2014-07-06

【週俳6月の俳句を読む】私はYAKUZAⅢ 瀬戸正洋

【週俳6月の俳句を読む】
私はYAKUZAⅢ

瀬戸正洋



横浜中華街の「四川坦々刀削麺」で有名な店に行く。もちろん仕事でである。明日は、休日で、ノーキョーの、農機具の展示会、刈払機を買う予定である。明後日は日曜日で共有林の下草刈り。私は、その山林組合の二年任期の副会長をしている。副会長といっても持ち回りで、会長と会計が重要な役職であり、副会長は、何も仕事はなく名前だけの役職である。

そして、十八日は、昨年、骨折した左足首の抜釘手術が予定されていて、少し、憂鬱。抜釘したくないのだが、「MRI検査」の時に支障が出るということで、しかたなく受けるのである。昨年の手術の時、麻酔医から「太り過ぎていて『針』がやっと届いた」と言われ「抜釘手術までに少し痩せなさい」とも言われている。

スリッパの滑りやすしよ昭和の日  陽 美保子

私は、昭和の人間だと思っている。それは、昭和を懐かしく思うからだ。何故ならば、昭和は、私にとっては、まだ、希望もあり、楽しい生活も、たっぷりとあった。だが、この作品を読み、よくよく、考えてみれば私の人生など「スリッパの滑りやすし」程度のものだったんだと気付く。スリッパが滑るということは、そのスリッパは、不良品であるということだ。不良品は、不良品らしく老後を正しく生きたいと願う。

水打つや影煮えたぎる人として  髙坂明良

水を打つと、そこは、あまりにも熱くアスファルト(だと思うが)の表面が沸騰しているように感じた。たまたま、自身の影がそこへ移動する。影と自身は正比例なのである。少し、気負っているところも微笑ましい。生きる時間を、私たちよりも多く持っているということは、それだけで充分に美しいのだ。

お手本をなぞると猫が濡れている  原田浩佑

字を書きたいと思っているのか、絵を描きたいと思っているのか、とにかくお手本をなぞっていて、気が付くと、猫が濡れていたのだ。それを、なぞったから猫が濡れたのだとした。猫が濡れる理由が全く解らないところに惹かれた。だが、猫は濡れていたのだった。

話は飛躍するが、なぞるという行為は全ての基本だと思う。真似る、書き写すことも同じことだ。「富永太郎の詩のどれを読んでも、不思議に書かれかたにリズムがあるのは、他人の詩を何度も何度も写すということをしているからだ」と言った長田弘の言葉を思い出した。私たちは、書き写すこと、真似ること、なぞるることが大切であるということを忘れている。

お互ひが眼裏にゐる夏至までは  井上雪子

純粋な恋の歌だ。お互いが「眼裏にゐる」という表現に興味を覚えた。期限があるから純粋なのである。それもふたりで決めた期限である。悲愴感はなく明るく不思議な恋の歌だ。加えて、何気なく「棘」が刺さっているように思わせるところもよい。

パラソルの陰を半分もらいけり  梅津志保

きっと彼はこう言ったのだ。「パラソルは、全て君のものだよ」と。そして、作者はこう言う。「半分どうぞ」と。このふたりの、悲しい別れは、当分、先だと思う。あるいは、別れの時は、何故か、悲しくなかったりして。

青年の太唇や春の雨  西村 遼

大志あふれる青年が春の雨に濡れている。「太唇」が効いている。幕末の志士のイメージだ。二十歳、そこそこの若者が日本の将来を憂い人生を賭ける。私には、考えられないことだ。私は「幕末青春グラフィティRonin」の坂本龍馬を演じた武田鉄矢、その映画について語る武田鉄矢を思い出す。NHKの大河ドラマ、東映の時代劇スターの幕末ものより、はるかに面白い映画であった。

天気予報は夜半から雨、帰る時さえ降らなければいいと思う。横浜中華街には、以外に「BAR」が多い。中華のあとは、カウンターで、さっぱりと、スコッチウヰスキーやカクテルがいいのかも知れない。



第371号 2014年6月1日
陽 美保子 祝日 10句 ≫読む
第372号 2014年6月8日
髙坂明良 六月ノ雨 10句 ≫読む
原田浩佑 お手本 10句 ≫読む
 第373号 2014年6月15日
井上雪子 六月の日陰 10句 ≫読む
第374号 2014年6月22日
梅津志保 夏岬 10句 ≫読む
第375号 2014年6月29日
西村 遼 春の山 10句 ≫読む

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