【週俳9月の俳句を読む】
稲びかりの量感
山崎志夏生
●マカロニも 矢野玲奈
ぽつかりと待合室に金魚玉
ぽつかりは、浮かぶ雲のようなのんびりした語感と欠落感を纏う言葉。いわれてみれば金魚玉の吊るされようとしてタダシイ。人が行き交い暫し留まる待合室の金魚玉は人々を楽しませるものかもしれないが、中の金魚はその人々の事情をぼんやりと俯瞰しているのだ。
保育園には鈴虫に会ひに行く
こんなお母さんらしい句を詠まれる句境になられたのだなあ。日常的なモチーフだが「には」でとりわけ鈴虫に会いにという感じになって微量の物語成分がくみ取れる。微量なのがちょうどよい。
秋蝶は鰐の泪を吸ふといふ
絵本に出てくるようなおとぎ話かとおもったら、蝶は本当に鰐や亀の涙を吸うようだ。だとすると単なる伝聞なのだが定型の力が働いて楽しい句になった。
南瓜煮る猫のかたちのマカロニも
棲み古りた老夫婦の家では猫のマカロニは煮ないだだろう。この道具立てで若く幸せな家庭を想起させる。しかし猫型マカロニは意外に微妙な食べ物だとおもう。猫嫌いには気持ち悪いし、猫好きは食べるのをためらわせるのではないか。一度試してみたい。
●月の窓 小林すみれ
木槿咲く少女はサドル高くして
少女がぴったり。背伸びして前傾姿勢になってぐいぐい漕いで行くすがたは美しい。あまりにぴったりなので、少年、老人、老婆、力士、夫人、看護師等を入れ替え、妄想し違和感を愉しむフキンシンな遊びをしてしまった。
赤鬼に射的のあたる月夜かな
泣いた赤鬼に代表されるように、鬼にしてイイヒト系キャラの赤鬼。射的の鬼は射ても反撃してこない。昔祭りのときに安っぽい電気仕掛けの的で当たると豆電球の眼が光り、がおーと鳴き声がする赤鬼が巡ってきた。その声が月光の中にあると思うとセツナイ。
●稲びかり きくちきみえ
子供らの真ん中にゐるいぼむしり
季語の本意ど真ん中直球で歳時記に載せたい秀句。子供たちとの距離、関係がいい。土管が転がっている空き地。のび太はもちろんスネ夫も触れない。できすぎ君は図鑑を見ている。ちょっかいを出そうとしたジャイアンを「やめなさいよう」としかるしずかちゃん。なぜかドラえもんはいない。
猿を見て人を見て秋風の中
作者は両方を見比べて霊長類の進化の分岐点に思いを・・馳せているわけではないだろう。サルにはサルのヒトにはヒトの愁思の貌なんだろうなあ。風に吹かれているサルの表情は人間よりフカイ。だいぶフカイ。
カップの底に砂糖は残り稲びかり
稲びかりの量感がある。カップの底にある砂糖を際立たせるほどの・・ということか。撹拌が不十分であったかまたは飽和点以上の砂糖なのか、それが象徴する静けさ、一人感がいいなあ。稲光のあとの雷鳴までの間に時計の秒針の音がしているようだ。
●白露 松本恭子
ふうはりとルドンのまなこ大鮪
あの鬼太郎のパパが毛だらけになったようなあやかしや蜘蛛の絵の眼玉と解体前の(と私は思った)大鮪の眼玉。オツな取り合わせで他にみたことがない。ふうはりがどのような状態を言っているのかはよく理解できなかったが、二つの強いイメージをナダメテいる効果があるのかもしれない。
老人に玉藻のやうなこころあり
中年も出口に差し掛かってきて、なんだがこういう句が沁みる年頃になった。ぼーとしてたゆとふ感じはまさに玉藻なんだろうなあ。老女とか老婆なんてことになるともっと賑やかで元気なこころもちの句になる。(差別ではありません褒めております。)
第437号2015年9月6日
■矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
■小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
第439号2015年9月20日
■きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
第440号2015年9月27日
■松本恭子 白 露 10句 ≫読む
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2015-10-11
【週俳9月の俳句を読む】稲びかりの量感 山崎志夏生
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