〔俳句総合誌を読む〕
何時か何処かで誰かが 『俳句界』2010年4月号を読む
五十嵐秀彦
●ローカル線で行く! 日本列島名句めぐりの旅 p46-
俳句と風土というものは切っても切れない関係にある。とよく言われる。そのことを強調するあまり風土詠が妙にいやらしく見えてくることも多い。
たとえば、深谷雄大は、その作句モチーフの傾向から「雪の雄大」の異名を持つが、彼自身は北海道の風土詠俳人と言われることをひどく嫌っている。
おそらくそれは、「風土」と呼んでしまったときに、鑑賞の幅が狭められてしまうように感じられるからだろう。
そうは言いながら、今月号の「日本列島名句めぐり」の企画は、少し軽めの読み物として意外に楽しめた。
青森の寺山修司、奥会津の榎本好宏、秩父の金子兜太、浅草の久保田万太郎、金沢の泉鏡花、富士山の山口誓子、吉野の原石鼎、防府の山頭火、阿蘇の正木ゆう子、那覇の岸本マチ子など、けっして風土詠にとどまらない俳人・俳句がゆるく並んでいると、その奇妙な配列が作品そのものをかえって立ち上がらせているようでもあった。
●池田澄子 「残す。残る。」 p74-
《「俳句界」1月号の「話題の新鋭」で神野紗希さんが、俳句愛好家を増やしたいなら俳句の作り方よりも「俳句作品の魅力を紹介したほうがよい」と話していて、心強く思った》
確かにそのとおりと、私も共感してしまう。
しかし現実は「俳句の作り方」のほうが、道のど真ん中を肩をゆすって歩いているのが現状でもあるだろう。
それは俳句の作り方を知りたがる初心の人が多いからなのかもしれない。しかし俳句がある程度作れるようになってから「俳句の作り方」的な本を読むと意外と面白かったりするように、実は「作り方」は実作のうしろからついて来るものであって、実作の入口にあるものではないのだと思う。
《何時か何処かで誰かが、熱烈に俳句を作りたくなってしまう一句を、万が一作ることが出来たら、あぁ、どんなに嬉しいことだろう》
●第一回桂信子賞受賞 黒田杏子特別インタビュー p76-
桂信子賞とは、「桂信子を顕彰し、女性俳人の活動のさらなる発展を願って制定された」賞とのことで、その記念すべき第一回が今回黒田杏子に贈られた。
これは受賞者へのインタビュー。
短い内容であるが、黒田杏子節があちこちにあらわれていて、本人から直接言われているような気がした。
以下、その「黒田節」から三つばかり挙げておく。
《私は、勿論結社は大事と思うけれど、結社や協会を超えて、老若男女すべてが楽しめて、生老病死、喜怒哀楽、人生を詠めるのが俳句だと思うので、わざわざ狭い場所に閉じこもることもないし、狭い場所で争う必要も無い、と思う》
《お金を集めることがいけないとは思わないけど、お金を貰うことによる不自由もあるでしょ。一貫して結社は純粋な創作集団でありたいと思っています》
《俳人はすぐ自然と言うけれど、私はまず人間。人間に対する好奇心。それが世界や自然へと広がってゆく》
●第二回全国方言俳句入選作品発表 p170-
◎優秀賞
炉語りの一話みじかくどんどはれ 山本一史
方言俳句というから、全て方言で詠まれた俳句かと思ったらそうではなく、通常の俳句の中に単語として方言が読み込まれていて、それを方言俳句と呼んでいるらしい。
全部方言で詠むってことはできないのだろうかと、つい無理なことを思ってしまった。
2010-04-04
『俳句界』2010年4月号を読む 五十嵐秀彦
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