【週俳2月の俳句を読む】
ひとつわかったのは
笠井亞子
髪に挿しまだ息をしている椿
原知子
さりげなく非日常感覚をとらえようとしている句群。
その中でこの句は、椿の、無表情でありながらなまなましい生態をうまく表現していると思った。
挿している女性にはフォーカスされず、視線は椿へと…。
枝から離れてなお、花単体として自己主張するのは椿が随一かもしれない。
使わないエスペラント語猫の恋 加藤水名
エスペラント語は、1880年代ユダヤ人ザメンホフによって創案された言語(人工国際語)である。十六か条の簡単な文法を習得すれば、誰でも日常的な読み書きができるという実用性と、民族の対立が激しい中理想にかかげた「国際平和主義」が支持され、日本でも学会が設立された(今日まで続く)。当時は大いに波及したらしい。
とはいえ、今日われわれが思いつくのは、宮澤賢治のイーハトーヴォやモリーオ…など独特の名詞群くらいかもしれない。賢治のエスペラント語熱はかなりはげしかったと聞く。(羅須地人協会の講義にも)
そのエスペラント語と、いつの世にも変わらぬ、切実奔放な恋猫の声をとりあわせている。どちらが強調されているわけでもないが、悲惨な争いを避けるよう人間が創意工夫したコミュニケーション言語より、猫の求愛手段の方が普遍的であるといった、人間のむなしさのようなものも感じさせる。
そう、そしてわたしたちは戦争を止めることができないというわけだ。
春大根口を利かなくなつた妻 瀬戸正洋
なんでしょう、この読後感。覚え書のようなスケッチのような。
俳句的陰影の拒否っぷりがすごい。一句についてなにかを言いにくい句柄と言えばいいのか。じゃあなぜこの句を取上げたかと言えば、一番俳句っぽかったから。いや、内容が切実だったからか。
不勉強で作者を存じ上げず、たまたま所属される『里』の最新号(2014年3月号)を拝読する機会があり、その特集「瀬戸正洋『B』に赤いちゃんちゃんこを着せる」と、つづけて『週刊俳句』の(信治さんの素晴らしい論考など)記事を読んだ。
付け加えることはないなという脱力感におそわれつつ…。
ひとつわかったのは「これはパイプではない」、あっ間違えた、「これは俳句ではない」という俳句なのだということ。
知床は神の屛風雪重ね 広渡敬雄
神(カムイ)の屛風という把握が壮大だ。読むものの脳内にくっきりと、真冬の知床半島が立ち上がってくる。真っ白にそびえたつ荘厳なその量感。断定のあとに「雪重ね」と続けたことで、時間の堆積も物理的重厚感に加担することとなった。
このように、つい「鳥瞰的」な見方をよびさますにはいられない北海道の自然。写生であるのに強い幻想性を帯びてしまうその他の句を見ても、わたしのように都会の周辺ばかりをうろつき一生を終える(だろう)者には、(陳腐な感想ながら)なんとも日本列島は多様なのだと思える。
十句を吟行句と知らずに読むと、その強烈な風土性にまず圧倒されるが、「流氷に乗ってみたしよ海豹と」の句で旅行者目線が少しこぼれ出たという感じか。
第354号 2014年2月2日
■内藤独楽 混 沌 10句 ≫読む
第355号2014年2月9日
■原 知子 お三時 10句 ≫読む
■加藤水名 斑模様 10句 ≫読む
第356号 2014年2月16日
■瀬戸正洋 軽薄考 10句 ≫読む
第357号 2014年2月23日
■広渡敬雄 ペリット 10句 ≫読む
■内村恭子 ケセラセラ 10句 ≫読む
2014-03-09
【週俳2月の俳句を読む】ひとつわかったのは 笠井亞子
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