【八田木枯の一句】
ゆふぞらのしがなくなりし蜥蜴の尾
太田うさぎ
ゆふぞらのしがなくなりし蜥蜴の尾 八田木枯
『あらくれし日月の鈔』(1995)より。
今日の敵からすんでのところで逃れた蜥蜴の置き土産。
切り落とされたばかりの尾は活き活きとして光沢があり、自分が犠牲にされたとも知らずにちょっと動いたりもする。けれど、しばらくするとさっきまでの精彩など嘘のように涸び、イキモノからただのモノに成り果ててしまう。おりしも夕暮れどき、地べたにぽつんと取り残された尾っぽの哀れに「しがない」という形容は実によく当て嵌まる。
と書きながら実は引っかかっているのだけれど、この「しがなくなりし」は蜥蜴の尾に係っているのだろうか?軽い切れとしての「の」であれば、つまらない切れっ端になった尾っぽを指す。一方「ゆふぞらの」の「の」を格助詞と捉えるなら、取るに足りない夕空という解釈も成り立つ。しがない夕空などというものはないかもしれない。でも、とりとめもなく過ごした一日の終りの空は茫漠と広がり、ふと目を落とせば自切の憂き目にあった尾が…。
乾坤の間を「しがない」が漂う、そんな夏の夕暮なのである。
2016-07-10
【八田木枯の一句】ゆふぞらのしがなくなりし蜥蜴の尾 太田うさぎ
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