2009-03-08

山口優夢 ロシアに2泊3日で行ってきました日記 2日目「帽子に目がくらんで」

ロシアに2泊3日で行ってきました日記
2日目
「帽子に目がくらんで」 山口優夢


2月21日(土曜日)

10時過ぎ、3人ともようやくとろとろと起き出す。ホテルの朝ごはんを食べ損ねる。チェックアウトが12時と遅めに設定されていて助かった。

この日、まず何よりも最初にやっておかなくてはならないことは、航空券のリコンファーム(再確認)であった。帰りの航空券について、自分たちで航空会社に電話をかけて確かに予約が取れているか、何時の飛行機になっているかを確認しなければならないというのだ。それをしておかないと、たとえ予約があっても、もうそれを放棄したものと見做されることもあるのだとか。そんなことになったら、日本に帰れずロシアで氷漬けになるのを待つばかりだ。

ホテルの部屋の電話から、ウラジオストク航空に電話をかけようとするがなぜかつながらない。海外で使えるように設定してある自分の携帯電話でもつながらない。30分くらいあたふたした挙句、わざわざハバロフスクの総領事館に電話を入れて、ようやくリコンファームはホテルに頼むこともできることを知る。S崎も日本に電話をかけて今回の旅行を手配してくれた旅行会社の人に聞き、同じ結論を得ていた。そうとなれば、ホテルの受付に行くしかない。

我々は3人ともほとんどロシア語を知らなかったが(僕は確かに勉強したことはあったものの、素人同然である)、旅行中はロシア語をほとんど使わなくても済んだ。英語と手振り身振りでも大概はどうにかなるのだ。それで、このときもロビーにいた綺麗な女のひとに英語でリコンファームできるか聞いてみたのだった。すると、かなり流暢な日本語で「ちょっと待っててくださいね」と言い置いて彼女は奥で電話をかけ始める。・・・なんだ、日本語もできるんじゃないですか。

  日本語が異国語である暖炉かな

日本語学科で日本語を学んだという彼女のおかげであっさりリコンファーム問題は解決。チェックアウト後、夕方まで荷物を預かってもらうことや、ハバロフスク駅へ行くタクシーを呼んでもらうこと、シベリア鉄道のチケットを渡してもらうことなど、ほとんどの用事を彼女に頼る。

ロビーを見回すと、これから外に出ようというロシア人の人が何人か見受けられる。みな、分厚い毛皮を羽織り、頭には円筒形のロシア帽を被っている。いかにもあたたかそうな格好だ。僕はロシア帽を日本で買っていこうと思っていたのだが、どうせロシアに行くならロシアで買いたいな、と思ってまだ手に入れていない。そもそも、頭の大きな僕は帽子というものが似合わず、笑われるのが常なのであまり帽子を被ることがない。しかし、いつも被らないからこそ、たまには自分で手に入れてみたいのだ。だから、この日、ハバロフスクでロシア帽を手に入れることが僕のひそかな目標である。

この日は、12時にチェックアウト後は手荷物だけ持って夕方までハバロフスクの街を散策。そして、駅まで手配してもらったタクシーで移動し、夜にはシベリア鉄道に乗り込むのである。まずはホテルの部屋の窓からも見えた、凍りついたアムール川に行ってみよう、ということになる。

ホテルの出入り口は二重になっていて、外側と内側それぞれに二つずつの扉が並んでいる。面白いのは、外側と内側で左右それぞれ別の方にある扉が開くようになっているということだ。つまり、外側では右側の扉が開くようになっているとしたら、内側では左側の扉が開くようになっているのだ。このように使う扉を互い違いにすることで、戸外の寒気がまっすぐに屋内に入ってくるのを防いでいるのだろう。ハバロフスクの街中にあったショッピングモールの出入り口も、同様の構造になっていた。カフェやレストランなど、二つも扉を並べるスペースの取れないようなところでも、扉を二重にするようにはしているようだった。建物の構造はその土地の気候を端的に表していることが多く、とても興味深い。

その扉を通り抜け、凍りついたアスファルトに足を踏み出す。ホテルの周りは街の中心部からは少し離れるようで、道をゆく人はほとんどいない。積もっている雪の白さと空の青さが眩しい。そして、真昼だというのに昨夜の寒さと大して変わらない、恐ろしい寒気が体中を覆うのだった。

僕はどれくらい着込んでいたかと言うと、上は、半袖のシャツ、長袖のインナー、厚めのインナー、フリース、セーター、ダウンジャケット。下は、下着、ブレスサーモのタイツ、ジーパン。その他、耳には耳あてを装着し、その上からダウンのフードで頭全体を覆い(帽子の代わりに)、靴下は厚手のものを履き、足には防水加工を施したブーツ、それからもちろん両手には手袋を嵌めていた。これだけの格好をしていても、ホテルから出たときには両腿がずいぶんすーすーして冷えてくるのだ。まるで10年以上ぶりに半ズボンを履いたような心地だ。しかしそれは、歩いているうちに温まってくるので、どうにかなる。一番つらいのは、直接外気に触れ続ける顔面、そして雪の冷たさが徐々に染み渡ってくる足の裏であった。

ハバロフスクの冬は大変乾燥しており、だからであろうか、湿潤な日本の寒さとは質が異なる。日本の寒さは体の芯から熱を奪われてゆくような寒さだが、大陸の寒さは体の表面がギンギンに冷やされる寒さなのだ。頬と鼻の頭が真っ赤になり、痛みを伴うようになってきたので、S崎に余っているマフラーを借りて顔の下半分を覆うことにした。足の裏は、途中で懐炉をブーツの中に投入してみたもののあまり効き目がなく、これはなるべく雪の上を歩かないようにすることで対処するしかない。

人気のない眩しい道を、川に向けて歩いてゆく。戯れに積もっている雪を掬ってみると、ひどくさらさらで、三人とも驚いた。あまり水分を含んでいない、と言うとおかしいかもしれないが、日本の雪のようにべたべたしていない。砂のような感じさえする。

リコンファームをしてくれた綺麗なお姉さんが「川の上歩くのは危険だからおすすめしない」と言っていたが、実際に川まで辿りついてみると、簡単に降りられるようになっていて、ごく普通に歩いている人もぱらぱらと見かける。アムール川は川幅が広く、遠くに見える対岸にはうすく林が広がる。氷の上には厚く雪が積もり、一見するとここが川だなんて思えない、ただまっ白な雪原が広がっているように見えるのだ。

  雪原に風紋とほくつづきけり

川の上にいる人たちはただ遊んでいるわけではなく、ほとんどは、氷に小さな穴を開けて、そこから釣り糸を垂れ、魚を待っている人たちだった。あまり釣れている様子でもなかったのだが。その穴の一つを覗き込んでみると、氷の厚さは10数センチと、思ったほど厚くないことを知る。腰が引けながらも川岸へと帰った。

冷えた体を温めるため逃げるようにホテルへ帰り、ロビーでしばらく休憩した後、昼飯を食べに行こうという話になる。そういえば、朝起きてからロクにものを食べていない。だからと言って闇雲に街中を歩き回ってみてもおいしいご飯にありつけるとも思えないので、さきほどリコンファームをしてくれた受付の綺麗なお姉さんに聞いてみる。すると彼女はハバロフスク市内の地図を3枚持ってきてくれて、その地図上で道順を丁寧に示しながらおいしいロシア料理のお店を教えてくれた。

感謝しつつ再び戸外へ。やはりギンギンに寒いが、ようやく慣れてきた。インツーリストを出て左に曲がり、ツルゲーネフ通りまで出たら右に折れる。そのまましばらくツルゲーネフ通りを歩いて市内のメインになる大通りにぶちあたったら左に折れて3ブロック目の角にあるお店らしい。しかし、初めての町、方角も分からない異国、途中で何度か迷いながら、その都度道を通りかかる綺麗なお姉さんに道を聞いて(もちろん、綺麗なお姉さんを選んで道を聞いていたのである)、ようやくその近くまでたどり着いたときには3時近くになっていた。

ロシアの町をこのとき初めて本格的に散策。ハバロフスク自体が地方都市だからか、ほとんどの建物は5階建てより低く、街中で一番大きく目立つ建物は、屋根に金色のふくらみがぷっくりと施されているロシア正教の教会であった。日本のようにごみごみしておらず、ゆったりと広い道路、調和のとれた町並み、そしてその上に広がる、抜けるような青空。日本で見る空よりも青さがうすく、不思議と宇宙に近い気がした。歩道はどろどろと溶けかけたり、つるつるに凍りついたりした雪に覆われ、歩きにくいことこの上ないが、ロシア人はみな慣れているのか早足で通り過ぎてゆく。

途中、建物の中から真っ白なウェディングドレスを着た女性が出てきたのにはびっくりした。どうやらそこは結婚式場だったらしく、花婿と思しき胸に花をつけたタキシードの男性や、数人の正装した男たちが花嫁の周りを囲んで、彼女を黒い車に乗せる。その車の上には花が飾られていて、どうやらそれがこちらでの習慣のようだ。それにしても、花嫁の何に一番驚いたかと言えば、彼女、白い肩を露出しているのである。このマイナス20度の寒気の中に。ロシアの花嫁は大変だ。

地図を持って歩いていたのだから道に迷う気遣いなどなかったはずなのに、結局どこにレストランがあるのか分からず、適当なお店に飛び込むことになる。受付の綺麗なお姉さんに心の中で謝る。二重扉を通って入ると、3時だなんて中途半端な時間だったからか、店には他の客は一人もいない。それどころか、照明はやや暗いし、我々が着いた席以外の椅子は机に上げられている。この店に入って本当に良かったのだろうか、と内心不安を抱えつつ、写真入りのメニューを繰る。何はともあれロシア料理と言えばボルシチ、ピロシキ。ピロシキはないと言うので3人してボルシチを頼む。

よく、日本人の舌に合うのは結局日本にあるお店だ、という話を聞く。手に入る食材の豊富さ、日本人好みの味付けでは、結局日本にあるお店に敵うものはない、という意見だ。僕も漠然とそんな説を信じていたが、このお店のボルシチを一口食べた瞬間、それがただの迷信であった、と思い至ることになる。

  ボルシチのあぶら月夜のごとく照る

ウェイトレスが運んできた深い壺の中から、熱い湯気を上げているボルシチ、この時点ですでにめちゃくちゃ旨そう。スプーンで一口、そのスープを口に含む。僕は目を丸くした。そこにあるのは、さまざまな食材の旨みがじんわりとにじみ出た複雑な風味!・・・ああ、これでは全然あの味が伝わるはずもない。明確にあの味をここに書き表す表現力を持たないことを僕は悔やむ。いや、これはどんなに言を尽くしても伝えることは不可能だろう、ぜひ一回、ハバロフスクまで食べに来て欲しい。オリーブやパクチーなども入れられた味わい深いスープは、単一の味が強調された平板な食べ物に慣れた僕の舌を唸らせる。どうやって作られたのか分からないが、こんなにいろんな味が出てくるには、少なくとも手間と時間がかなり必要であることはわかる。3人とも絶賛しながらスープを口に運んだ。

その後、adidasなどの入ったショッピングモールを冷やかし(日本と大して変わらない)、キオスクでエロ本を買い、ぶらぶらと歩いてホテルに戻る。ロシアの街中には、六畳一間でお店をやっているような小さな商店が道の上に出ていることがある。ちょうど、日本の駅構内にあるキオスクと同じだ。食料から本までさまざまなラインナップを揃えているのだが、そのキオスクで売っていた扇情的な女の写真が表紙になっている雑誌を買ったのだった。

ドキドキしてその袋を破ると、中から出てきたのは、ところどころにかなりきわどい写真の載っている、これは確かにエロ本だ!ただし、写真は全部白黒、ほとんどのページは文章にあてられていて、どうやらこれは、エロ本はエロ本でも、エロ小説雑誌だったらしい。わざわざエロ小説をロシア語で読もうとは思わない我々は、たちまちその雑誌を持て余した。

そのころになると、実際に自分たちの足で町をぶらぶら歩いたこともあり、ここは海外安全ホームページで書かれていたことからイメージされるほど危ない町でもないのではないか、という印象が我々の中に流れつつあった。少なくとも昼間歩く分には問題なさそうだ。道を訊ねれば、言葉の通じない我々を相手にみな親切に教えてくれる。外国人だからということで馬鹿にされたり疎まれたりすることもなく、そもそも町の雰囲気が穏やかでどこにも犯罪のにおいなどありはしない。確かに注意するに越したことはないが、そんなに気にするほどでもないのではないか・・・。

ホテルに戻ったのは5時ごろ。受付のお姉さんに呼んでもらったタクシーが来るまでまだあと1時間ほど時間がある。歩きまわったため少々疲れていて、ロビーで休んでいたら、「学生さんたち?」と日本語で話しかけられた。見ると、隣のソファに、年のころは60歳くらい、小太りで穏やかそうな日本人のおじいさんだ。隣にはその奥さんらしきロシア人の中年女性。「卒業旅行なんです」異国で同郷の人に出会えた嬉しさで話も弾む。S井とS崎はあまり話す気がなかったらしく、僕だけ彼等と話しでいた。

おじいさんはロシアと日本を行き来して暮らしているらしい。僕は、自分たちはロシアに来るのは初めてで、昨日ハバロフスクに着いたところだ、今晩のシベリア鉄道でウラジオストクに向かい、そこから新潟に帰るつもりである、と自分たちの旅の話をする。おじいさんがハバロフスクのことを「ハバ」と略してしゃべっている。

ふと見ると、おじいさんはロシア帽を被っている。それは、僕がずっと欲しいと思っていたものに近いイメージの帽子で、背の低い円筒形の形をした毛皮の黒い帽子だった。さきほどまで町を散策していたときには見つけられずに諦めかけていた帽子、そう、こんな帽子が欲しかったのだ。「帽子を買いたいと思っていて」とおじいさんに話すと、「いいところがあるから案内してあげよう」ということになる。やった!

S井、S崎に言って、一人でおじいさんたちについて行く。彼等は最初から帽子には興味がない。おじいさんとロシア女性はホテルを出て、さっき我々が通った道を歩いてゆく。1人でついていったりして大丈夫かな、と、ちらと思わないではなかったものの、すぐ近くだと言うし、徒歩で行くようなので、まあ、いいかな、と歩いていった。

昼間でも人通りが少ないホテルの周囲は、夕暮が近づいてきたからか、歩いていてもほとんど人に会うこともない。さくさく雪を踏んで5分も歩くと、そこに一台の白い車が停まっていた。2人は二言三言ロシア語で言葉を交わして車に近づいてゆく。運転席には制服姿の男の人が。この車はどこをどう見ても普通の自家用車にしか見えないのだが、そしてどこにもメーターというものがないようなのだが、それでも、これはタクシーらしい。こんこん、とおじいさんが運転席の窓を叩くと、運転手が窓を開き、また二言三言ロシア語で話すとおじいさんとロシア女性は車に乗り始めた。

「えっ。車に乗るんですか」おじいさんは僕の言葉が聞えなかったのか無言で助手席に乗り込む。仕方がないので、僕も後ろの席に乗る。車に乗って遠くまで行ってしまって、万が一ホテルに帰ってくるのが遅くなったりしたらどうしよう。急に不安な心が胸に広がる。運転手は若い男だ。僕が乗ると同時に車が動き出す。車は、先ほど我々が歩いていた市街地ではなく、その反対方向にある林の方へと滑り出していった。

時間に間に合うか、という不安とは別種の不安が急激に頭をもたげて来る。・・・この車は、一体どこに行くのだろうか。「時間とか、大丈夫なんでしょうか」一同、無言で応じる。助手席のおじいさんと運転手の若い男が目線を交わし、そして、ニヤっと笑った、ような気がした。

咄嗟にポケットから携帯電話を掴みだす。二つ折りになっていたそれを開いて、かかってきてもいない電話に出る。「あ、もしもし?なに?・・・うん、あ、分かった、じゃあ、すぐそっち戻るわ」と、元演劇部とは思えないほど稚拙な演技をして、「車、止めてください。ストップ、ストップ!」と言ったら、おじいさんが「ストップ!」と運転手に言って車を止めてくれる。「予定が変わってすぐにホテルを出発しなくちゃいけないみたいなので、やっぱり帽子はいいです、僕、戻ります」と言うと、おじいさんが驚いた顔をして、「そうか、それなら仕方ないね」と言って「じゃあ、ホテルまで送って行ってあげるよ」そして、タクシーはホテルへと向かって行った。

ホテルに着くまで、僕は身を硬くしていた。ホテルと違う方向に行ったり、ホテルの前を通り過ぎたりしたときにはドアを開けて飛び降りるつもりだった。少々の怪我はするかもしれないが、「実は三人ともグルで、林の中に連れ込まれて、そこには屈強な男たちが何人も待ち構えていて、いきなり暴行を加えられ、挙句の果に有り金全部とパスポートを取られました」という最悪の事態だけは避けたかった。

しかし、何事も無く車はホテルの駐車場に入ってゆく。おじいさんは、ちょっとさびしそうな声で「そうか、誘拐とかあるから、やっぱり怖いよね」と言う。やはり僕の演技はバレバレだったらしい。それでも、嘘はつき通さなければならない。「すみません、急にホテルを出なくちゃいけなくなったみたいですから」

考えてみたら、「ストップ」と言ったときに車を止めてくれたのだから、おじいさん達は十中八九、本当にただ親切に帽子屋さんに案内しようとしただけだったのだと思う(車を止めればその時点で僕は逃げることができるのだから)。おそらく、彼等が本当に誘拐あるいは暴行あるいは強盗目的だったとしたら、僕は車に乗った時点でアウトだっただろう。実に迂闊ではあった。海外安全ホームページのコピーを持ってきた僕自身が、他の二人よりよほどうっかりしていたのである。

結局おじいさん達が僕をどこへ連れてゆくつもりだったのかは分からずじまいだし、今後も永久に分かることはないだろう。人はどんな場面でも一つしか選択肢を選ぶことはできない。あのまま車に乗り続けていたら、自分は今どこにいて何をしていたのだろうか。ロシアの寒林で冷たくなっていたかもしれないし、旅の記念のロシア帽を部屋の机に飾っていたかもしれない。

自分は危機一髪だったのだろうか。あるいは、結局自分は人を傷つけただけだったのだろうか。ああ、もう、何も分かりはしない。ただただ苦々しい思いが残るだけだ。

  雪に触れし小指の熱く痛むなり

S井とS崎の二人は僕の話を聞いてひとしきり呆れていた。女に目がくらんで、というわけでも、お酒に酔っ払って、というわけでもなく、まさか帽子に目がくらんで誘拐されかけるとは!ロビーにはおじいさん達もいたが、彼等からは目線を逸らしつつ、ホテルを出る。僕はもう帽子が欲しいとは言わなかった。旅は続く。S崎はホテルの受付の綺麗なお姉さんがよほどお気に入りだったらしく、ホテルを出てハバロフスク駅に向かうとき、ひどく名残惜しそうにしていた。「お姉さん、日本語上手ですね。どこで覚えたの?」と、果敢に切り込んでいたものの、連絡先を交換するところまではいかなかったようだ。

駅前まで出て、その近くの喫茶店で少し時間を潰し、いよいよシベリア鉄道に乗り込む。今回の旅は、もともとシベリア鉄道って乗ってみたいよね、という話があって企画されたものだったので、正にこの旅の目玉である。

駅舎は天井の高い建物で、列車を待つ人たちでにぎわっている。駅舎に入ってきた扉とは逆側の二重扉を出ると、そこに広がるのは幾列もの夜の鉄路。日本の駅のように線路より一段高くなったプラットホームがあるわけではない。線路以外には何もないのだ。列車へは、開いた扉から下ろされたタラップで乗り込む。まばらな燈火のほか灯りがなく、ここには本格的なロシアの夜の闇が広がっている。この鉄路は、シベリアの奥地へと続いているのだ。それを思うと、僕は鉄路の向こうに目を凝らさずにはいられない。

列車が来るまでの間、僕とS井が荷物の番をして、S崎に車中で食べる食糧を買い込んできてもらい、いざ3人でシベリア鉄道に乗り込む。各車両ごとに扉があって、そこにタラップが降ろされている。その傍にチケットを検札する乗務員が立っているのだが、その乗務員たちがなぜか揃いも揃ってみな女性である。鼻が高く色が白く体が大きく、毛皮に全身を包んだ美女たちが、寒そうに足踏みして乗客を待っている。我々は自分たちの乗り込む車両の乗務員さんに列車のチケットとパスポートを見せて列車に入れてもらった。

シベリア鉄道には1等、2等、3等車があり、我々が乗ったのは2等車だった。1等はずいぶんいい部屋らしいが、学生の貧乏旅行では手が出ない。正直、3等でいいと思っていたのだが、3等車は乗客がみなごちゃごちゃに放り込まれる部屋らしく、荷物をいつも管理していなければいつ盗られるか分からないし、旅行会社の人曰く、「少なくとも女性には絶対にオススメしない」そうだ。2等は、4人1室のコンパートメントで、鍵もかけることができるから、荷物の管理も楽であるし、襲われたりする心配も3等よりは少ない。

2等車の一室は、二段ベッドが二つ並んだ部屋。ベッドとベッドの間はS崎の大きなスーツケースをぎりぎり入れられるくらいしか空いておらず、思っていたよりも狭い部屋だった。どこから流れてきているのやら、部屋の中にはロシアの歌が小さめの音量で聞えている。おそらくラジオでも流しているのであろう。4人一部屋なのだが、我々以外に乗り込んでくることも無かったので、3人でその部屋を占領する。空きベッドに荷物を置けなかったら、もっと窮屈であったろう。

  汽笛冴ゆロシア全土が夜になる

車窓からは夜の景色が見える。・・・と言っても、ハバロフスク駅近くを走行しているときは多少なりとも燈火があったものの、走ってゆくうちにほとんど灯りは見えなくなり、辺りは真の闇に包まれてゆく。車窓とは逆側、我々の入ってきたドアの内側には全面に鏡が貼られていた。これはS井の説によれば「狭い車内を少しでも広く見せる工夫」なのだとか。なるほど、鏡だと分かっていてもそこに我々の部屋が映し出されれば、実際にはないはずの奥行きがあるように錯覚してしまいそうになる。

ハバロフスク発は20時。動き始めた車内で、S崎に買ってきてもらった食糧を食べる。少し酸味のある黒パン、手羽先、焼いた豚肉の塊、固いチーズ、あとはウォッカにビールといった酒の類だ。フォークも箸もなかったので、全部、手で掴んで喰らう。肉塊を噛み千切り、パンとチーズをいっしょくたに口に放り込み、ビールで口中に残ったあぶら分を洗い流す。このワイルドな食べっぷり、ちょっとした海賊気取りである。

  しんと寒しハム齧り切る星の中

肉を喰らったあと、買ってあったハムの塊も食べようということになる。ところが、ハムを包んだビニールはなかなか開けることができず、手こずっていたところ、S崎が顔を真っ赤にしながら歯でビニールを噛み千切った。おそるべし。こいつだけは敵に回してはいかん。そしてもちろん、ハムを開けた手柄で彼が最初にハムにかぶりつく栄光を手にしたのだが。

がぶり。

ハムを噛み千切った途端、S崎の顔が歪む。ハムの塊の外側は白い脂肪分が集中的に固まっている部分であり、その脂肪を思いっきり口にしてしまったのだ。実際、日本で食べるハムよりもかなり脂肪が多い感じのハムではあった。脂肪は避けるようにして肉の部分を3人で分け合って食べてゆく。

だいたい満腹になったら、昨日一人だけ早く眠ってしまってモノポリーができなかったS井が、どうしてもモノポリーをやりたいと言い出す。もともと、S井が持っていこうと提案したのだから、その欲求は当然と言えば当然である。そういうわけでモノポリーを荷物の中から取り出し、今度は3人でゲームに熱中する。と言っても、僕は後半戦では半分眠りながらではあったが。

2回ゲームを行い、2回とも僕は惨敗。自分たちでベッドメークをして午前2時ごろ就寝。僕とS井は二段ベッドの下、S崎だけ上。しきりに自分が寝床から転落しないか不安がるS崎。いつのまにかラジオは消えていて、電気を消した暗いコンパートメント内には鉄路と車輪が響くその音だけが単調に続いていた。

リコンファーム、凍った川、町の散策、誘拐未遂で、おそらくかなり疲れていたためか、いつもは寝つきの悪い僕がベッドに横たわって20秒で眠りについた。

(3日目につづく)

6 comments:

匿名 さんのコメント...

またまた楽しく読ませていただきました。

旅行者の方々をお世話する仕事をしているので果てしなく妄想が広がります。車で移動することが解った時点で“悪いですがNoです”と断れなかった気持ち、よくわかります。昔は私もそんな事がたくさんありました。でも絶対に“No”なのですよね。旅行中、臆病になる事は身を守る事ですね。何も無くて何よりでした。

買ってきた食材を手で食べたりハムを開ける件、とても面白かった!寒い寒い中で私もボルシチを啜ってみたいです。

匿名 さんのコメント...

玉簾さま

>旅行中、臆病になる事は身を守る事

本当に、それを痛感いたしました。車に乗るときにきちんとノーと言っておけば、少なくとも嘘をついて車を止める必要はなかったわけですし。

拙文をお読みになられて楽しんでいただけたようで、嬉しい限りです。ありがとうございます。ボルシチ、ハバロフスクにお寄りの際は、是非。

上田信治 さんのコメント...

パクチーの入ったボルシチと、綺麗なお姉さん(7回「綺麗なお姉さん」と書いてある)が、印象的でした。

帽子は、たぶん、買ってもかぶらなかった(周りが止めた)んじゃないでしょうか。

匿名 さんのコメント...

信治さま

ボルシチは本当に美味しかったです。

綺麗なお姉さん、好きです。7回も綺麗なお姉さんと言ってるのは、僕の語彙力の不足ですが。。ロシア人は大概綺麗でした。

帽子・・・。いやいや、止められてもかぶりますよ!(一回くらいは)

匿名 さんのコメント...

綺麗なお姉さん、日本語ができるのだから「俳句を教えてあげる」とかなんとか接近できなかったかしら。

ロシア帽、現地で手に入れたい気持ち、わかります。

でも、ボルシチとハムの句、いいですね。

匿名 さんのコメント...

グミさま

ありがとうございます!

>「俳句を教えてあげる」とかなんとか
なるほど、「クリスマスは俳句でキメる!」方式ですね。
http://weekly-haiku.blogspot.com/2008/12/blog-post_21.html

誘拐されかけてキメるどころではなかったというのが本当のところですが。。

句も褒めていただいてありがとうございます。海外詠はなかなか難しいです(三日目のテーマでもあります)。