2014-07-20

今井杏太郎論4  数と杏太郎

今井杏太郎論4
数と杏太郎

生駒大祐


『麥稈帽子』を眺めていて、杏太郎の俳句には数字が多く用いられていることに気づいた。

十二月三十日の氷かな

冬晴や五重の塔を二つ見て

冬霞して千本のさくらの木

三人が言ひつはぶきの花黄なり

冬の部から引いた。さらりと引いてこのくらいだから、句集を読んでいて、良く目につく。

数字を句の中に溶け込ませる名人の一人が、田中裕明。

紫雲英草まるく敷きつめ子が二人 『山信』

春立つやただ一枚のゴツホの繪 『花間一壺』

初雪の二十六萬色を知る 『櫻姫譚』

二という数の安らかさ、一という数の厳しさ、非常に大きな数の不思議さがそれぞれの句に味わいを加えている。

数字を句の中に詠みこむ上での難しさのひとつは、その数字が「動く」と読者に思われかねないことだ。‎裕明は数字の象徴性を句の中で最大限に引き出すことで、それを解決しているように思える。

杏太郎の場合は、必ずしもそうではない。むしろ、数字は無造作に置かれているようにも思える。そもそも、杏太郎の俳句から過剰な象徴性をくみ取るのは少々無粋だ。

言葉が動く、ということは、逆に言えばそこに偶然性が生まれていることを表す。杏太郎はランダムネスを俳句に導入し、そこから生まれる景の伸び縮みを楽しんでいたのではないか。

十二月三十日の氷かな

この日付が「動く」かどうかは僕には断定できない。しかし、「偶然」であったこの一句に僕がとても惹かれたということは、俳句としてひとつの成功であり、僕にとっての幸福のひとつでもあるのだ。

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