玉田憲子 秋服
花薄喪服の尻をてからせて
草の花尾も歯も切られ仔豚どち
秋服の袖口打身痕ちらと
仔豚だけで寝る日始まる泡立草
無花果に向き柔道着滴りぬ
生後半年の豚どち出荷秋桜
作業着真赤野分の雲に乗りしまま
毎週日曜日更新のウェブマガジン。
俳句にまつわる諸々の事柄。
photo by Tenki SAIBARA
Posted by wh at 0:48 0 comments
Labels: 「結社・同人誌競詠」, 10句作品, 玉田憲子
【週俳4月の俳句を読む】
女子 元気
玉田憲子
鶯や倒木のほのあたたかく 川嶋一美
木は死んでもたくさんの栄養を持っているので、そこに落ち根を下ろした種子たちは、倒木の栄養をもらいながら、ゆっくりと大木に生長していくそうだ。
この句は、自然の営みや命に対する深い思いを感じさせてくれる。
人間は、何時から自然の営みに感動するようになったのだろうかとふと思った。
自分たちの生活そのものが自然と一体だった頃、そのごく当たり前のことに感動などしたのだろうか。
家鳴りがして靴下に春の闇 近 恵
時として、「この家には何か棲みついているものがいるのでは」と思ってしまうような家鳴りが発生する。木造家屋なのだから科学的に色々説明できるのだろうが、妄想の世界もまた楽し。
女子の靴下の中の闇は可愛らしいけれど、家の中には恐ろしげな闇もいっぱい。
生者たる証風船ひとつ割る 近 恵
きつと捨てる風船ひとつ購はん 野口る理
この風船たち、もしかして「男子」では? と思ったのは私だけだろうか。それも草食系。
女子元気!
栃木にて春闌の二三日 西村麒麟
ちょうど、私も栃木に行って帰ってきたところだった。
田中正造生家のボランティア、栃木市の蔵や街中の人々。皆お人柄のよいこと。そしてその中に一本芯の通っていること。何人かの栃木出身の私の句友にも言えることだ。
同行者が珍しく的確な(?)表現をした。「すれていない」
電球のかたちを濡らす春の雨 木田智美
春の雨こそ電球の「かたち」を濡らすのにふさわしいのでは。
かたちから入ると言うけれど、かたちは大事かと。
その部屋の匂ひとなりて春の宵 山下舞子
何の匂いもしなかった部屋も、すっかり私の匂いに染まってしまった。
最早全てが私に絡めとられてしまったのだ。もう全部私のもの!満足、満足。
第363号 2014年4月6日
■川嶋一美 あゆむ 10句 ≫読む
■近 恵 桜さよなら 10句 ≫読む
第364号 2014年4月13日
■西村麒麟 栃木 10句 ≫読む
■野口る理 四月10句 ≫読む
第365号 2014年4月20日
■曾根 毅 陰陽 10句 ≫読む
第366号 2014年4月27日 ふらここ・まるごとプロデュース号
■山本たくや 少年 10句 ≫読む
■仮屋賢一 手紙 10句 ≫読む
■木田智美 さくら、散策 10句 ≫読む
■山下舞子 桜 10句 ≫読む
●
Posted by wh at 0:18 0 comments
玉田憲子 赤の突出
冬青空鶏隙間無く積まれ
差し色の赤の突出風邪心地
洟垂れ子生き抜け星にならずとも
狐火の今栗の木の下辺り
木枯や這ふ天牛の土まみれ
凍てし夜のG線上のアリアかな
霜の花十一回目のマーキング
舌先のチリチリヒリと初御空
謝り方下手な健さん雪催ひ
馬逝きて轡と蹄春近し
Posted by wh at 0:49 0 comments
【句集を読む】
踏みごこち
玉田憲子句集『chalaza』の一句
西原天気
冬の田圃を歩いたことがあるようなないような。田舎で育ったが、記憶は曖昧です。
ふはふはの冬田横切り真夜帰る 玉田憲子
ああ、なるほど、ふわふわとやわらかいのだ。
俳句は体験レポートではないのですが、こうしたことを教えてもらえるのは、読者としてたいへん嬉しいことの一つではあります。きっと歩いたことのある人しか知らない「ふわふわ」だから。そのとき歩いた人だけが味わう「ふわふわ」だから。
「固有」というのは、それだけで価値があるものだと思うのです。
真夜中に帰ること、その事情は書いてありませんが、ちょっと特別な感じが伝わります。それもあっての足元の、足裏の感触なのでしょう。
●
句集『chalaza』は、「生涯句集は上梓しないことに決めていた」(「あとがき」より)作者の第一句集。その決意(貫けなかったわけですが)の潔さ、「転居の際に、最初に入った結社の結社誌を全て処分してしまいました」(同)という潔さには、にこっとしてしまいます。
《箸先より逃ぐるカラザや柿若葉》の光と光。
《暖かき雨の降りをり鍋に穴》は、子規《あたたかな雨が降るなり枯葎》が響く。「鍋に穴」の暖かさが心地よい。切れを重視すれば、鍋は台所の目の前に思えるが、切れを弱く受け取れば、外に捨てられた鍋が雨に濡れるさまが見える。私には後者のほうがおもしろい。
《犬帰らず向日葵畑まつ平ら》は、帰らぬ犬と作者を隔てる向日葵畑が、とても不思議な感触。
●
恋の句も、句集のあちこちに。
前掲の句の「真夜帰る」も艶かしい連想が働くほか、冒頭ページの《古雛昔の恋は凄まじき》の悦ばしき格式、《胡桃割るこの世の底に二人きり》はヒリヒリとして甘美。
《をとこ言ふ「母に似てゐる」夕月夜》では、「わっ、ロクでもない男!」と叫んでしまいそうになったが、弱輩の私が申し上げることもない。恋もまた「踏んでしまう」ものであって、その踏みごこちはそれぞれ「固有」なのだ。
Posted by wh at 0:05 0 comments