ハイク・フムフム・ハワイアン 2
渓谷のハイキング
小津夜景
下船待つ甲板(デッキ)の上や月涼し 花雪
1930年8月の「日布時事」を眺めていたら「ヒロ蕉雨会の俳句行脚 幽渓の島馬哇へ」といった見出しの2ヶ月にわたる大特集を見つけました。
布哇の文壇に一大センセーションを巻き起したと、自任して居る、ヒロ蕉雨会のマウイ嶋俳句行脚紀行文は出発前の紳士協約に依って、各々の持場を定め、他を侵害せず、各自の個性を発揮した、名紀行文を発表する事は既報の通りであるが、遉(さすが)『俳聖』と呼ばれただけ、其の行動も俯仰天地に恥ざるものの如く、締め切り日迄には全文が集まつた(……)時代の尖端を走る迷文もあれば十八世紀時代の遺文もある事だけを披露して置く。
この俳句行脚のリーダーはどうやら強烈なリーダーシップを発揮する性格だったようで、あなたはこの町、おまえはあの町と、各人に吟行場所を指定したもよう。さらに、それとは別に『俳聖』全員によるハイキングまで敢行したらしく、イアオ渓谷に分け入って、その一番の見所である針山(イアオ・ニードル)を眺めながら川辺でバーベキューに興じています。
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イアオ渓谷 (c)Mark Fickett |
針が峰仰げば霧のうごきけり 一星
イアオ谷の針山(ニードルポイント)!(……)僕等は三台の自動車の殿(しんがり)をつとめ、五分ばかり遅れて谷についたのであるが、その時は、先客の一部は川の辺で盛んに石を焼き、漬焼きの準備をしてゐた『俳聖』達は針山(ニードルポイント)の根を洗ふ清流の上に架けられた橋の上で盛んにパチリパチリとスナップだ。巧く撮れたかどうだか。
伝え聞しイアオの谷の清水かな 玉兎
写真機を置きて清水を掬ひけり 弦波
小菊の模様のある法被をつけた白人のレデーは、絵筆を洗ひながら、針山の写真に彩色してゐる。ヨセミテバリーに居るが政府の為に働いてゐる。そして此キモノは加州のオークランドで買つたなどと僕に話したっけ。
渓流に絵筆洗ふや夏霞 夕鳥
「ヨセミテバリーに居るが」という一文は、作家マーク・トウェインがイアオ渓谷を指して「太平洋のヨセミテ」と賞賛したことに由来しています。
ひややかな山風は盛んに煙を靡かせてゐたが、はじめ僕は、一行の煙とばかり思つて居たが、その一部は救世軍の漬焼きでもあつた。吉岡大尉と久し振りで立話をした。肉の焼ける臭が盛んに鼻を衝いてゐたが、よほど間があつてから喰ひ方始めの号令が掛かつた。焼石の上に焼けただれる半焼けの肉を、グアバの棒の先で突き刺して食ふのであるが、その味のよさ、正に天下一品だ。連中の食べること食べること。
肉を焼く谷の昼餉や夏の霧 紫洞
これといってなんの変哲もない砂浜も見にゆきます。ぞろぞろと。完全にツーリスト感覚です。
ケアべ伐り拓く砂地や浜の風 紅流
椰子道にキヤベ灯りや夏の浜 静雅
キアヴェは豆科の樹木。とても香りが良いため燻製材として使われ、また花が蜜をたっぷりと含んでいてハチミツもおいしい。Wikimediaを覗いてみると、ちょうどマウイ島のキアヴェの写真が。
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マウイ島のキアヴェ (c)Forest & Kim Starr |
これ、すごく写生したくなる木ですね。
あ、そういえば、ひとつ不思議な句があったのでした。下の句です。これ、いったいどこのことなのでしょう。気になります。もしかすると、マウイ島を知る人にはどうってことのない場所なのかもしれませんけれど、奇妙にファンタスティックで、この句こそが伝説の片言みたいだなと思いました。
伝説のお米が浜や星光る 一星
■「日布時事」1930年8月10、17、24日号、9月28日号
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