【俳句関連書を読む】
虚子の未来・俳句の未来
『国文学 解釈と鑑賞』74巻・11号(2009年11月)「特集 高浜虚子・没後50年~虚子に未来はあるか」を読む
久留島 元
まず目次を紹介したい。
●エッセイ・虚子を読む一目瞭然、「俳壇」サイド、つまり実作者からの起用が少なく、なにより虚子特集ながら「ホトトギス」関係者の少なさが目を引く。例外は熊本大学教授でもある岩岡中正氏(「阿蘇」主宰)、虚子記念館学芸員の小林佑代氏くらいか。
虚子の去年今年 野山嘉正
革新の古び 三田完
虚子と松山 竹田美喜
脱力虚子 清水哲男
写生句の読み方 佐佐木幸綱
●虚子と時代
現代思想としての虚子 岩岡中正
●写生文家・虚子
漱石と虚子 「余裕」の帰趨 大沢正善
虚子にみる回想の仕組み 漱石を語るということ 長島裕子
『寒玉集』時代の虚子写生文 その問題点と可能性と 中島国彦
高浜虚子の小説作法 『朝鮮』をめぐって 三谷憲正
紀行文というリアリズム 虚子と日本語表現のリアリティ 中川成美
●俳人・虚子
虚子のモダニズム 発句の解体 仁平勝
なぜ取り合わせをしないか 自流を行う 中原幸子
花鳥諷詠とは何か 「伝統」を装った近代 今泉康弘
虚子の季題論と季題 筑紫磐井
文学と生活の源泉としての「ホトトギス」 大野道夫
●写生文十冊
『鶏頭』/『俳諧師』『続俳諧師』 青木京子
『朝鮮』/『女七人に男一人』 三谷憲正
『風流懺法』/『柿二つ』 わたなべじゅんこ
『十五代将軍』/『虹』 神野紗希
『椿子物語』/『現代写生文集』 坪内稔典
●『虚子百句』を読む 五七五の魅力
坪内稔典/中原幸子/小西昭夫/塩見恵介/小枝恵美子/滝浪貴史/わたなべじゅんこ/中谷仁美/水上博子/二村典子/森山卓郎
●研究の手引き
高浜虚子研究文献目録一覧 小林佑代
ちなみに、たまたま手許に以前古本屋で買った『解釈と鑑賞』36巻12号「特集 虚子と虚子以後 現代俳句の大動脈として」(1991年10月)があるので、双方の執筆陣をざっと比べてみる(各タイトルは割愛)。
●虚子雑感 飯田龍太内容以前でこだわり過ぎるのも失礼だが、やはり実作者が圧倒的に多く、第二部の各論から推しても基本的に実作者側に立った編集だったといえそうだ。
●座談会 高木晴子・上野章子・大岡信・川崎展宏
●第一部 <虚子>とは何か
柄谷行人/高橋睦郎/平井照敏/矢島渚男/原子朗/粟津則雄/清崎敏郎/藤井淑禎/小澤實/本井英
●第二部 虚子以後―現代俳句の更なる展開―
栗田靖/野山嘉正/原裕/宮坂静生/松本旭/廣瀬直人/上野さち子/倉橋羊村/松井利彦/長谷川櫂/森田峠/村田脩/宇多喜代子/畠中淳/小室善弘/桂信子
●事典・虚子と現代俳句の作家 川名大
ここでの注目は虚子の四女・高木晴子氏、五女・上野章子氏を迎えた巻頭座談会「父・虚子、俳人・虚子を語る」。個々の執筆者の意図は別にして、ここでは「虚子」の作品よりも「人物」を含めた「虚子特集」が意図されていた、といえるだろう。
これに比べ、今回の74巻11号の執筆陣には、作品へ向き合う「読者」の視点が期待されているといえる。今回の特集の目玉と思われる「『虚子百句』を読む―五七五の魅力」について、坪内氏は次のように述べる。
高浜虚子の自選自筆句集『虚子百句』は昭和三十三年十二月、便利堂から出版された。……晩年の虚子が自選したこの百句について、表現に即した鑑賞を試みた。定型や季語の働き、さまざまな表現技法に即して鑑賞することで、五七五(俳句形式)の表現的な魅力を捉えようとしたのである。鑑賞者は俳句グループ「船団の会」の会員。(p126)「虚子の没後五十年」「著作権が切れる」年の特集号として、直近の「ホトトギス」から仰ぎ見、語られる「虚子先生」ではなく、共有財産として「表現に即し」「虚子」を読み解く可能性を探る特集なのだろう。(参照:http://sendan.kaisya.co.jp/nenten_ikkub09_1002.html)
さて、ようやく内容にはいる。
エッセイ「虚子を読む」。執筆者はそれぞれ、国文学者、小説家、子規記念館館長、詩人、歌人とバラエティ豊かな顔ぶれ。
野山嘉正氏は、虚子の代表句「去年今年貫く棒の如きもの」に、茶道の「炭つぎ」のイメージが重なる、という裏千家の師匠の言葉を紹介し、
いくら何でも棒が炭ということはなくて、「如きもの」という簡明この上ない直喩に、幾重にも交錯している世々の重なりや具体と抽象の言いしれぬ関連が封入されたのであろう。(p6)という。結局おおきく読みが更新されるということでもなく、ちょっと肩すかし。
以下、三田完氏は虚子の句を「写生」からだけでなく「しらべ」からも評価すべきと説き、竹田美喜氏は虚子が故郷松山を語った『松山道後案内』『いよのゆ』の二作品を紹介。清水哲男氏は、「読む側の膝が思わずガクッとなったり、緊張の腰を折られたり」するような「脱力句」が虚子俳句の「本流」だ、という自説を述べる。
佐佐木幸綱氏は「遠山に日の当たりたる枯野かな」「流れゆく大根の葉の早さかな」などは素人にわからない「業界向けの句」であり、むしろ「写生した側、つまり作者を読もうとする」こと、作品からみえる<われ>の視点を読むことを提唱する。
<景>そのものではない。<景>を写生した作者<われ>を読むのだ。流れてゆく大根の葉を、目をそらさずにじっと見ている<われ>。(p14)これらの提言は必ずしも目新しいわけではないが、かえって虚子の「客観写生」がもつ「わかりにくさ」「古くささ」のイメージの堅牢さがよくわかる。「平明」をめざした虚子作品にとって、このイメージはどうやって克服していけるのだろうか。
岩岡中正氏は、虚子の「客観写生」「花鳥諷詠」を、近代的な自我の文学とは別の「脱近代的世界観」であり、「生活と不可分の生き方を含む」「思想」と位置付ける。
評価は難しいが、少なくとも長命な虚子の思索が最初から一貫していたはずはなく、もっと年代を追って検証されるべき余地がある。また、後半の今泉氏の論考では、虚子が俳諧・俳句の本質を一貫して「花鳥諷詠」と規定したことを批判的に論述している。
虚子は子規の<近代>を受けつぎながら、それを<伝統>として演出した。そのための道具が「花鳥諷詠」という概念である。虚子は<反モダニズム>ではあるが、<反近代>なのではない。虚子は<近代>なのである。(p88)虚子の「写生」観を知るうえでは「写生文」の表現も無視できない。国文学専門誌だからということもあるが、今回「写生文家」としての虚子が大きく取り上げられている。
大沢正善氏の論考では、漱石が虚子の短編集『鶏頭』を「余裕のある小説」と評したことから出発し、「態度や思想の問題として評価されがちな「写生」や「余裕」の帰趨を、表現自体の問題として再考したい」と問題を提起している。
大沢氏によれば、漱石と虚子の「余裕」は、子規の「写生」を継承し、「筋」や「語り」を表面化させることなく物語の類型化を克服する手段である。そして虚子の「余裕」は「葛藤を消去しながら定型に筋を委ねる近代俳句」に帰趨した、という。
このほか、中島国彦氏、三谷憲正氏らは、虚子が、筋や語りに主眼を置かず、対象に節度をもって描写する「写生文」を用いつつ、さまざまな内容に挑戦していたことを論じている。近代文学黎明期のひとつの可能性として、虚子はもっと顧みられるべきだろう。
俳句に関する考察ではやはり仁平勝氏、筑紫磐井氏のものが興味深かった。
仁平氏は、虚子にとって俳句の近代化が「大衆化」に他ならなかった、という考えを進め、虚子の反近代性とも解される「連句」への関心を「人事を詠むのに適した」「平句」への関心だった、という。虚子が俳句の絶対条件とした「季題」も、伝統的な教養に裏打ちされた「発句」の季ではなく、「平句の季に近い」ものであり、また虚子俳句に「発句の格」を保証する「切れ」が少なく、以下のように結論づける。
俳句の近代化にあたって、虚子のもっとも大きな功績は、五七五という定型のなかで発句の格を解体したことだ。(p71)筑紫氏は、虚子にとっての季題論を「花鳥諷詠以前」「以後」で区別し、
子規も虚子も、明治三十年代には「俳句は季題諷詠の文学である」などとは思ってもいなかったはずなのである。こうした考え方が虚子に生まれた背景には、過激な碧梧桐の新傾向俳句に対する対抗意識が大きく働いていると推測されるのである。(p93)とする。筑紫氏の論考はさらに「熱帯季題」に触れつつ、虚子が時代に合わせてどのような季語を選んでいるかに及んでおり、同時期に出た「昭和の季語」『別冊俳句生活 季語の楽しみ』(2009年10月)と併せて興味深い。
筑紫氏と似た観測は同じく中原氏の論考でも指摘されており、虚子の「客観写生」は、子規、碧梧桐に対する「自流」として意識的に選ばれたものであるという。
自流に徹することは他流を興す。『ホトトギス』は水原秋桜子、山口誓子ら天才ある一人一人を発たせたのである。(p78)さて、ざっと特集記事を眺めてきた。「高浜虚子」の存在は、よくもわるくも間違いなく近代俳句の方向性に大きく影響している。「虚子」が俳句にもたらしたもの、俳句が失ったものは何か。人物・虚子への盲信や感情的な反発ではなく、もっと真摯に「表現」に即して読み解き、もっと自由に鑑賞する試みが続けられるべきだろう。
今回の特集では、本稿では触れえなかった記事にもいくつも興味深い示唆があった。しかし、副題「虚子に未来はあるか」に対する答えは何だったのだろうか。正直なところ、私にはよく分からない。
もっとも、こうした試みがなされなくなったら、虚子に限らず、俳句に未来は、ない。
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