【週俳12月1月の俳句を読む】
窓・空・雲
江口ちかる
冬萌やいつも誰かが開くる窓 小関菜都子
冬芽の兆しがあり、窓が開けられている。
過去から今に至るまで、いろいろなひとが窓を開けてきた。窓という場所と時間が交錯している。そのことがおだやかに発光しているようで、魅力を感じました。
冬晴れて未来のやうな無人島 中村安伸
未来のやうなという直喩には憂いがなく、無邪気にもひびきます。
そして「未来」と直喩でつながるのは「無人島」。
新鮮だと感じるのは、「未来」が現在の文明の発展していく先にあるとわたしが(それこそ無邪気に)意識下で思っているからなのでしょう。対して「無人島」は文明の対極としてイメージされることが多い。
そういえばガリヴァーも『第三部ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、魔法つかいの島および日本旅行記』のなかで、どうやら無人島にたどりついたと悟ったときに人生を嘆いていました(そこでガリヴァーは飛び島・ラピュタを目にするわけですが)。
だからといって、この句からは未来に対する懐疑や、無人島を否定的に捉えているという感じはまったくしません。
澄んだ空の下にひろがる空間。ただただ冬晴れの明るい光がみちています。
たくさん息を吸い込んでみたくなりました。
一切の雲の去り際寒卵 中村安伸
すべての雲の去り際。
去り際って、いままさに去ろうとしている瞬間です。
雲とは「大気中の水分が細かな粒(氷晶)となって、空に浮かび、白く見えるもの(新明解)」です。ふわふわと群れてかたちを変えいつのまにか消えてもしまうもの。去ろうとする瞬間を持ついさぎよさとは無縁なのです。
去り際を定められ、雲が俄然人間めくのがおもしろい。
寒卵は、季語の意味をはなれて、白いオブジェのように思えます。雲の白と卵の白。変化の状態と、完成形の卵のフォルム。
マグリットは『透視』という作品で、卵をテーブルに置き、カンバスに鳥の絵を描く男をえがきましたが、雲は去って卵のうちにあるのかもしれません。
海になつて鯨を出入りするといふ 中村安伸
鯨になって海へ、というのではなくて、海になって鯨へ。輪郭をもたないたゆたう水の動きが感じられてここちいい。
鯨は大きさゆえ、あの生物に呑み込まれたらどうなるの?という想像を誘うのでしょうか。
『ヨナ記』でヨナを呑み込んだ大魚も鯨が定説らしいですし、『ピノッキオの冒険』の鯨のシーンはヨナ記にヒントを得たものであるとか。『ブラックジャック』にも『鯨にのまれた男』というお話がありました。
でも、あたりまえですが、海のほうが鯨よりずっとおっきい。おおきなものが体内を出入りしてゆく。鯨側になって想像してもここちいいです。
そして「出入りするといふ」と、さりげない伝聞で結ばれているところがニクイです。
青いねと言うとき空の声が変 瀧村小奈生
青いねと言うとき……と読み始めたときに、ぱっと『「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ』という俵万智さんの句が浮かんだんです。そのせいなのでしょうか、「空の声が変」という結びに意表を衝かれ、たのしかったです。
「青いねと言うとき」という言葉は穏当なのに、あれ、空が言ったのか、と思う。しかもその声が変だという。どうやら普段から空の声を耳にしているらしい。たのしいです。
空は何を青いねと言ったのでしょうか。
2017-02-12
【週俳12月1月の俳句を読む】窓・空・雲 江口ちかる
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