2016-09-11

【週俳8月の俳句を読む】美という音、音という美 トオイダイスケ

【週俳8月の俳句を読む】
美という音、音という美

トオイダイスケ


第487号「オルガンまるごとプロデュース号 2016 late summer」における、田島健一さんのテーマ詠7句はとても刺激的だった。

この7句は、「オルガン」とはさまざまな「音」を混ぜ合わせて並べて美が発せられる装置なのだ、ということを語っているように感じられた。
ひらがなが多く、異なる語との読み間違い、語と語とを区切る箇所を何通りにも変えることができ、あてがってみることのできる漢字も語ごとに複数ずつある、意味の断定が難しい句たち。

これらの句は、「俳句」というものはその句が想像させる意味や雰囲気や認識よりも、何よりも音の並びのそれらしさによって「俳句らしい」と思わせている点があるのではないか、ということの再確認を求める(これらの句はすべて五・七・五もしくは七・五・五で区切って読めるようにとりあえずは思わせる十七音でできており、字余り字足らずはない。季語にあたる語のみが漢字もしくは漢字ひらがな混じりで描かれているのも、意味の蓄積である季語をさらし者のように過剰に浮き上がらせて他のひらがなたちから分離させて、むしろ読む者の意識を意味よりも音に向かわせる効果があるし、やはり「俳句らしさ」の一つとされがちな「有季」ということそれ自体の不気味さのようなものを感じさせる。もしかしたら、5句目の「鬼やんま」は季語としての一語ではなく、「鬼」と「や」と「んま」で、逆にこの句だけは無季ですよ、という仕掛けかもしれない)。そして7句に共通してある唯一の音「び」は、意味よりも音なのだ、という意思を7句全てに通底させるための中心音かつ通奏音のように感じられる(「び」という音は、唸りを含みつつ明るく通るようなオルガンの音色を思わせる)。

ハナモゲラ短歌や鴇田智哉さんの「乱父」名義での句が、音に寄った作り方であるとは言えどうしても「『意味の崩壊』という意味」を見出せてしまうようなところがあるとしたら、田島さんのこの7句は意味を普通に読み取れそうでいて決定的に一語だけがどうしても意味不明に思えるという作りによって、逆により強く「意味の世界から離脱し、より純粋な音のみの世界への集中」を誘っているように思う。意味が結べそうで結びきれないことで、何度も読むうちに音を感じることのみにだんだんと意識が向いていくようになっている。

あいさすと色鳥うすびへるしんき 田島健一

「色」の語があるし、「あいさす」は「藍」が「差す」のかもしれない。しかし「うすび」で意味の分からなさが立ち上がり、「へるしんき」は逆に実在の地名を思わせることでこれは実景だったのか、と混乱してくる。

意味を句全体でとろうとすることがやがて苦しくなり(確実に意味不明に思えるのは「うすび」だけなのに、しかし「うすび」だけが謎であるがゆえに)、意味を放棄して再び「あいさす」と読んだときは心地よい。母音の連続から始まりサ行の音の連続にリズムがある。「へるしんき」のような本来日本語にとっては不思議な音の連なりでしかないもののように聞こえてくる。

(ただ「うすび」は「薄日」かもしれない、とも思える。その点では、「まびわり」「うぞくまり」に比べると謎度が低いかもしれない。しかし、どの音も無理矢理一つの語になるように区切ったり漢字を当てることはできなくはない。「真備」「割り」「雨族」「放り」など。そんなことをしているうちに、手始めに意味を確定しようとする労力が不毛な気にさせられてくる作りであることがこの7句では重要で、読み手の好きな音の並び、区切られ方、アクセントやイントネーション、人によっては句またがりのシンコペーションといった、純粋な音楽的な構成を味わうための装置としての句である、という狙いがあるように見える。私が好きなこの句の読み方(音としての鳴らし方)は、「あい/さすと/いろどり/うすびへる/しんき」。)

ここまでやると、今度は意味が立ち上がってくるような気がしてくる。「薄び減る」という語のようなものとして自分が読んだ、ということを思わされる。音だけを求めても結局それに意味や物語を見出して聴こうとしてしまう(=演奏しようとしてしまう。書かれた俳句を「読む」ことは、自分の手で演奏しながらそれを聴くということに近い)ことを思い知らされる。

音楽は意味や文脈や何らかの事象の再現を伴わない純粋な物理的快楽として作り聴くことができる可能性がある。この7句はそのような音楽的なものを目指して作られた(意味を結びきることを難しくするように構築された)のかもしれない(自動筆記的にではなく)。

それでも考え続けるのは野暮な楽しみかもしれないが少し。

蝦蔓にたつみはるけくゆびみつる 同

この句のみ「び」の音が二回鳴る。出だしの季語に隠れた「び」の音が終わりのほうでもう一度鳴るのが、アクセントを付けられて音が立つようで印象的だ。

菊月のねびゆくけしきうぞくまり 同

あえて意味を考えれば、「ねびゆく」は成長していく、大人になっていくという意味だ。しかし7句の表題である「ねびめく」という語はそれに似ているがおそらく無い語だ。「ねび」+「めく」だとしたら例えば、大人びるかのようになる、ということか。7句全てにある「び」がもし仮に「美」を言外に含んでいるなら、これらの句は「あるいは音美めく」のかもしれない。


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