2009-07-12

スズキさん第19回 つるさんはまるまるむし(上) 中嶋憲武

スズキさん
第19回 つるさんはまるまるむし(上)

中嶋憲武


「1時んなったら、すぐに出るからね」
スズキさんは言った。
俺は、「はい」と返事をしてNHKの「生中継ふるさと一番!」というお昼の番組の、森林を歩くいとうまいこを観ていた。

昨日、鎌倉へ配送されるべき荷物が間違ってうちへ配送されてしまったので、今日中に届けることになり、かなりの量の荷物ゆえ俺もヘルプすることになったのだ。

「鎌倉、どの辺なんすか?」
「なんでも大仏さんの近くだとか言ってたよ」
「スズキさん、行ったことないんすか?」
「ないよ。鎌倉なんてね。遠いから納品は業者頼んでるし」

二人でしばらく無言でテレビジョンを見つめていたが、スズキさんはうとうととし始めた。うとうとしていたかと思うと、はっと目を覚まし、「眠いねえ」とひとこと言った。
「陽気がよくなってくると、眠くってね」
「そうっすねえ。緑が濃くなってくると、眠っても眠っても眠い感じっすよね」
「ちょっと寝かしてもらうよ」
「どうぞ」

スズキさんは、うしろの壁へ背中を凭せ掛け、すうっと目を閉じた。このところ、スズキさんはお昼の弁当をしたためてしまうと、うつらうつらとするようになっている。春から新しい連続ドラマが始まっていて、まあ、少女がいて、散歩もすれば食事もする、恋もするといった態のドラマだが、スズキさんは寝てしまうので、このドラマを観ていない。始まった当初は観ていたようだが、だんだんつまらなくなったのであろうか。スズキさんの瞳には、笑止千万なドラマなのかもしれぬ。と、想像のつばさを伸ばして考えていると、くだんのドラマが始まった。

スズキさんがはっと起きて、リモコンで音量を2段階上げた。スズキさんはこまめに音量を調節する。ニュースなどは音量を21くらいにしているのだが、ドラマやバラエティなど割と音のレベルが高いものになると、さっとリモコンを手に取り音量を19か18にしてしまう。しかしながら、土曜日のお昼のバラエティ番組で上沼恵美子の発言になると、リモコンで音量を21に上げる。上沼恵美子はネタで「大阪城はウチの不動産」とかホラをよく吹かすのだが、スズキさんはこれがお気に入りとみえて、「ははは」と笑ったりしている。だからリモコンはスズキさんの手の届き易いところに置いておく。

リモコンを2段階上げたので、おっ、今日は珍しく見るのかなと思って、ドラマが始まって10分くらい経ったころ、スズキさんの方を見てみると、……寝ていた。スズキさんはそのまま寝ていて、ときどき「かふっ」「へめ」などの寝言を発した。

ドラマが終り、1時のニュースの登坂アナウンサーが現れた。彼は眉間に憂愁をかすかに漂わせて、画面右下にあると思われるドラマのモニタ画面を見つめていたが、きりっとこちらに向き直り、「1時になりました」と乾いた声で発声した。
「スズキさん、1時ですよ」と言うと、スズキさんは、んん?と言ったまま目を開けない。

登坂アナウンサーの「1時になりました」を聞いてからの俺の行動の順番はいつも決まっている。敷いていた座布団を、引き戸を開けて物入れに仕舞い、仕出しの弁当箱を二つ重ねて、この弁当箱二つというのは、ごはんの入っていた箱とおかずの入っていた箱の二つである。おかずの入っていた箱の方が、ごはんの入っていた箱よりもふた回りほど大きいので、それを下にする。おかずの入っていた箱と箸を持ち、上に乗せている箱の上に中濃ソースのプラスティックの容器を立てて、もう片方の手に湯呑を持ってバランスを取りつつ流しへ行く。流しで箸を洗い、湯呑にポットからお茶を注いで、空の弁当箱とお茶を持って仕事場へ行き、弁当箱の回収に来る弁当屋のために丸椅子の上へ弁当箱を置く。

ところが今日は、スズキさんが壁に寄っかかって寝ていたので、引き戸の敷居がスズキさんの腰の裏に伸びていて、引き戸を開けることが出来ず、最初に座布団を仕舞うことが出来なかった。午後のはじまりのいつものリズムが狂った。座布団を仕舞いに、仏間へ戻るとスズキさんが両手を上げて伸びをし、「いっちょう行くか」と言っているところだった。俺も60年代の植木等のように「ブアーッと行くかーっ」と心のなかで両手両足を広げて叫んだ。

シルバーに輝くメタリックボディのスズキのEVERY。その運転席にスズキさんが待っていた。お待たせしましたと助手席に着くと、「今日はナカジマくんにもちょっと運転してもらおうかな」と言うので困った。俺は前の会社を辞めてから、もうかれこれ3年ほどペーパードライバーなのだ。高速を運転する自信が毛頭ない。

頭のなかで「ペイバーバックドライヴァー、ペイプァバックドライヴァアア」とビートルズの「ペイバーバック・ライター」の曲そのままにリピートされていた。入谷で高速道路に入ってから、10分ほどで銀座に来ていた。空いているのかもしれない。「空いてますね」と言うと、「いや、これからだよ。混むのは」と言った。

Dirty story of a dirty manと頭のなかで「ペイバーバック・ライター」が鳴り響く。それでもすいすいと車は滑り、都心環状線から羽田線へ入った。ラジオの交通情報で、警視庁交通管制センターの阿南京子さんのセクスィーな声で、たびたび耳にする道路だ。入谷で乗ってから、まだ1時間そこそこしか経っていない。「空いてますね」と言うと、「いや、まだこれからだよ。混むのは」と言った。

(来週につづく)

2 comments:

peewee さんのコメント...

いつも楽しく読ませていただいています。

大阪の女性はすべて、若い上沼恵美子か、上沼恵美子か、年取った上沼恵美子か、この三るのどれかに当てはまると聞いたことがあります。

ほんとなんでしょうか?

って、聞いても、わかんないですよね。

中嶋憲武 さんのコメント...

はい、まったくわかりません。
今度、大阪に行って確かめてきましょう。