2013-12-08

【週俳11月の俳句を読む】痛の通 瀬戸正洋

【週俳11月の俳句を読む】
痛の通

瀬戸正洋



詩人は「千里眼」でなくてはならないと言ったのはランボオだったか。僕は、最近、吉田拓郎の「ペニーレインデバーボン」を口ずさんだりしている。

「テレビはいったい誰のもの 見ているものはみんな***桟敷 気持ちの悪い政治家どもが 勝手なことばかり言い合って 時には無関心なこの僕でさえが 腹を立てたり怒ったり そんな時僕はバーボンを抱いている どうせ力などないのなら 酒の力を借りてみるのもいいさ そうして今夜も原宿ペニーレインで 原宿ペニーレインで飲んだくれている ペニーレインでバーボンを ペニーレインでバーボンを 今夜もしたたか酔っている」(「ペニーレインでバーボン」吉田拓郎)

四十年ほど前の流行唄だ。この時、彼は何を視ていたのか、そして、何を感じていたのか。政治は必要悪だと思っている。徒党など組むつもりもさらさらない。僕は、神奈川県の西の外れの山村に暮らす単なるチンピラに過ぎない。チンピラは、分相応に自分だけを視つめていればいいのだと思っているのだが...。それはそれとして、僕個人にも災難が降りかかってきた。今、僕は歯が痛いんだ。よせばいいのに、調子に乗って、ご婦人の前で、カッコつけてガムを噛んだ。その時「がりっ」と音がした。左の下側の奥歯が欠けてしまった。ガムを噛むことで僕の歯が壊れてしまったのだ。暫くして、今度は右側の下の奥歯が痛み出した。たまたま、持っていた鎮痛剤でなんとか誤魔化していたが痛みは限界となり歯科医院を予約した。

猪垣の内と外との立ち話   本井 英

僕の住む山村の風景だ。猪垣の内側の人はそれを拵えた人、つまり、被害者なのだ。外側の人は顔見知り、同じ被害にあった経験もあるのだろう。猪垣の出来不出来、あるいはお互いの被害の程度などを話し合っている。作者は、この立ち話を聞いたのかも知れない。今まで、僕の住む集落では東名高速道路が「猪垣」となっていて農作物の被害はあまり無かった。ところが、最近、猪、鹿、猿までもが南側の斜面を下りてくる。罠で生け捕った猪の胃が薩摩芋でぱんぱんに張っていたということも聞いた。夜中に鹿の甲高い声に目を覚ましたこともあった。飼い犬が鹿の鳴き声に反応して吠え出すと目も当てられない。東名高速道路を乗り越え危険を承知でやって来るのだから彼らにとっても暮らし難い世の中なのだろう。いくら、酒好きだからといって仕留めた猪や鹿の肉を煮込み、瓶詰にしたものを持って来られても、僕は冷蔵庫の隅に置きっ放しにして、そのうちに捨ててしまうのだ。

啄木鳥は幹の裏へと行つたまま   本井 英

啄木鳥は、すぐに戻ってくると作者は思っていたが一向に戻って来る気配はない。予想を裏切られた戸惑いの感情と、啄木鳥が幹の裏側で何をしているのか、どこかへ行ってしまったのではないかという不安がこの作品となった。

歯科医は、僕が痛むという「歯」は健全であり、隣の「歯」の方が怪しい。どうしますかと言った。僕は困ってしまい、その日の治療は、噛み合せを良くして貰うだけにして、鎮痛剤と抗生物質と胃薬を処方してもらった。なんともない歯が何故、痛むのか、僕は頭の中が混乱してきた。帰りの電車の中では全部の「歯」が浮いてしまっているような、口中がざらざらしているような、そんな気持ちになってきた。帰宅した頃には、なんでもないはずの右上の奥歯までもが痛み出してきた。歯科医院へ行けば痛みは治まるものと確信していた。その確信が裏切られたのだ。こんな筈ではないと思った。

うしろより口笛よるの鰯雲   山岸由佳

うしろより口笛が聞こえる。気になり振り返ると月が煌々と照っていて、空には鰯雲。思いがけない発見に見惚れてしまい、うしろにいる男のことなどすっかり忘れてしまった。作者にとっては危険な状態だ。夜、前を歩く女性に向かって口笛を吹く男なんてろくでもないやつに決まっている。

迷ったが、次の予約日に歯科医へ行くことにした。何の治療もしないのも嫌だし、とにかく痛いのだから隣の怪しい「歯」を治療してもらおうと思った。麻酔をして被せものを取り、その下の真っ黒になっている「むし歯」をきれいにしてセメントを詰めた。その被せものは十数年前に治療したもので、そのことさえも忘れてしまっていた。だから取り替えることも悪いことではないと思った。治療のあと、僕は鎮痛剤は余計に欲しいと言った。この治療を疑っているのだ。医師は笑顔で「七日分くらい、出しましょうか」と言った。

かたや魔弓こなた鎌先夕刻に   仁平 勝

「かたや魔の弓、こなた鎌の先、危険な夕刻なのであります」などと言ってもしかたがないなと思う。この作品、全てひらがなにすると著名な俳人が現れてくる。俳句を読むこととは作者が句作した時の苦労を追体験したいと願うことならば僕も同じことをやってみればいいのだと思った。名前の後先に文字を置き二つ、あるいは三つの言葉に分ける。つまり、その分け方が作品を決めるのだ。この方法は国語辞典から言葉を捜し俳句を作る。そんな方法に近いのかも知れないなどと思ったが、その前に新しい言葉を作るために後先の文字を探し出す必要がある。また、無味乾燥な国語辞典から言葉を選ぶよりも、ひと手間加えた、人の名前が基本となる言葉から作った方が温かみがあるようにも思った。

だが、「女の園(二人姓名詠込之句・弐)」の作者は、「解題」の中で「 ―略―人選や組み合わせに特別な意図はありません。一句の意味も偶然にできたものですから、変に深読みしないでください。苦労したのは、いまどきの女の子と違って、ほとんど名前に「子」がつくことです。なんと二十人のうち十四人。それを一切「子」の字を使わなかったところが職人芸です。」と書いている。

だから、僕は歯が痛いのに余計なことを考えることはないのだ。ただ、ひたすら、作品を味わい楽しめばいいのだ。

燈火親し眼鏡を透かす拭く掛ける   関根誠子 

眼鏡を掛けていると気付かないのだが、眼鏡を外し透かしてみると眼鏡に埃が付いていることが分かる。書き物をしているのか、それとも何か小説でも読んでいるのか、秋の夜はゆっくりと過ぎていく。暮らしの中でのひとつの風景。

この医院は「すまいる歯科」という。スタッフ全員が笑顔に徹している。要するに、決めてしまえば感情に左右されることはなく、いつでも、どこでも、万遍無く誰にでも笑顔を振り撒くことができるのだ。

につぽんの正しい日向ぼこの家   大和田アルミ

人にはそれぞれあることに対してのイメージを持っている。作者の場合「日向ぼこ」もそれなのである。この風景は作者にとって家族の「日向ぼこ」のイメージにぴったりであった。それで、「につぽんの正しい」という大げさな表現になった。そして、この表現は、今の自分にとっても、たいへんふさわしいと作者は思っている。

近松忌お前に首つたけだよと   大和田アルミ

「首つたけ」というのは惚れているということだ。近松忌が効いている。それから、ひとは、それぞれの「ご努力」をして、それなりの結果を得る。うまくいったとしても、そのあとは坂を下るだけだ。修羅場という踊り場が待っているのかも知れない。どんなに愛し合ってる二人だとしても「死」という別れは必ずやって来る。だから、究極の愛とは心中のことなのだ。僕は、究極の愛など真っ平御免、いい加減な愛で十分なのである。

ところで、僕は毎日、不思議な光景を眺めている。それは、朝の通勤電車の中から始まる。男が電車の中で座っている。途中、同じくらいの年齢の女が電車に乗り込む。男は座り、女は立ったまま話を始める。僕の乗り換えるターミナル駅で二人とも降りる。そして、ホームから改札口までを手をつないで歩く。手のつなぎ方がとても自然なのだ。改札口を出ると右と左に別れる。自宅が違う、職場も違う・・・男と女の・・・。だから、すごく「変」なのだ。この二人、とても「おかしい」のだ。

霜月の身を水平にして深夜   岩淵喜代子

深夜まで書き物をしていて目が冴えてしまって寝付けないのか、それとも、その日、何か興奮した出来事があったのか。うとうとしていたら、自分が蒲団の中で水平になっていることに気付いた。陰暦11月の深夜、あたりまえのことだが、水平になっている自分が、何だか不思議なことのように思えてくる。身体が水平なのは地球に対して正しいことなのだ。垂直なことも同じく正しいことなのだ。

外套にきのふの風のにほひかな   相沢文子

外套を羽織ろうとした時、作者は、風のにおいを感じた。昨日は小春日和、外套には風が運んで来た太陽のにおいも残っている。暮らしの中で出会ったささやかな幸福、外套に対する作者の愛情も感じられ健康的な作品だと思う。

僕の歯痛は原因不明なのだ。日頃の出鱈目な生活が一番弱い「歯」にきたのかも知れない。憂鬱な毎日を送っている。悪いところは全て直してしまおうと思った。あっちこっちの「歯」を弄り回していれば気も紛れるだろう。肝心なところの治療はできず、どうでもよいところの治療を繰り返す。何か僕の人生を象徴しているような気がした。


それにしても、院長以下、スタッフ全員は、たいへんに明るい。加えて、院長の言葉が非常に軽い。馬鹿にされているような気持ちになる。だが、考えてみれば気が付かないだけで、僕は誰からも馬鹿にされ続けて生きてきたのだ。どうでもいいことばかりやらされ、自分のやろうとすることは全て余計なことばかり。痛いなら痛いなりに過ごすしかないと思った。そう居直ると痛みにも耐えられるようになってくる。僕の神経が痛みに慣れてきたのか、老化現象で痛みまで感じなくなってしまっているのか。だけど、毎朝、鎮痛剤と胃薬をポケットに入れて僕は通勤快速に飛び乗る。すごく「変」な、とても「おかしい」男と女に出会うために。


第342号2013年11月10日
本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
関根誠子 ナッツの瓶  10句 ≫読む
大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
相沢文子 小六月 10句 ≫読む

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