2017-04-09

【週俳3月の俳句を読む】春の掌、春の眼、春の耳 井上雪子

【週俳3月の俳句を読む】
春の掌、春の眼、春の耳

井上雪子


蒟蒻を煮ただけ二月がもう終わる  伴場とく子

春光や姪の娘の束ね髪  同

蒟蒻を煮ただけ、という柔らかな表現、そこから何かが滲んで来る。無為の時間の重み、新しい季節への気後れ、思うように動かない掴みどころのなさ。自分で言葉にする以上に明らかにされた姿に不意を衝かれ、蒟蒻を煮ただけ、という表現の、他者の痛みをも包むような奥行や根底を考えます。去っていくものと来るものとの間、まだ名前のないところで、伴場さんは何を見つめていたのでしょうか。

寄る辺ない心細さ、悼むことの彼方、日々の音信や書類・・・。寂しさの陰翳の豊かさゆえ、柔らかな掌のかたちや少女の髪の光が、未来という光の眩しさになっていくのだと思います。

けさらんぱさらん黒くない外套を着て  佐藤智子

暗色のコートの人たちの間を白いふわふわの謎の生きものが漂っていく。その外套、何色とも何ゆえとも明かさない。広げられる白い地図、美味しそうな匂いのする方へ。

ばったり出会ったpenとappleの、何がそんなに面白いのかが謎であるように、言葉たちが生み出す想定外の不思議さに理屈は立ち往生する。いつの間にか脱いだ外套、帰り道も忘れてしまう野原の時間、それをちいさな幸福のように思います。

寒禽の糞に水晶体二粒  榮 猿丸

ラジオネーム受験乙女さんにはステツカー送りまーす  同

見たままを17文字で書ききる境地は遠く、記憶から表現までの隔たりは誰にも見えない。鳥が残して行った小さな冷たい光、色も形も大きさも場所も、感情・心情・情緒といったものすべて、素早く切り抜かれたように書かれていない。澄んだ寒気のクリアーさだと思います。

飛び去った後を鳴る金属音、落葉、裸木・・・、眼差しから言葉の野へ俳句へと、その透明なスピード感とあっさり感、「見たまましか書いてない」などと思ってしまう切り口。

けれども、別人格のような無造作さで、ラジオネーム受験乙女さん、キヤラ弁アフロ、粘着ローラーなどとアウトな言葉を盛った、俳句としてのギリギリの過剰さからもまた何故か「ただ見たまま書いてある」という印象を受けたりします。しかし、ここは息を止めてうぐいすもちを口へ放り込むように。メビウスの輪を転がるものは水晶体以外、何も考えずに呑みこむことがいいらしいのです。次はどんなキャラ弁なのか、チラッと思ったりします。

春眠や渚につどふさくら貝  丑丸敬史

古傷を蝶にて隠す歸郷なり  同

オタマジャクシや蝶を追う少年が眠る、その眠りの覚め際、さくら貝の壊れやすさと淡い光の渚の美しさ。Hなお年頃のダブルミーニングも春らしく思いました(けど、山芋というのは幼さ過ぎでしょうか)。

小川の音を懐かしむ耳、豐葦原の置き處を問う声、ローレンツ・バタフライの美しい曲線のように揺らぐ古い傷、やがて新しい風がどこかで生れたりするのでしょうか。

たんぽぽの綿のよくつく子ども服  木田智美

いくつになったって初めて見るものばかり、春の光る眼がこっちを見あげている。まっすぐな繊細さで、つるんと書かれた子どもの情景。子ども服という言葉がたんぽぽの強い黄色や飛んでくる小さな種を、鮮明に見せてくれたのだと思います。

ポケットには、けさらんぱさらんも入っていそうで、風船、時計、さくら、錠剤、たんぽぽと、三月の先行句をふわっと受けとめ、きれいに打ち返すその感受性を温かに思いました(無意識なのであれば、それはなお素敵です)。正確な千円の時計をして遍路道を歩いていく、生成りのシャツのようなシンプルさ。美しいものや楽しいことを見つけながら、ゆっくりやさしいひとになっていくことを願ってしまう三月です。



第515号 2017年3月5日
榮 猿丸 奪ひ愛、冬 10句 ≫読む
佐藤智子 けさらんぱさらん 10句 ≫読む

丑丸敬史 ふるさとに置き忘れたる春に寄す歌 10句 ≫読む

伴場とく子 束ね髪 10句 ≫読む

木田智美 ウォーターゲーム 10句 ≫読む

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