《悠久》の介入と惑乱
田中裕明「夜の形式」について私がツイッターでつぶやいたこと
関 悦史
橋本直さんが『四ッ谷龍講演/田中裕明「夜の形式」とは何か』(私は行けなかった)の会場配布資料を一そろい送ってくれたので、週刊俳句のバルトーク等の動画ファイルとシンクロさせて読み込み中。
田中裕明「夜の形式」は、全てを持続の中に取り込んで文体の無何有郷を現前させてしまう吉田健一文体を用いてその逆の非現前の領域を構造ならぬ構造へと組み上げている文章であって、《夜の形式》は今後探究されるべき課題だと言われているわけではなく、この文章はこの文章だけで「宇宙の缶詰」の如く完全に完結している。
「日本の座敷は午すぎの外の光を障子からとりいれてはじめて、その明暗のあいまいさを時間の久しさに転化させるのだけれども、夜の形式と言ってよいかもしれない」の部分はこの文章の自己言及的解説であり、この文章の最初と最後の「時間の久しさ」が「ずいぶん昔」「ずいぶん前」として分離・遠景化されている局面は構造上《夜の形式》ではあり得ない。
《昼の形式》と《夜の形式》は背反的なものではなく、《昼の形式》である「バロック音楽」のような具体的な作品から、「(そのバロック音楽を)深夜ひとり机にむかって目瞑る男が書いた」といった、いわば無意識にあたる部分がその都度あらたに析出されるのが《夜の形式》であるというふうに考えてみることもできる。パロールとラングの関係のように。
「地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって(……)音楽をそういうふうに聴くこともある」というゲシュタルト崩壊じみた一節、これは「時間が逆流している」「(夜の形式は)時間と非常にふかい関わりをもっている」という部分と合わせて見ると、われわれがふだん数直線のように空間性に置換して認知しがちな時間というものを、パースペクティヴの中に整除することなく不定形な《夜》のままに《昼の形式》としての作品から析出するものが《夜の形式》であるといえて、《昼の形式》とは「日向があってそこに座りこんでいるような」と形容されていることからすると心身が具体性を伴って安定した空間の中に置かれた「今ここ」のことであり、《夜の形式》はそれ以外を指している。
この文章の最初と最後に出てくる「ずいぶん昔」「ずいぶん前」というフレーズは、田中裕明が昔こういうことを考えたという単なる実体験を指しているのではなく、《夜の形式》自体を指す。
つまり《夜の形式》とは非明示的に繰り込まれた「時間の久しさ」自体のことである。
以下は上田信治氏からの質問[おお! 《昼の形式》とは(…)「今ここ」のこと(…)《夜の形式》とは非明示的に繰り込まれた「時間の久しさ」自体のこと。/それだ! と思いました。その場合、最後の一文「いま手にしているのは夜の形式ではないようだ」の解釈はどうなります?]に対して…
当時の自作句への反省というよりは、この文章自体への自己言及と取りました。
説明のためとはいえここでは一応「ずいぶん前」と「いま」を分離して物語っているわけで、このように分離・整除された瞬間こぼれ落ちてしまうものこそが《夜の形式》なのであり、「地図を眺めていると自分が何を見ているのかわからなくなることがあって」などと非定型化している局面は一応《夜》ですが、時間的に「複雑なもの」が数直線化されてしまったらもうそれは違うものなのだという両方の局面をこの文章はパフォーマティヴに見せており、リニアー(線状)に整除された「いま」は、つねに必ず《夜の形式》ではなくなってしまう。
言い換えれば《夜の形式》とは、通常の時間とは別次元の《悠久》の介入とそれによる惑乱を影の如くに重ね持った或る状態なのだということを、この文章自体に体現させたということではないかと思います。
この文章は日常の時間と《悠久》の次元の双方に跨り、両方の次元を縫うようにして展開していて、そこがこの文章の(引いては田中裕明の)特有のわかりにくさの原因となっています。
最初と最後の「ずいぶん昔」「ずいぶん前」の部分は「時間の久しさ」を直接明示して日常秩序の側に突き抜けてしまっている。外側から《夜の形式》を指示しているわけで、このように位置関係が整理された瞬間、最初と最後の部分は《夜の形式》自体ではなくなってしまうわけです。
≫関悦史ツイッター
●
1 comments:
関連記事≫ 関悦史〔おんつぼ28〕ジョルジュ・エネスコ ピアノ四重奏曲第2番
コメントを投稿