2014-04-06

林田紀音夫全句集拾読 310〔最終回〕 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
310〔最終回〕

野口 裕






漏刻の或る夜はじまる雨の音

平成八年、未発表句。前年の未発表句に、「漏刻の或る夜だれの夜もまじる」があり、平成九年、海程の「取りとめもない雨終の小糠雨」が海程発表句の最後となる。漏刻二句は変貌前の姿か。時を刻むような雨音が、自身の終の姿の暗示と聞こえてくるのだろう。

 

空缶の幾つ冥土の方に立つ

平成八年、未発表句。全句集最終句のひとつ前の句になる。平成九年の海程に、「空缶のいくつ冥土へ連らなる色」とあるので、その推敲前の句形と考えられる。花曜発表句には、類形がない。冥土の道案内に空缶を選ぶところ紀音夫らしい。

 

白昼の空の紺その裾切られ

平成八年、未発表句かつ全句集の最終句。「切られ」に万感の思いを託す。

年譜には、「この年をもって句作を中止する」とある。発表句は平成九年まで続く。海程発表句の最終が「取りとめもない雨終の小糠雨」、同年花曜の最終が「夕闇の刻々声の方角に」。没年は、平成十年。

疑問が二つ。ひとつは、三句の内でどれが本当の最終句になるのか、ということ。延々と読み続けてきた心情から言えば上揚句が最後と思いたいが、一日の時の流れから見れば花曜か。

もうひとつは、句作を絶ってから、いかなる心境であったかということ。これは飯田龍太にも同様の疑問が浮かぶ。長年にわたって培った習性は、おのずと折に触れての五七五を引き出すだろう。脳裏に浮かんだ句を句帳に書き付けることなく封印するに、容易であったか、抑制する意思が必要であったか。容易であるにせよ、抑制していたにせよ、座の文学と言いながらも、個に戻る時間の必要な現代における俳句のありようを、逆に照射しているか。


年譜および巻末の福田基氏の解説と編集後記については、折りに触れて書いてきた。一冊の本を咀嚼する作業はこれで終わる。

咀嚼し終わったあとの一言が、テレビのグルメリポーターの良否を決めるように、本全体を見通した一言が必要かも知れない。しかし、思いつかない。まさに、

  隅占めてうどんの箸を割り損ず

というところか。

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