【週俳5月の俳句を読む】
女の服のかろがろと
伊藤蕃果
五月は物事が移り変わって行く季節。人それぞれ移ろう季節の中で経験したこと、感じたことを詠まれた句を楽しませて頂きました。
浮氣女のやうに 小山森生
蒲公英がそんなつもりはないと言ふ
植物の営みは季節の移り変わりには抗えない。もちろん植物に何かに抗う自覚がある訳は無く、「そんなつもりはないと言ふ」のは作者の心の代弁に過ぎない。何処にでも咲く蒲公英に仮託したところが妙味。
凹む日は毛蟲に道を横切らる
なかなかの諧謔と思った。気分が落ち込んだ日の帰り道に下を向いて歩いていると、毛蟲がゆっくりと自分の行く手を遮っている。私は、毛蟲にまで・・。それをじっと見ているだけの自分とその姿を客観的に観察している自分がいる。毛蟲を踏み潰してでも、我が道を進んで行く輩には俳人になる資格はない。
雪渓 広渡敬雄
膨らんで来し山肌や峯桜
山自体が膨らんできた(=生気を取り戻してきた)という、しかもその肌は桜色である。山の神は女性であると相場は決まっており、若干エロティックな要素も感じさせつつ詠まれた佳句。
ケルンより離れて低き遭難碑
ケルンを積む人の中には山で命を落とした人を弔う意味で積む人もあろう(大多数は、山を登ってケルンがあったからただ積み足した程度ではないかと思うが)。いずれにせよ、遭難碑は設置されたその時点で完結される種類のものである。一方で、ケルンは人が来る度に積み重ねられ、時には形が崩れ、時々刻々と変化してゆく。この句ではケルンの高さが遭難碑よりも高かったことと、ケルンと離れた場所に遭難碑がある(=ケルンは人が集まる場所に積まれることが多いことから、遭難碑は少し人が少ない場所にあるのか)ことのみを表現しているが、どちらが、どうだといった主張はしていない。むしろ、そういった主張が出来ないところが俳句の特徴であることを再認識させられた句。
風に乗る 藤田亜未
お早うもお休みも風に言う五月
五月が良い。風に話しかけたら、風が上手く受け流してくれそうな季節。次の句もそうだが、今回この作者の作品は風の句が気になった。
若葉風乗せて走りぬサイドカー
サイドカーには乗ったことがない。これから先も乗ることが無いだろうと思う。けれどもサイドカーに憧れの気持ちはある。なんだかわからぬが、刷り込まれた憧憬のようなものが心の中にある。乗員不在のサイドカーをこのように表現した作者の感覚が健康的だ。サイドカーって世の中の要らないものランキングでいけば、きっと上位なんだろうと思う。
川嶋一美 蒼く
台ふきん固く絞れば夏うぐひす
「夏うぐひす」が良い。時期が少しずれた鳴き声と「固く絞れば」が呼応している。台ふきんは使い込んだものを思い浮かべた。何気ない家事の景に「夏うぐひす」を持ち込める感覚が面白い。
琉金の鈴鳴るやうに寄りきたる
この句は「鈴鳴るやうに」が共感できるか否かが勝負の句だと思う。エサを目がけて水面に向かって必死で我先にと加速してゆく(そんなに早くはならないが)様子が滑稽でもある。琉金という鑑賞用に仕立て上げられた生物の性を、美しく表現している。
2018-06-03
【週俳5月の俳句を読む】女の服のかろがろと 伊藤蕃果
登録:
コメントの投稿 (Atom)
1 comments:
伊藤様
この度は句を鑑賞頂きありがとうございます。
励みになります。
今後ともよろしくお願いいたします。
藤田亜未
コメントを投稿