「前衛俳句」のありどころ(上)金子兜太と河原枇杷男~正岡子規国際俳句賞の意味
堀本 吟
『びーぐる 詩の海へ』第3号(2009年4月)より抄出転載
◆問題は「俳句人口」ではない
「俳句の状況」ってなんだろう?「俳句時評」ってなんだろう? 俳句が世界にどんどん広がって、とにかく雨後の竹の子のように新しく作られる俳句の数とそれを担う人口があまりに多くなっていることはたしかである。自分が触れる範囲はそうひろくはないので、ふだんはあまり考えないのだが、一体今どれくらいの数の人が俳句を作っているのか、先日、なにげなく「俳句人口」でグーグル検索してみたら、おどろくべき発言があった。金子兜太が、『東洋経済』誌でこういっている。
俳句は老若男女を問わず誰もが親しんでおり、まさに国民文芸となっています。俳句人口は国内で1000万人とも言われますが、私の感触ではもっといますね。海外にも愛好者がいて、100万人以上が短い定型詩として“Haiku”を楽しんでいます。飲料会社の伊藤園俳句大賞の審査員を第1回から務めていますが、18回目の今年は160万句が集まった。(後略)。※太字は堀本によるこの数まさか?…そして「国民文芸」と言ういい方、兜太さんどうも、本気でいっているらしい。この膨大な数の根拠をさらにさぐってみようと思ったが、時間の無駄なような気がした。
(『東洋経済』長老の智恵《金子兜太談。 その2【全5回】老若男女が楽しむ俳句、内面を深めると上達も早い - 08/11/21 | 22:00)
こんどは「週刊俳句」というウェブ俳句週刊誌でさいばら天気が、早くも昨年末に右のおなじ金子発言の部分を引き、揶揄してむしろ本気で怒っているその文章を引用しておく。
ときどき耳にする「俳句人口1000万人」。人と場合によっては、それ以上の数字にもなる(*1)。/すこしでも常識があるなら、その常識によって醸成される実感から、「そんなのあり得ない」と笑ってすませておく類のバカ話なので、(略)、一般の人から「俳人とは誇大妄想狂の集まりか」と思われてしまうのも、かなり当たっているが、ちょっと癪なので、一度くらいは、この「俳句人口」を話題にしておきたい。この「(*1)」の処に、私も引いてある金子談話が引用してある。これ以上の数字が別の人たちからいわれることもあるとか? 私はこれについてはさいばらと同感である。
(俳句人口1000万伝説 いいかげんにしませんか、妄言を垂れ流すのは(「週刊俳句」第85号2008年12月7日)
『レジャー白書』という広く知られる刊行物(年刊)からだと、人口はほぼ400万強、とあって、これも眉唾いい加減な数字で、彼がおおざっぱに調べた個人的な結論では、せいぜい100万人ではないか、と。これもどういう根拠で100万人なのか私にはあまりわからない。数なんか測っても意味がない。
私(堀本)の実感では、所属する同人誌「俳句空間—豈—」が70人を超えたために少数精鋭の同人誌のてづくりシステムあやうくくずれそうである。ここまで来るとテキは100万でも1000万でも関係なく、ともかくこの「雨後の竹の子」、「いちめんのなのはな」みたいな無尽蔵の俳句群にぼうぜんとしているのは確かだ。
ついでに、さいばら天気が触れなかったことについて、わが俳壇の最長老金子兜太氏に敢えて言いたいことは、俳句を「国民文芸」などといういかがわしいものに「格上げ差別」をしないで欲しいのである。文芸的本質に関わる部分で政治的要素がくわわってしまう、94歳で物故した永田耕衣師は、晩年、茶化しの俳句をとなえたものの、「雀百まで」、というべきか、けっしてそういうことはいわれなかった。
◆俳句は「国民文芸」?
『東洋経済』という経済界向けの週刊誌に五回連鎖されている兜太談話は[長老の智慧]というシリーズ、各界の功なり名遂げた人たちの、人生経験から来る訓話みたいなものだから、これはこれで人間味あり親しみやすい。とくに、戦争体験への内省、部下が餓死してゆくのを目の辺りにしてかんがえたこと、そういうことから、復員後に労働運動や反戦思想に傾いたことなど、来し方の自己の体験をまともに文学(俳句)に取り込んでいる。で、私は金子兜太のかような談話にぶつかって、「難解」と言われた次のような俳句にこの私自身が感銘した初学のころを想い出す(そのころ既に戦後四〇年をすぎていた。この「前衛」俳句の影響はまだ生きていた。と思う)。
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
果樹園がシャツ一枚の俺の孤島
強し青年干潟に玉葱腐る日も
『金子兜太句集』(昭和三六・風発行所)
という。どれも敗戦直後の生活の再建に向かう、私たちの父母達の若き日の心の立ち姿である。
「日本国民」には違いないが、そう言う類の共生感覚から父母達が苦労して赤子の私たちを育てたのであろうか。「戦後民主主義」、という言葉を私は嫌いだが、当時は、日本人一人一人が生をつなぐために、やはり、戦前の国家とか国民というしばりから解放された心理があったはずで、少なくとも無辜の「国民」一人一人が反軍国主義反ファシズムの、自由をもとめるデモクラートであったはず。その機運の中でうまれた「前衛俳句」の精神は、全体性よりも「個」の自由の発現であったように理解している。
また、兜太のこのような句には、高浜虚子等、「ホトトギス」の客観写生や花鳥諷詠の理念とは一線を引いた「造型」=仮構の世界だということが歴然としている。この新しい俳句理論の提案が当時の金子兜太の最大の功績である。単身赴任中に関西で新俳句懇話会の中心になり、いわゆる「前衛俳句」発生のきっかけになった・・このころの若き兜太やたちのダイナミックな現実感覚は、それを跡づけて当時のガリ版刷りの冊子を読んでいてもつたわる。
その後、金子兜太の名句と思われる句はいくつかあるが、とくに
梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太 『遊牧』(昭和五六・蒼土舎)
のシュールリアリズムは、戦後社会への現実への直接の対峙というくびきをはずしたときに、この作家本来埋蔵している言語感覚が出てきたものだ、と私は印象けづけられたのだが。これだって、一〇〇〇万人の「国民文芸」概念とは質的に大きく隔たった要素の開花である。
金子自身の姿勢は、大衆化の時流のなかで、多くの俳人がたどっているのと同じ方向で歩いているのだが、俳句隆盛をよろこぶあまり(喜んでばかりもいられないではない)、わけのわからない共同性の次元に持って行くこの短絡は、いかに前向きと言っても現代俳句の第一人者の言だからこそ受け入れがたい。表現に関するおおきな取り違えがあるように思う。(金子の心の下の層には独自の言語領域がまだ健全に生きているのに)。
◆戦後俳句の帰結
ところで、その人が、また大きな賞を貰った。今回は県民のシンボルとして。
賞も、あり方によっては、俳句史の正しい認識をひろめ、あたらしい才能の開発や顕彰のしかたとして、見るべきものの出てくることがある。これ以降は予測出来ないが、今年の選考視点には納得が行く。
「正岡子規国際俳句賞」。事業主体は、「(財)愛媛県文化振興財団。愛媛県、愛媛県教育委員会、NHK松山放送局、愛媛新聞社、(財)自治総合センター」。平成十二年から実施されている。二年ごとに行われ今年は第四回、むろん郷土の偉人正岡子規の名を冠して「愛媛県」のイメージアップを図る目的は否めないのだが、一地方の文化政策の枠をこえていてそうとう視野がひろい。俳句界の良識の力をかたむけて、現状の制約の中で現代俳句の存在理由を体現したしかるべき人物を選んでいる。
今年2009年は「金子兜太」が大賞。以下。この二月十五、六日に松山と東京で、受賞式や記念のシンポジウムが行われた。「金子兜太」の受賞理由は、誰が書いたか知らないが、けだし名文というか、当を得た正論である。
正岡子規国際俳句賞大賞(1名) 金子兜太(男性、八九歳、日本)全文引用せざるを得ない。兜太一人の軌跡をかりて、戦後俳句の帰結と言うべきものが簡要に過不足なく総括されている。この傍線部分、前衛俳句が「伝統」に近づいて金子兜太が「国民文芸」といいだしても不思議ではない俳句人の感情と認識をうまくいいあてている。いまのところ、衆(国民や県民)にとっては、一般読者として俳句は日常的にはこれで良い、ということである。「前衛俳句」は伝統俳句の論理を内包したまま既成俳壇にぶつかっていたから、伝統に固執する弊害に対する真の対立者としての立脚点を無くしていった歴史も自らうきあがってくるのである。
〈受賞理由〉 金子兜太氏は、戦後世代作家として最も活動的な作家である。「俳句は文学の一部なり」(『俳諧大要』)とした正岡子規の精神を最も強く体得し、戦後俳句史の「事件」としての、社会性俳句、造型俳句、前衛俳句という運動や主張を主体的に展開した。のみならずそれらは狭い党派に止まることなく、俳句界全体にその影響を浸透させた。例えば、前衛俳句は伝統俳句に対立する運動と理解されているが、むしろ氏の活動によって伝統俳句が活気づけられた点を見逃せない。前衛俳句運動によって、伝統俳句の意識が明瞭となり、新しい伝統俳句運動も誕生した。氏はその後も、小林一茶や放浪の俳人たち、郷里の秩父など土着性の評価を踏まえて新しい俳句への意欲を燃やし続けている。(平成二年十年「正岡子規国際俳句賞」受賞理由)(太字・堀本)
◆〝存在論的・非日常的〟河原枇杷男の受賞
だが、このイベントは奥が深い。ここにもうひとり、衆になじまない俳人「河原枇杷男」を「俳句賞」に選んだのである。
正岡子規国際俳句賞 俳句賞(1名) 河原枇杷男(男性、78歳、日本)金子兜太とは全く反対の方向に俳句の極限を追いつめた作家に、文学表現としてもっとも重要なところの名誉をあたえている。この人は現代詩の方に受け入れられやすいと、私は、先号に書いたのだが、河原枇杷男は、このような意味に於いて、俳句主流の傾向からは異端的な存在だった。河原など思念的な傾向の句を含めたときに、俳句のポエジーの全景はまた違って見えてくる。
<授賞理由> 河原枇杷男氏は、自然を諷詠の対象とするだけでなく、存在論的な思考と認識の詩としての俳句の創造者である。日常的な世界を超えた詩的真実の別世界を構築し、これをいち早く形象化した短詩型としての俳句作品に、一頭地を抜くものがある。/他のジャンルの人々からも畏怖される存在で、大岡信は「写実写生句のはるか遠方を歩み、人間の持つ謎の世界に存在論的にせまる作風を特徴として」「独特な内部宇宙ともいうべき世界を切り拓いてきた人」と高く評価している。また(略)、わが国の第一級の詩人、作家、歌人、俳人、国文学者から、氏ほどの賞賛を浴びた俳人は稀である。(後略)。(受賞理由本文。太字は堀本)
この二人の受賞は、「前衛俳句が」俳句史の伝統の先端に、ともかくも位置づけられたことを意味している。
(つづく)
※転載に際し、初出の記事タイトルを変えさせていただきました。
4 comments:
お世話になっております。
>さいばら天気が、早くも昨年末に右のおなじ金子発言の部分を引き、揶揄してむしろ本気で怒っている
いえ。切れてなーい。
(長州小力、最近見ませんね)
金子発言は一例として挙げています。影響力の大きな一例にはちがいありませんが。
よく知られる統計データがあるのに(精度等の信頼性に保留はつくものの)、なぜそれを使わずに数字をつくりあげるんだろう?という疑問が、この記事を書いた動機のひとつです。
●
>彼がおおざっぱに調べた個人的な結論では、せいぜい100万人ではないか、と。これもどういう根拠で100万人なのか私にはあまりわからない。数なんか測っても意味がない。
最後の「100万人」は推論ですから、根拠は薄い。その寸前までの数字の根拠は、記事に示しています。
「数なんか測っても意味がない。」はおっしゃるとおり。というか、妄想的な数字が繰り返し口にされるその心の傾きのほうが重要。「国民文芸」という(勝手に掲げた)看板のほうが、さらに重要。その意味でも、堀本吟さんのこの記事、興味深く拝読しました。
ただ、数字の信憑性が重要ではないかというと、そんなことはありません。だから書いたのですが、実は一方で、「1000万人」なら「1000万人」の、その根拠が知りたいのです。どなたか説明してくださり、それに納得すれば、即座に、自分の間違いについてお詫びするつもりでいるのです。
色々厄介な趣旨の抄出をしていただき有り難うございました。
総タイトル、章題も、拙文俳句時評の原文とは、すこし変えておられますが、拙文テーマに貴文を引用させて頂きいたことについては、多大な利点があったことなので、その趣旨にかんがみて、これでけっこうです。
重点の置き方がちがうので、「俳句人口」については、さいばらさんとの意見交換が出来て有意義です。
いまは、リーダー的存在の発言や、戦後俳句の基本姿勢の変化に関心があるために、人口問題からは切りこまないのであり、あるいは俳句批評でが数を問題にする日はくるかもしれません。が、その際も、具体的数字はあんまり論題にしないだろうと思います。どのレベルを俳人というか、そこから見た何万人とか何百万人が、自分の立ち位置にどう関わってくるか、ということは、ほんとに、いまのところイメージ湧きません。さいばらさんは、どういう風に結びつけられるのですか?
いっぽう私のもつ内発的な関心は、「金子兜太氏のあつかい」、件の賞の「意義や受賞理由文の検討」などです。これは人口増加にたいおうしているとはおもいます。拙文の重要テーマなので、ぜひみなさん、この切り方についてもご高批下さいませ。堀本 吟
>どのレベルを俳人というか、そこから見た何万人とか何百万人が、自分の立ち位置にどう関わってくるか、ということは、ほんとに、いまのところイメージ湧きません。さいばらさんは、どういう風に結びつけられるのですか?
1)参加頻度の問題、どこまでを俳句とするのか、等の問題があることは、当該記事(中盤あたり)に書いています。何をもって、俳句人口とするかは、曖昧ですね。
2)「俳句人口」に含まれる人々と「自分の立ち位置」と結びつきについて。
これはむずかしい、というか、あまり考えたことがありません。自分は「俳句愛好者のひとり」であり、俳句の好きな人はたくさんいるらしい…と、これくらいの把握です。
俳句人口というものに、私自身、まったく興味がありません。そのことも、上の曖昧な把握の起因するところでしょう。
そのようなわけです。
●
ひとつ、話は逸れるかもしれませんが、「俳句人口」が口にされるとき、決まって、〔多いこと=良いこと〕〔増えること=良いこと〕として語られるようです。これもどうでもよろしいことのように思います。
それにしても、なぜ、俳句人口は増えなくちゃいけなんでしょう? 俳句が滅んではいけないみたいなことをおっしゃる方がいるのが、不思議でしかたがありません。「滅ぼうが永らえようが、あんたと何の関係があるの?」という感じです。
以前、『俳句界』の座談会で谷雄介氏が、どこかで私の言っていたこととして引いてくれましたが、いくら激減しようが、いっこうにかまわない。3人だと寂しいが、10人いれば充分。愉しく句会をやります(離れた老人ホームだったらネットを使ってw)。
さいばら天気様。二週に渉ってお世話になりました。「伝統俳句」って、歴史が浅いのですね。今度の分所を各過程で調べていてこのことをちゃんと認識したことは収穫でした。
それから、人口問題は、そういう社会現象にたいする関心であり、また、むしろ知的な興味の対象です。激減したらそれがそれで、じゅうぶん興味深いです。
個人にとっては、 この「一句」「この志」を受け止めてくれる人は必ずひとりぐらいはいるはずですから、そこに焦点を当てておけば、俳句人生がそこでそのとき限りの滾のようわいて乾涸らびてもいいのではないかと思います。そうはならないだろう・・というのは、老人ホームでインターネットをつかったとしたら、たった一人だからこそ、仲間を求めますから、必ずだれかはそれを読むでしょう。
そして、メディアというのは、最初から複数として登場していますから、ひろがらねば存在理由が無くなるでしょう?
松岡正剛の言い方を借りるならば、「情報はひとりでいられない」ものです。
数は、私は関心がないのではなくて、つづけていればそこからぽかっと新しい発想が出てくる可能性があるから、重要です。
これも、多数を獲得したいために、書く内容を規制したるすると、そのぽかっと出てくる釘の頭を押さえてしまうから、こういうのは本末転倒だなあ、と思うわけです。
誰彼に、当たりそうでけっきょく的はずれのことをいってるかもしれませんけど、
孤独を懼れない単独性を保証し守って貰うために個にとっての「衆」(メディア)の意味があるのです。
だから。「● ・・・」以降のご意見は、私の言いたいこととかなりクロスします。
堀本 吟
コメントを投稿