いわきへ
宮本佳世乃
昨年もお世話になった「プロジェクト傳」のみなさんのご厚意で、7月末に福島県いわき市に行ってきました。「プロジェクト傳」とは、山崎祐子さんが中心となって活動している団体です。今回の企画はいわきの文化財を学び、被災地を訪問するものでした。
≫http://project-den.com/menu/ibento_qi_hua.html
昨年の7月、9月、そして今年の5月にもツアーが組まれました。私は1年ぶり、2回目でした。参加者は、俳句関係者と民俗建築学方面の方です。四ッ谷さんは5度目、関さん、鴇田さんは3度目だそう。
9時上野駅発、11時半に湯本駅で待ち合わせ。マイクロバスで向かったのは、いわき市内の仮設住宅でした。
(写真:四ッ谷龍さん)
黄色いのはゴミ捨て場。奥が集会所。
(写真:関悦史さん)
玄関。木造平屋の仮設住宅。
(写真:四ッ谷龍さん)
写っているのはプロジェクト傳のスタッフ、齋藤さん(いわき市民)。案内されたお宅にあがらせていただき、住んでいる方に直接お話を伺う。平屋の2K。冬は寒そう。板の間の上に蓄熱マットのようなものと、カーペットが重ねてありました。
被災した時間から仮設住宅に入るまでの経過などを話していただく。体育館に割り当てられた毛布一枚の居場所のこと、当日雪が降ったこと。水がないのでトイレを使えなかったし、何日間も飲み水がなかったこと、やがて近くの温泉旅館が開放されてそこに泊まれることになったこと、仮設住宅の抽選のこと…。その後の話は、税金、医療、「精神的苦痛」としての東電からの入金のことなど多岐にわたり、気付くと1時間ちかく経っていました。
昼食を食べて向かったのは、昨年も行った豊間地区の海岸と塩屋崎灯台。
遊泳禁止だが、サーフィンをする人。
下に積んである黒いものは土嚢。堤防は壊れたまま。灯台へは、まだ、あがることができない。
ついで、去年も行った豊間中学校へ。2011年3月11日は卒業式だったとのこと。「ここは定点観測してください」と山崎さん。
(写真:関悦史さん)
瓦礫撤去は昨年よりも進んでいました(→去年の写真)。
校舎の前に、木材や金属など仕分けされていました。ブルーシートの下はもしかしたら去年のままなのかもしれません。手前にあるのはプール。奥は体育館。
(写真:関悦史さん)
被害が大きかった薄磯地区に。
ひまわりは、地元の人が植えたという。 奥は海。
どこにどの家があったか分からなくなってしまうので、土台だけは残してある。
(写真:関悦史さん)
一行は薄磯の古峯社へ。
あの日、94歳の方もこの階段(この先が果てしなく急で長い)を上がったそう。毎月10日に信者が集まる祀り日があり、前日使った石油ストーブが残っていたため、避難してきた住民は暖をとることができた。笹などにつかまりながら助かった子どももいたそうです。
沼ノ内諏訪神社。
鳥居をくぐると地震に依り倒壊・断裂した石鳥居と狛犬でつくられたモニュメント。
沼ノ内は、江戸時代初期に植林されたクロマツの防潮林が残っており、これが津波の減災に役立ったそうです。松林を伐採し海岸道路が建設された地域とは雲泥の差だったことでしょう。
大国魂神社で、できたての茅の輪をくぐらせてもらい、夏越の祓の形代も書かせていただきました。
その後は、古墳まで歩いたり、ざりがにを見たり、バーベキューをいただいたり、じゃんがら念仏踊りの太鼓に触らせていただいたり。われわれ翌日仕事組は、あっという間に帰る時間です。
私たちが帰った後の菅波集会所は、だんだん青年団が増え、昨年と同じように鉦を叩きながらじゃんがらを踊ったそうです。
31日の読売新聞夕刊には、いわき市の、湯本温泉が以前の3割まで客足が落ち込んでいるという記事が出ていました。
≫宮本佳世乃 いわきのこと ウラハイ 2012年9月25日
≫関悦史 この地を見よ いわきツアーのアルバム
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