2014-07-06

【週俳6月の俳句を読む】理と実感の融合 柏柳明子

【週俳6月の俳句を読む】
理と実感の融合

柏柳明子


スリッパの滑りやすしよ昭和の日 陽 美保子

スリッパはたいがい足のサイズよりも大きくて、余りがちだ。布製でない場合は、爪先がひやっとして、なんとなく自分の足が奇妙なものに捉われてしまったような、居心地の悪さを覚える。掲句のスリッパは地面にあたる部分が滑りやすいのか、それともサイズを持て余して足の運びがある拍子にもつれたのか。どちらでもいいし、いずれの要素もあるのかもしれないが、その違和感が昭和の日というある意味「なんで今日休みなんだっけ?」と言われがちな「名称はわかんないけど、とにかく休み」的なGWの手触りとして、そのズレさ加減とともに妙に合っている。平成の世にあって、昭和は懐かしい平和とのどかさを感じさせる。でも、その感慨はあくまでも抽象の次元に留まる範疇のものだ。現実にありながら、どこかふわふわした実感のなさが、滑りやすいスリッパの歩みと重なり、下五の季語に集結されていく。


ソファーごと沈み宇宙で薔薇が浮き 髙坂明良

うたたねか、それとも酒などがもたらす心地よさによるまどろみか。いずれにせよ、少しだけ意識をこの世に残して、作者はしばし宇宙空間を漂っている。無音で重力から解放された真空に、カルマの果てのような薔薇。この薔薇は私の中では紅い薔薇だ。花弁をひとひらずつ血のように散らせながら、宇宙の何処かで生と死が、始まりと終わりが繰り返されていく。わずかな合間、作者もまた再生と消滅のあわいを眺めつつ、再びこの世へ戻ってくるのだ。その時、世界は少し未来に似ているのかもしれない。


鳴りやまぬ夜の電話を蝌蚪の紐 原田浩佑

不在の夜の部屋に続くコール。誰かが誰かへ発信のサインを送り続けているのに、受け手のいない空間の奇妙な静けさ。その対比による濃密さを糧にして、蝌蚪の尾は伸び、太り、身体は次第にさまざまな器官を育てていく。蝌蚪から蛙への変貌は、生物学的には正常なことであっても、その過程にある蝌蚪自身にとっては、自分自身の身に何が起こっているのかわからない恐ろしさに他ならないのかもしれない。発達とは、そういう不気味さを伴うものなのだということを改めて思う。そして、この内容は散文よりも、俳句という形を生かすことで、初めて理と実感が融合し、読み手へインパクトを与える世界なのだ。


ヤマボウシ背中を預けてしまひけり 井上雪子

山法師の花、って句を詠む際に使いたがる人が多い気がします。なぜなんでしょう? やっぱり、あの花の風情や在り様が何か郷愁とか遥かなものを詠むときに格好の季語という共通認識があるからでしょうか。ちなみに、私はまだ一度も使ったことがありません。

この句は、そういう共通認識(あくまでも個人的見解です)とは違う世界にある。お喋りしていない俳句。だけど景もよく見えるし、共感できる。山法師を見上げていると、この木というか花というかはいつも飛びたそうにしていると思う。ここではない何処かへ行きたがっているような、一抹の淋しさを感じる。高くて大きな山法師にもたれているうちに、心身をも委ねてしまった作者。まるで山法師と一体化し、一緒に飛ぶ夢を見ているかのようだ。静謐な広がり、時間、心持ち。でも、「ヤマボウシ」とカタカナ表記を使用することで生じる一定の距離。つかず離れずの世界観が読み手にとって心地よい。


白球の白さ受け取る夏の空 梅津志保

白球の「白さ」というところが魅力的だ。「白さ」と強調することで、速度と重量を伴ったボールが、より迫力をもってこちらに迫ってくる。ただ、「白球を受け取る」であったら、この臨場感は出なかったろう。また、ここには投げた側と受け取る側の信頼感も感じられる。夏の空という季語は気持ちよすぎる感がなきにしもあらずだが、どうせ言うならここまで大らかにのびのびと描くのもいいな、そう思う。


壁ちぎりちぎりゆくかに春のナン 西村遼

端の焦げた、焼きたてアツアツのナンはふっくらしていて、少し指で押すとブシュッとしぼむ。そのナンをちぎりながら、カレーにつけて食べると本当においしい。そのナンと壁の組み合わせにはびっくり。そう言われてみると、あの大きい膨張ぶりは何かを妨げるような壁にも思えてくる。でも、壁は堅固なもので本来あるべきなのに、頼りなくねっとりとした柔らかさを楽しまれ、食という形で攻略されてしまうのだ。このパラドックスが、春のほの明るい空虚さとマッチしている。春は楽しさと不安感を伴って巡ってくる。「春のナン」がまさに言いえて妙だ。



第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

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