林田紀音夫全句集拾読 117
野口 裕
雨傘の男女の帆触れ無音の他人
昭和四十一年、未発表句。「無音の他人」は言い過ぎかもしれない。しかし、すれ違う男女の傘が触れ合う一瞬に生じた幻影と、ただちにやって来た幻滅とを言い当てて面白い。
前年に「十七音詩」による発表が途絶え、昭和四十一年の定期的な発表媒体は「海程」のみ。発表句は、三十六句。未発表句が百三十六句。内包していた可能性を試すために、もう少し発表媒体を増やしておいた方が良かったのかもしれない。
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羽化の新聞ベンチの人びと流れ
昭和四十二年、未発表句。夕暮れ近くなった街。風に舞う新聞紙。人はただ地を流れる。
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狙撃の眼をして橋灯の朱に疲れる
耳を流れて夜の雨俘虜の傷疼く
くらがりの戦火に遠い男立つ
昭和四十二年、未発表句。百八十七頁下段、戦時の回想と思われる三句。彼の脳裏を離れないものを示している。最終句、「死者の匂いのくらがり水を飲みに立つ」(昭和四十二年「海程」発表、および第二句集収録)へと変貌したか。
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浴槽の藻が流亡の身に絡む
昭和四十二年、未発表句。この前、百八十七頁と書いたのは、二百八十七頁の間違い。
「不眠の夜藻のさざめきのいつよりか」は、昭和五十七年「海程」発表句。第二句集以後の収穫の一つだが、その淵源がこんなところにあった。
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罅だらけの街角デモは声に満ち
軍馬葬り生きながらえて釘を打つ
昭和四十二年、未発表句。ベトナム戦争がそろそろ人々の意識にのぼりかけた頃。デモ隊を見る口調は、傍観者たらざるを得ないが、反射的に自身の戦争体験へと回想が及ぶ。というような連想を誘う二句の並び。その裏にはぴったりと、「舌いちまいを大切に群衆のひとり」が貼りついているだろう。
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