【週俳6月の俳句を読む】
六月の青い空が好きです。
森澤程
ひと雨の予感に栃の花が降る 浅川芳直
読んでいて心地よく、読んだあともこの心地よさがつづく。ふと見上げた空の様子に始まる予感が、栃の花の白、薄墨の雲と共にいつまでも虚空を漂っているような一句。
俊敏にうねる毛虫を犬不機嫌 同
きびきびした毛虫を時に見ることがある。人にとっては異次元の動きだが、犬にとっては或いは不機嫌になる要素を持っているのかもしれませんね。面白くて不思議な一句。
洗ひたての鏡のなかにゐて涼し 佐々木 紺
ふつう鏡は洗わないが、一句には、こんなこともあるのだと納得させる力がある。磨きたての鏡の中では、多分涼しくないだろう。猛暑の中「新ひたての鏡」≒(心)の中で涼しげに微笑んでいる作者が見える。
夏の果てまで信号がぜんぶ青 同
「遠くまで青信号の開戦日」という鈴木六林男の俳句を思 出す。青信号にも両義性があるのだ。一句にも、ラッキーとだけは言えない表情が生まれている。でも「夏の果てまで」には、青春の匂いがあり、「ぜんぶ青」と言い切っているところにもナイーブな若さがあり眩しい。
鳥けもの出払ってをり葭屏風 小山玄黙
何も描いてない「葭屏風」は、まさに日本の夏のものだ。でもまた季節の移ろいの中、日本の屏風には鳥やけものが帰って来る。それまでどこへ行っているのだろう。「出払ってをり」から、このようなことを思い、「鳥けもの」のいない空白の妙を味わうことができた。
傷つけてみたきみづうみサングラス 同
サングラスをどう位置付けたらいいのだろう。サングラスの作者が「みづうみ」を傷つけてみたいと思っているのか。あるいは、他者のサングラスを「みづうみ」と見立てて、これを傷つけてみたいのか。自虐とも嗜虐とも判然としない心理に誘い込まれる。いずれにしても「みづうみ」の美しさ、神秘が根底に感じられる一句。
落花めまぐるしく彼方ときめく目 丸田洋渡
五七五のリズムから離れ、横書きがよく似合っている。そして何より「彼方ときめく目」に心が動かされる。これは句の発端に「落花めまぐるしく」が置かれているからだろう。目をめぐる情況を概観しながら、最後に「目」という器官そのものをヌッと浮き上がらせているところが面白い。
翡翠を引用しては紙を飛ぶ 同
「引用」という知的操作に、一句の眼目を感じる。引用により「翡翠」が置き換えられていき、ついには何かが「紙を飛ぶ」のだ。十七音という狭い世界だからこそ羽ばたくことのできる何かを創出できるのかもしれない。
「夢はじめ翡翠が魚を呑むほとり」拙句です。
中庭も義肢製作所もすももの海 八鍬爽風
一句の「も」に、ふと「もももすももももものうち」を思い出した。「義肢製作所」の印象が鮮やかで深く沁み込んでくるのは、「も」の力によるのかもしれない。「中庭」というまさに中間地帯を通過して至る「義肢製作所」に、様々な思いを喚起させられる。「すももの海」とは、きれいで可愛らしく澄んだ海に違いない。
道化恐怖症の少女 トマトを切る 同
かつて太宰治という道化恐怖症の小説家がいた。私の世代ではよく読まれた作家だ。彼が自殺した日は「桜桃忌」という季語にもなっている。さてこの句の少女には、どこか覚めていてお茶目な感じもある。きっと自分のことをよくわかっている聡明な少女なのだ。この感じは「トマトを切る」という散文調に加え、トマトというあまり陰翳の感じられない野菜も、少女のキャラクター表出にひと役買っていると思われる。
2018-07-22
【週俳6月の俳句を読む】六月の青い空が好きです。 森澤程
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