2015-10-11

【週俳9月の俳句を読む】子どもの眼差しのある日常 岡田由季

【週俳9月の俳句を読む】
子どもの眼差しのある日常

岡田由季



南瓜煮る猫のかたちのマカロニも  矢野玲奈

普通に料理の句と思って読むと、すこし腑に落ちない面もある。マカロニの茹で時間と南瓜を煮る時間は違うだろうし、ついでに茹でるようなものでもない。マカロニにはいろいろな形があるが、猫のかたちとは随分凝ったものだ。食品としてというよりも見て楽しむ方に重点が置かれているのかもしれない。ただ言えることは、南瓜を煮るという所帯染みた行為が、猫のかたちのマカロニと並べることによって急にファンタジックなものに思えてくることだ。大人だけで暮らしているとこのような展開にはならないだろう。子どもの眼差しのある日常が思い浮かぶ。

赤鬼に射的のあたる月夜かな  小林すみれ

鬼といっても射的の的の鬼だから恐ろしげなものではなく、親しみやすい表情の鬼の面か人形といったところだろう。ややチープな赤色が見えてくる。射的の景品などというものは、だいたい、たいしたものではないが、それでも当てると楽しい。月夜の神秘的な側面ではなく、少し俗っぽいような浮かれた感じ、ハイな月夜の気分をすくいあげている。

話しつつインコのピーコ巨峰食ふ  きくちきみえ

インコは表情が豊かな鳥だ。インコが葡萄を食べている場面に出合ったことはないが、容易にイメージはできる。ときおり「ピーコちゃん」「オハヨー」などという言葉をはさみつつ、ちょこちょこと動き回りながら巨峰をついばむ様子はとてもユーモラスだろう。巨峰の「巨」の字が、インコのサイズを思わせ、愛嬌を引き立てているように思う。

死に近き鏡のなかのリボン結ぶ  松本恭子

あまり良い連想ではないかもれしれないけれど、「死」「鏡」「リボン」というキーワードから山岸凉子の「汐の声」という短編を思い出した。子役の少女の出てくるホラーで、詳しい内容についてはここでは触れないが、心底ぞっとしする話だった。その話が入っていた短編集は全部怖かった。
この句はそれとは関係が無いと思うが、そのバイアスをはずしてみてもうっすらと物語めいた怖さがあるように思う。リボンを結ぶという行為はどうしても少女をイメージさせ、それと死との結びつきが不吉な思いを呼び起こすのだろう。そう思って「白露」十句を読み返してみると、少年・少女そして老人の姿はあっても、中間は無いような気がして、その欠落感がやはりうっすらと怖いのである。


第437号2015年9月6日
矢野玲奈 マカロニも 10句 ≫読む
第438号2015年9月13日
小林すみれ 月の窓 10句 ≫読む
第439号2015年9月20日
きくちきみえ 稲びかり 10句 ≫読む
第440号2015年9月27日
松本恭子 白 露 10句 ≫読む

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