超新撰竟宴シンポジウム名言目録 〔第二部〕
生駒大祐
【アフォーダンス】
ボールを持ったら「投げる」、バットを持てば「振る」など、動物がモノ≒環境によって意味を与えられること(例えば前の例の逆は自然にはあまり行われない)。ここでは、「俳句定型が人に何をさせるのか」というテーマを総括したことば。
関悦史●(事前に論者に聞いてみると)アフォーダンスをテーマにすると話があまり広がらないことが分かりました。
【二層構造】
ドゥーグル・J・リンズィー●自然の状態の生き物の生態の様子を書こうと。ただそれだけだと生態の説明になってしまうので、二層構造で裏には生態や生物自体のことを言って、表には文学がなければならないので、叙情を出したりとか色んな手を使って生態を知らない人でも良い俳句だなと思ってくれるように努力しています。
例:「竹の秋タカアシガニが構えてゐる ドゥーグル」という句はタケ・タカの音韻、カニの脚と竹の形状からの連想以外に、春先に植物プランクトンが増え、それがタカアシガニのいる深海に届くのは秋だということを踏まえている。つまり、竹の秋、竹の春という季語の持つ季節のズレを踏まえて竹の秋が出てきている。
【俳句的思想】
本号「2010年俳句世間の流行語大賞」にも取り上げられている「俳句に似たもの」論争。俳句であるかどうかよりも俳句的思想の有無の方が重要なのではないだろうか。
ドゥーグル・J・リンズィー●(現在の英語の俳句は)良いものは良い。立派な俳句がそこにはあります。作者が俳句だと言って、私もこれは立派な文学作品だと思うようなものは同じレベルにあると思います。俳句というかどうかは別の問題かもしれないんですが、俳句的思想を持った作品は英語圏にも存在している。
【間接性】
第二部のキーワードか。関悦史が多用した。
関悦史●肉体を表現するにあたって間接性・客観性や冷淡な姿勢みたいなものが挟まっているという点が柴田さんの特徴だと思うんですが、もうちょっと生でリアルな方向に行きたいという感じはありますか。→
柴田千晶●ただ生々しければいいというわけではなくて、生々しいものは官能小説も書いておりますので…。
関悦史●(小川軽舟は昭和30年世代に対して「型を重視する」と書き、外山一機はシミュレーショニズム、つまり切り貼りする題材・素材としてしか俳句を見ないというスタンスを取り、宇井十間は俳句以後の世界というシンポジウムを行い、山口優夢は新撰21世代をを叙情無き世代=せっぱつまった世代とまとめている)こういう全体から見えてくるのは要するに「俳句は今ここにない」という共通の認識が潜んでいると思うわけです。理想的な俳句は歴史のどこかユートピアにあり、それを求めてやっているという一種の間接性が挟まっている。
【私】
シンポジウムでは「私性」についての議論も盛んに行われた。
清水かおり●(普通は川柳を読んでも顔に結晶しないが清水かおりの句は違うという意見に)私は「私がいる川柳」を書いていると思います。
上田信治●(私性に関して)僕は読む人なんで、(150句選を行う中で)作品の中に私、私と声が聞こえた。小さな声の追い詰められた私というものがあるなあと、いっぱいあるなと思いました。(自分の私性は)考えたことがなかったですね。つまり現れるものだと思うんです、作品の中に。
【発句】
発句を単独で読むことが正岡子規によって提唱されて俳句が生れ、今日の俳句の世界が作られたわけであるが、豈では…。
高山れおな●豈の評論では発句的だというのは悪口なわけですよ。端的な悪口はこの句は発句の尻尾を引いているといったものなんですが、僕は(お手本が)なにしろ芭蕉と蕪村ですから自分の作っているのは発句だと思ってるんで、なにくそと思ってきましたね。→
関悦史●私も一応豈に所属させていただいているんですが、発句的というのが悪口だとは全然知らなかったですね…。(笑
【素朴】
①人為が無く、自然のままであること。
②かざりけがなく、ありのままなこと。
③考え方などが単純なこと
(広辞苑第五版より)
黒瀬珂蘭〔会場〕●(4番の『私性=ノーバディな私による「私」語り』とニューウェーブなどの短歌における私性について)従来言われているニューウェーブの短歌であるならば、また一世代前の話で、今の短歌における私というものがでるならば文体とか歌を書くという動機とかもしくは何を歌にするかという方向から出てくる私性であって、4番を見ると、何が句の核になるのかとか句に何のポエジーを見ているのかというようなところに詩性があると思うんですね。(まだ俳句における「私」の現れ方が素朴に見えるというようなことですか?)素朴、ですよね。
【可塑性】
解説は以下の用例を参照。
ドゥーグル・J・リンズィー●(英語ではなく日本語で俳句を書くのは)日本語は俳句を作るのに非常に優れた言語であると思うんですね。可塑性が高い。言葉を入れ替えても意味が通じる、だからある形にを嵌めやすい。また、「けり」とか「たり」とかちょっと字数が足りないから入れようといったこともできる。
【異界】
覗き込むもの。そうすることで何かが見えてくるもの。
上田信治●(150句選は作品を寄せ集めた中から帰納的に浮かび上がってきたというものなんですね)先に陣地とりをやってしまうと動かなくなってしまうので。(花鳥諷詠と高山れおなが並ぶというのが)アイデアです。(150句選の5項目目が「」(空項)となっているのは)収まらない句があるんですね。一句で全領域をカバーしちゃうような。自分にとっての俳句の理想みたいなもの。空っぽというか、穴がぽこっと空いてですね、関さんの用語でいうと異界が覗けたのかな。異界が覗けたときに人は自分の見たいものをみるんだなと。5項目目はこの年代の名句に入るような句かなという句。
【司会】
向き、不向きがあるらしいもの。
関悦史●(最後に)今日の個人的な感想としては、私は司会、本当に向いてなかったなと。(笑)
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2010-12-26
超新撰竟宴シンポジウム名言目録〔第二部〕生駒大祐
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