【週俳6月の俳句を読む】
草のせいではないけれど ……田中英花
草笛となるまで草を替へにけり 中本 真人
これなら鳴るかも知れないと、今度はちょっと太そうな草に替えてみる。何度も何度も草を取替えている姿が見えてきて、その心境がよくわかる。
きっと、草のせいではないと思うのだけれど。
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水着絞ればキュルキュルと手を逃げる 松野苑子
泳ぎ終えたあとの水着を洗っていると、こんな感触があり、そこを句に詠まれているところがとても新鮮。タオル地や綿生地のように、手に馴染むものは絞りやすいが、それらに比べて、水の抵抗が少ないようにと考えられた水着の素材は、絞るたびに手からはみ出してしまう。はみ出した水着の形や色が見え、キュルキュルという音も聞こえてくる。また、その一方で、泳ぎのシーズンが終わる頃、夏が終わろうとする頃の、人の気持ちも見えてくるような気がする。
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来ぬバスを立浪草の凪と待つ 四ッ谷龍
「バス来ないですね」と、誰かに話しかけたいところだろうが、あいにく待っている人は他にいない。旅先などで本当にバスが来るのだろうかと、改めてバス停に貼ってある時刻表を見直しながら不安になったことがあるが、まさしくそんな気持ちだろうか?そんな不安をよそに、海は凪いでいて立浪草に心が安らぐ。来ないバスを待っている心情を、立浪草の凪によって、「まっ、もう少し待ってもいいか」とも思え、作者の気持ちに変化を感じる。
「来ぬ」「待つ」の言葉から、人の動作をいろいろと想像することができ、思いがひろがる。自分自身の昔の記憶にまでも繋がってゆくのが不思議なのだが、鼻の高かったバス、舗装などされていなかった道、バスから吐き出される煙と匂い、そんなバスのあとを追いかけて走っていた幼い頃のことまで、そんな日々を懐かしく思い出している。
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夕立のあたりより来る電話かな 茅根知子
蚊遣火のしばらく雨を待つてをり
一句目、今話している電話のむこうの夕立なのだろう。なんとなく遠い地からの電話を思う。もしかしたら、かつて作者が住んでいた地からの電話かも知れない。久しぶりの相手との電話、そのむこうから聞こえてくる夕立、作句の上で、音のあるものに音を重ねない方がいいと言われるが、この句の場合、夕立と電話のこえはむしろお互いを引き立たせているような気がしている。
二句目、「しばらく」の言葉から、この雨はたいした雨ではないと思われるが、作者は雨があがるのを待っているのだろう。外を降る雨に対して、室内にいる作者の視線が、小さな蚊遣の火、這う煙にそそがれているのがとても印象的である。
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ひやしあめをんなあるじの狐がほ 鈴木不意
時代劇にでも出てきそうな場面。事実だけを述べているのだが、「ひやしあめ」から想像をふくらませることができて、おもしろい。季語のよろしさ。
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水流のとどまるところ夏蝶来 五十嵐義知
堰のようなところかも知れない。ここまではどんどん流れてきた水であろうが、流れるとも、とどまるとも言えないところに夏蝶が来ている。堰をくぐリ抜けてゆく水の白さが見え、そこに夏蝶が見える。「夏の蝶」ではなく「夏蝶来」に、美しい揚羽蝶が過ぎって来る景を思うのだが。
■鈴木不意 はじめの 10句 ≫読む
■五十嵐義知 はつなつ 10句 ≫ 読む
■茅根知子 あくる日の 10句 ≫読む
■松野苑子 象の化石 10句 ≫ 読む
■四ツ谷龍 掌中 10句 ≫読む
■中本真人 ダービー 10句 ≫読む
■矢野風狂子 撃ち抜かれろ、この雨粒に! 10句 ≫読む
■灌木 五彩 10句 ≫読む
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2010-07-04
【週俳6月の俳句を読む】田中英花
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