんくん

情趣ゆたかな句です。
壜は空き壜、洋酒が半分ほどはいった壜、ハーブオイルを作っている壜、などなど。

彼岸花が壜に差してあってもいいし、庭に一叢あってもいいし、写真の中の「ゆふぐれの彼岸花」でもいい。

「ゆふぐれ」のリフレインが効いています。

なんども読んでいると、壜は作者だったり読者だったりしてしまう。

「ゆふぐれの 壜 ゆふぐれの 彼岸花」
るふらんくん、上手に年を取りましたね。


盆踊青き闇よりはじまりぬ   柏柳明子

夕映えが収まり、櫓の提灯の灯が目立ちだす頃。薄青い空が、東からだんだん濃い青になり、夜を迎えます。

そのちょっとした時間が「青き闇」なのですね。

盆踊り本来の、精霊を迎える心が伺える句です。

(はぢまり→はじまり)ですので訂正しておきました。


シーソーのかたへに秋の来てゐたり  金子 敦

シーソーは小児の玩具ですが、思い切り遊んだ経験のある方なのでしょう。

この句のシーソーは、遊び手も無く、止まったままのようです。

なんだか思い出の中のシーソーになっているような。

春や夏なら「かたへ」になど来ませんから。


トロフィーを抱かせてもらふ良夜かな  金子 敦

トロフィーを嬰児とすればよくある句ですが、このトロフィーはまさに抱きかかえるほどの大きさ、重量なのでしょう。

客人として幾度も見ているトロフィーですが、抱かせてもらえるのは良夜だから。

良夜にかこつけて、念願かなって、自分の世界には無い経験をしたのです。


蜻蛉の脚の関節すこし風  桑原三郎

蜻蛉の眼ではなく、脚です。脚は歩くためのものではなく、餌の捕獲用ですから、掴みやすく折れています。

人の加齢は足から、などと聞くと、モデルの二―バックとは程遠い形が眼に浮かびます。

なにやら蜻蛉の脚のようなスタイルが眼の前に浮かびそう。

あ、いえ、それは風のせいです。ちょっと風が吹いたんです。。。


わが脳をかかへて走るわが息子  谷雄介

変な句です。物として思い浮かべると、気持ち悪くなります。

けれど、ツタンカーメンの心臓や内臓を入れた壺もあることです。脳こそが宇宙という考え方もあります。世界観の違いを思えば、あるいは「わが脳」も、今日的には壺に入れて保存されることも有りなのかもしれません。

「わが」が「われわれの」の意なら、少子高齢化のある種の倦怠も感じます。

いえ、頭を抱えて走っているだけかもしれません。




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