2018-08-26

2017落選展を読む 13. 「柳元佑太 教科書のをはり」   上田信治

2017落選展を読む 
13. 柳元佑太 教科書のをはり

上田信治

柳元佑太 「教科書のをはり」 ≫読む

田中裕明への憧憬を思わせる一連。

とてもいい句がある。

けふよりの旅靴に竹落葉かな

裕明の「これよりの」は怖い句だったけれど、これは、楽しい句。旅行用に靴をおろしたのだろうか。竹落葉の明るさもいい。「鞄には本が一冊竹の秋 裕明」へのアンサーかもしれない。

あの作家(特に晩年の)にならってか、文物について、死についての句が多く、これについては、首をひねってしまった句が多い。

文物の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
うららかや贋作のあをうつくしく
翻訳を経て名文やおじぎ草
さるすべり佳き平仮名にぐりとぐら
サルビアや絵は船旅を経て額に
蔵書庫におほきな柱秋深む


死の句
たはぶれの詩句が遺稿の余寒あり
さはれずの墓たちのぼる紫雲英田は
その人の喪が白藤のをはりどき
夏たけなは丘全景に墓の照り
柚子の花骨壺に骨ひとりぶん
かりそめの黄泉かとおもふ苅田かな
その人をかたどるに菊つめたかり


たはぶれの」の句。実体験としてもフィクションとしても「余寒あり」では、ずいぶん思いが薄いんではないかしら。「余寒」と「余白」をかけているにしても、まだちょっと寒い、では。

さはれずの」の「さはれず」は「『切られ』与三」の「切られ」みたいな体言化した形容句で、触れることが禁忌となっている墓があるのだろうか。墓が「たちのぼる」というのは(「丘全景に墓の照り」という句もあるから)紫雲英田のふちから斜面になっていて、そこに墓が建っているのか。なんか祭文か謡曲のような、ことばのうねらせようだけれど、あやつりきれていないのでは、と思う。

喪が白藤のをはりどき」、「喪も白藤も」とも「喪の白藤の」とも書ききれず(そう書いたら意図が露わになりすぎる?)「が」としたのかもしれないけれど、ばらばらになってしまっているのではないか。

骨壺に骨ひとりぶん」いつ、どういう思いでそう思ったんだろう(骨壺に骨ふたりぶん、ということはない)。「骨壺は」なら、はじめて近親者の死にふれたとき思ったということで、よく分かるけど。

つまり自分は、この人の死の句に、ものものしさとそれに相応する思いの薄さが見えてしまって、乗れないわけです(モチーフが人の死でなければ、あるいは表現がものものしくなければ、思いの薄さは欠点ではなくなる、もちろん)。

文物の句はそれほど嫌味はないけれど、「うららかや贋作のあをうつくしく」には、そんなにきれいな「贋作」があるかなと思ってしまうし、「ぐりとぐら」は、そんなに佳きひらがなだろうかとも思う。

まあ、一年以上前の作品について、あれこれ言うことは、申し訳ない。作者はずっと先に進まれていることだろう。力作であろう句群(編集部の一次予選は通過している)だけに、練りが足りない、こしらえものに見える部分が気になったということです。

教科書のをはりの雪の詩なりけり

これも、とてもいい句。「をはりは」でもいいと思うけれど、この「の」は、その「詩」を広い場所へ押し出す意志なのだろうと受け取った。

2017角川俳句賞「落選展」

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