【週俳5月・6月の俳句を読む】
「この支配からの卒業」が聴こえる
井上雪子
青葉色の季節に、同じ五七五の型からぽおんと跳び出して来た5月、6月の俳句たち。色とりどりの鳥になるや、蛍になるや、シマウマまで。新たな揺らぎを楽しみつ、時に私はとり残されて、自分には何が分かっていないのか、消えてしまった虹の向こうについて考えます。
復興の仮設店舗に種物屋 広渡敬雄
復興、仮設、種物屋。感情表現を含まない日常の言葉だけ、そこから、復興という一語の重みが、ずんと来る気がします。ひとの暮らしを落ち着いて見つめる、自分の視ているものごとや他者の声を繊細に聴く、ひととしての大切なベース。水平なその意志を持ち続ける長い時間の豊かな厳しさとともに、一句の瞬間にある表現者としてのやわらかさ温かさを思います。
遠ざかるほど蒲公英のあふれけり 広渡敬雄
振りかえればそこここ、小さな黄色の花。今しがたまで居た場所への、未練のような悔悟のような去りがたさ。春に広がる実景の優しさは、生きて来た時を振り返る優しさに重なる。さりげなく新鮮に、来し方が結晶になっていく驚きのなかに、しばし立っていました。
空の箱つみあがりゆく夏の家 こしのゆみこ
短夜から色とりどりのジャムの瓶 同
ジャム売り場が賑やかに、トーストが楽しみになるこの季節の美しい絵本のような世界。少しの不可解な言葉から、夏雲の白さや閉じ込められたもの、暮らしの容なども見えて来る。「誰が」「何を」などが不問にふされ、委ねて頂いた自由を楽しみました。
夏鶯二重瞼と一重瞼持つ こしのゆみこ
不穏で不安定なもの、翳りや含みが漂う具象であって抽象のような何句か。ひと月先さえも予測できなくなった今の空気感にも思えます。けれど、「夏鶯」。瞼と鶯の間はきちんと切れ、なおかつ、確かなつながりがこしのさんのなかにあると、私には思えました、その根拠を聞かれても、カン(直感)としか言えなくて困るのですが……。
雨を書く生まれてくる日に追いついて 野間幸恵
直観のクロッキーみたいな、ひとコマにこめられる素直な度胸、手早く表現される淀みのなさ、いいなあと思います。「生まれてくる日に追いつ」くというシュールな文意、私の身体感覚は、その日に追いつくという、安堵のような静かな解放感を感じとり、それは誤読であろうとも私の感覚として大切なものになってしまいます。
かたくなに三半規管だろう雨 野間幸恵
「三半規管」→音の震え?→蝸牛の透明?→祖父江慎さんのサンハンちゃん?と渦を巻く。巻きながら、「かたくなで、雨だ」と共感してる。その同心円じゃない水紋の名前はわからない。それでもこの新しい表現への共感が、「この支配からの~、卒業」(尾崎豊)と、歌ってしまう力なのだと思います。
夏鶯ふたつの性を跨いでしまふ 嵯峨根鈴子
ビジュアル系のギラッンと光る濃さ、ユニークな。「夏鶯」と「ふたつの性を跨いでしまふ」は、私の中ではもやもやっと、繋がらず切れず、描けず。LGBT,生と性、托卵・・・と、知識を重ねあわせても視界がない。いつか何かが解け、夏鶯に追いつき、やがて批評の糸口がきらり、そんな日に向かって歩きたいと思います。
六月の鼻緒に指の開きたる 黒岩徳将
青い山風、誰のDNAを継いだのか、開かれたところへと歩く速さ、何だか軽やか。身体感覚を研ぎすます、サイダーよりも牛乳が好きそうな暮らしの軸を思います。
金魚鉢ガーゼ包帯取り換える 小林かんな
休日のゆったり感を的確に切り取とり、忘れていたことにすら気がつかなかったものが意識になります。金魚と包帯・・・、ふと子規を思いだし、宇宙の不思議に見いる幸福と、限られた時間を持つ身体の切なさとを感じたりもしました。
2016-07-10
【週俳5月・6月の俳句を読む】「この支配からの卒業」が聴こえる 井上雪子
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