【句集を読む】
踏みごこち
玉田憲子句集『chalaza』の一句
西原天気
冬の田圃を歩いたことがあるようなないような。田舎で育ったが、記憶は曖昧です。
ふはふはの冬田横切り真夜帰る 玉田憲子
ああ、なるほど、ふわふわとやわらかいのだ。
俳句は体験レポートではないのですが、こうしたことを教えてもらえるのは、読者としてたいへん嬉しいことの一つではあります。きっと歩いたことのある人しか知らない「ふわふわ」だから。そのとき歩いた人だけが味わう「ふわふわ」だから。
「固有」というのは、それだけで価値があるものだと思うのです。
真夜中に帰ること、その事情は書いてありませんが、ちょっと特別な感じが伝わります。それもあっての足元の、足裏の感触なのでしょう。
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句集『chalaza』は、「生涯句集は上梓しないことに決めていた」(「あとがき」より)作者の第一句集。その決意(貫けなかったわけですが)の潔さ、「転居の際に、最初に入った結社の結社誌を全て処分してしまいました」(同)という潔さには、にこっとしてしまいます。
《箸先より逃ぐるカラザや柿若葉》の光と光。
《暖かき雨の降りをり鍋に穴》は、子規《あたたかな雨が降るなり枯葎》が響く。「鍋に穴」の暖かさが心地よい。切れを重視すれば、鍋は台所の目の前に思えるが、切れを弱く受け取れば、外に捨てられた鍋が雨に濡れるさまが見える。私には後者のほうがおもしろい。
《犬帰らず向日葵畑まつ平ら》は、帰らぬ犬と作者を隔てる向日葵畑が、とても不思議な感触。
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恋の句も、句集のあちこちに。
前掲の句の「真夜帰る」も艶かしい連想が働くほか、冒頭ページの《古雛昔の恋は凄まじき》の悦ばしき格式、《胡桃割るこの世の底に二人きり》はヒリヒリとして甘美。
《をとこ言ふ「母に似てゐる」夕月夜》では、「わっ、ロクでもない男!」と叫んでしまいそうになったが、弱輩の私が申し上げることもない。恋もまた「踏んでしまう」ものであって、その踏みごこちはそれぞれ「固有」なのだ。
2013-10-13
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