2017-11-12

第63回角川俳句賞受賞作 月野ぽぽな「人のかたち」50句を読む 「いま」の俳句の「いま」らしさ 上田信治

「2017落選展」関連企画

第63回角川俳句賞受賞作 月野ぽぽな「人のかたち」50句を読む

「いま」の俳句の「いま」らしさ

上田信治


落選展の50句作品を、今年は、ぜんぶ読もうと思う。

一人の作者の書いた50句を読む。それは、作者が実現しようとしていることをテーブルに置いて、それをはさんで、作者と対話をするということだ。もし、その作品に50句のひとかたまりであることの意味があるとしたら、そうなる。



手はじめと言ってはおかしいけれど、角川「俳句」2017年11月号に掲載された、月野ぽぽなさんの受賞作「人のかたち」50句を読んでみたい。

角川俳句賞もだいぶ変わってきた。「俳句」に掲載される受賞作や候補作が、すっかり「いま」の俳句になった。それは作品を見ても応募者の名前を見てもそうだ(知ってる人ばっかり)。

それは、かれこれ十一回落選展をやってきて、俳句の賞がもっと「いま」の俳句に接続したものになればいいのに、と思っていたことの、実現である。

そして、自分が十年前から思っていた「いま」に賞が追いついた現在、無い物ねだりストである「落選展」の勧進元としての自分は、もう、とっくに生まれているはずの「つぎ」の俳句を待望している。

角川俳句賞が、もっと「つぎ」の俳句の発生を、ドライブするものであればいいのに。

というか、自分が「つぎ」の俳句を書いて、応募して、受賞するのがいちばんいいわけだ。



月野ぽぽなさんは、自分がおそるおそる俳句を書き始めた場所である「恒信風句会」や「豆の木」で存じ上げていた名前だ(今年、一次通過の岡田由季さんもそう)。

『豆の木no.11』(2007)より

冬の月髪をほどいてゆけば沼  月野ぽぽな
白もくれん空の半分以上は風
人乗せて象立ち上がる秋の風  岡田由季
良き場所を譲られあたる焚火かな


ここには、この作者たちの変わらない美質があり、「いま」らしさがある。

それは、俳句を書くことと「いま」の人としての感受性が地続きである、ということだと思う。

そのことは俳句らしさに染まらないことによって、輪郭を際立たせている。



エーゲ海色の翼の扇風機  月野ぽぽな
水かけて家壊すなり橡の花
ブイヨンに浮かぶ夜長の油の輪
潰されて車は野紺菊のもの
うそ寒や蛇口のひとつずつに癖
スケートのひとびと昼を流れゆく
まだ人のかたちで桜見ています


角川俳句賞受賞作「人のかたち」(「俳句」2017/11)より。

エーゲ海色」の句、広告ふう言葉づかいもその扇風機も、かつてのモダンとして、いっしょに古ぼけているのだというアイロニー。

水かけて」の句、人のいとなみに向けられる、その視線のフラットさの現代性(仁平勝選考委員が「一句になるとなんとなく儀式の感じが出てくる」と評している)。

ブイヨン」の句、「夜長」という季語が、ついでのように挿入されている地位の低さ。と同時に、ブイヨンの透明感と、夜長に油が浮かんでいるような浮遊感で、一周まわって効いているという俳句性。

これらの句は、従来型の俳句の引力圏に吸引されることにあらがいつつ、なおかつ、よい俳句であろうとして書かれている。

あらがいつつ、というのは、これらの句が、従来型のうまさとは遠いところで書かれようとしていることから感じられる(それゆえの失敗作もある)。

よい俳句であろうとして、というのは、日常の感覚やよろこびに順接するのではなく(そこに順接しないことは、とても俳句的なことだ)、なにかが俳句になった結果をよろこんでいると見えるから、感じられることだ。

潰されて」の句。このチープな抒情と、その車が「潰されて」いるという過剰さがポップカルチャーのよさに通じる(枯草に捨てられた車は、すごく映画で見たようなモチーフだ)。野紺菊の紺が、じつは車の色なんじゃないか。

うそ寒や」の句。蛇口が複数あって、場面が拡散しているのだけれど、その一つづつの「癖」を思っているこの人の体感が、複数の空間をつらぬいている。その構造のおもしろさ(そうそう、体感だからここで「うそ寒」とくるわけで)。

一句ごとにおもしろさのありようが違っていて、こうやって、いちいち方法を発見していくような書き方は、俳句のプロフェッショナリズムとは、ものすごく遠い。

それは「恒信風句会」や「豆の木」で、ずっと試されてきた方向性だったと思う。

一匹の芋虫にぎやかに進む  月野ぽぽな

祝祭的な句。芋虫がぶかぶかどんどんと進んで行くのが、パレードのようだ。

選考座談会では賛否が分かれた。仁平委員と正木ゆう子委員は○。岸本尚毅委員は「一匹の」「にぎやか」の対比がめだつことの限界を指摘した。

しかし、このお目出度さの前に、表現上の隙は、許されるのではないだろうかw 「一匹の」は秋の大空間を暗示して、動かないと思う。

月野さんの書く一句一句は、冷え冷えとしてさびしげであることも多いけれど、恨みがましさや「お化けだぞ〜」とやって人を脅えさせるさもしさとは無縁で、そういった自分をものものしくしない態度もまた、「いま」の人のものであろうと思う。

ぽぽなさん、受賞、おめでとうございます。


>>2017角川俳句賞「落選展」

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