〔俳誌を読む〕
デザインは世界を変えるか? 『蒐』第4号を読む
さいばら天気
同人誌『蒐』第4号・翔の章(2010年3月)。季刊。編集発行;馬場龍吉。頒価900円。本文16ページと薄い。大きな特徴は、全ページがカラーであること。ていねいにアートワークが施されています。
表紙は色遣いを抑え、菫色と墨の2色。
目次は、ワンポイント的に写真を使い、おとなしい。
同人各氏、見開き2ページを担当。右に俳句10句、左は3段組でエッセイ。このページ(p8)は俳句の袖のあたりに、たまごの殻と黄身。
散文の左肩に地紋が敷いてある。
冬から春〔競詠〕のページが凝っている。右に5句、作者名なしで並び、左のページのまんなかに四角いドアのような切り込みがある。
ページをめくると、こうなる(↓)仕掛け。
全ページ・カラーが実現する背景には、近年の印刷事情がある。例えばプリント・オン・デマンド等、オールカラーを廉価にあげる方法がいくつか登場している。カラー、モノクロにかかわらず、関係各位に置かれましては、印刷製本コストはあらためて検討してみることをオススメいたします。結社・同人を続けるうえで、印刷製本コストの占める比率は大きいわけですから。
さて同人諸氏の俳句作品より1句ずつ。
みやこどり湯気立つものに胡椒振る 鈴木不意
猫柳風がふはふはしてきたる 馬場龍吉
刈り株に夜の来てゐる雁の声 菊田一平
ゆく年のパスタのひかりつつ巻かれ 中嶋憲武
松過ぎるこけしのやうな月上がり 太田うさぎ
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俳句の結社誌・同人誌は、会員・同人はともかく、それ以外の人たちには、なかなか読んでもらえません。どのように手元に届けるかという問題はありますが、届いたとしても、どれくらいの確率でページをめくってもらえるか。悲観的なことを言うようですが、発行している人もまた、きっと楽観はしていないでしょう。
会員・同人が読むだけなら、それは雑誌というより回覧板です。それが悪いというのではありません。回覧板機能を十全に果たすことも、結社誌・同人誌の大事な部分、根幹をなす部分です。
誌面のつくりは、どうでしょう。結社誌のメインとなるのは、主宰選のページです。結社誌が届くと、自分の句が主宰に何句採ってもらえたか、どの位置に掲載されたか、それを真っ先に見て、あとのページは、「まあ、気が向いたら、そのうち」という人も多いと聞きます。
同人誌はどうか。私が読ませていただいている同人誌は多くはありませんが、見ていて、大雑把に2通りがあります。内を向いていると感じる同人誌。外を向いている同人誌。
違いをはっきり感じるのは俳句以外の部分です。書き手や編集者が誰を読者として意識しているのかは、知らずと滲み出るものです。そのとき、成功と不成功、つまり内に言葉が届いているか、外に届いているかは、また別の話。志向の話をしています。
冒頭で申し上げた「会員・同人以外になかなか読んでもらえない」悩みは、「外」志向の同人誌には、切迫した悩みとなります。
さて、そこで、同人誌『蒐』です。
創刊号を私は、たまたま、代表の馬場龍吉さんから手渡しで、いただきました。私はページをめくりながら、「本文もすべてカラーですか」と、誰もが同じ反応をするであろう反応を返したように憶えています。すると龍吉さんは、「ただ出しても、なかなか読んでもらえないでしょう? だから」と、狙いを短く説明してくれました。
結社誌・同人誌の多くは似たような顔をしています。中身はもちろん百様百態でしょうが、ページをめくって内容にたどり着く人は、冒頭に述べたように、少ない。読んでもらうためには、何か特徴なり仕掛けが必要なのでしょう。
話は逸れますが、ダイレクトメール(DM)での広告宣伝に「オープナー」という用語があります。DMは開封率が1~数パーセントと言われます。いかにして封を切らせるか、それが「オープナー」です。例えば、封筒の透明の窓から優待券やボールペンが見えているパターン。それ欲しさに封を切るという行動を狙っています。
同人誌にもページを開いてもらう「オープナー」が必要かもしれません。『蒐』は、そこで、全ページ・カラー、きれいな誌面デザインという戦術を選んだわけです。
私自身は、本文の、墨1色というスタイルを愛します。『蒐』のデザインの風味は、私の好みにドンピシャというわけではありません。でも、『蒐』の採った「全ページ・カラー」というスタイルは、大いにアリだと思います。デザインに腐心する態度は正しい。
というか、誌面デザインに心を砕くことは、「読んでもらう」「オープナーの働き」「書き手にも読者にも気持ちがよい」といった効能よりも、さらに大きな意味をもつと考えています。
これはうまく伝えにくいのですが、どんなノリで俳句をやり、どんな読者に俳句が届いてほしいかといった根っこのところが、デザインにもあらわれると思うのです。
単純に言えば、なにかおもしろいことがしたいという欲望があれば、デザインも「なにかおもしろい」ものになってしかるべきです。その「おもしろさ」を感じ取れる人たちが、読者の核となります。
結社誌・同人誌の多くが同じような顔をしていると前に言いましたが、なぜ似ているのかといえば、どれも「年老いた」感じのデザインだからです。
俳句総合誌という商業的意図をもった媒体を含め、俳句雑誌はどれも、お年寄り向きの顔をしています。中心的な読者が高齢なのだから、それはそれで正しい。でも、それとは違う遊び方をしたいなら、デザインからして、違うノリを選択するべきでしょう。
【追記】
斬新な新聞デザインの話があります。結社誌・同人誌とは直接関係がありませんが、デザインが変われば、内容も変わり、どんな人に届くかも変わってくることがあります。
≫ジャチェック・ウツコは問う「デザインは新聞を救えるか?」
6分ほどの動画です。関心のある方はご覧になってください。
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2010-04-18
デザインは世界を変えるか? 『蒐』第4号を読む さいばら天気
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2 comments:
同人誌を限りある時間の中で作つてゐる身として、「君は手を掛けてゐるかい」とぐさりと問はれてしまつたやうで、おそろしい一文でした。「蒐」のあの窓、いやはやびつくりですね。読んでもらふ工夫、一つの手を思ひつきました。「里」五月号で試してみます。
恐縮していて、レスが遅くなりました。
「問う」なんておこがましいことは考えていませんでした。
俳誌が探る方向はいろいろあるんだなあ、というのが、『蒐』を拝見して感じたことでした。
(この記事、じつは写真に腐心。自分の机でシコシコとw)
「里」五月号を楽しみにさせていただきます。
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