2011-10-09

商店街放浪記50 大阪・天王寺、あべの界隈(3) 小池康生

商店街放浪記50
大阪・天王寺、あべの界隈(3)

小池康生


明治屋である。

格調高き居酒屋である。
伝説的と言ってもいいのではないだろうか。

まるで知っているような書き方であるが、わたしはこの店に行ったことがない。

筆ぺんさんも、ペーパーさんも、九条DXも通っていたようで、やはり大阪の酒飲みには膾炙したところなのだ。

わたしは雑誌や本で、この店を記したものを何度か読み、憧れていたが、訪ねたときはいずれも満席で、滅多に足を運ぶ場所でないこともあり、明治屋未体験であったのだ。

大阪に戻ってすぐのときにも、「今度こそ・・・・」と足を運んだのだが、その時は、店がなかった。再開発事業の対象区画であり、店そのものが無くなっていた。

それで終わりかと思っていたのだが、今回の散策のなかで、あべのキューズモールの中に、出店していることが分かったのだ。

筆ペンさんや九条DXもそれを知り、興奮している。
二人は今回、集合時間よりも早めに来て、辺りを散策していたらしい。

「め・・・明・・・明治屋がありますよ」

冷静な筆ぺんさんが、興奮している。九条DXの分析は、

「地権者の入っている一画・・・」

そこには明治屋だけでなく、「正宗屋」もあり、こちらの店のファンも多く、わたしも「明治屋」に入れなかったときは、あべの交差点近くの「正宗屋」で呑んだ。カウンター席で厨房を見ていると、年配男性の板前さんというのか、従業員の手際の良さに感心したものだった。

なんでもない居酒屋のようで、魚も新鮮、庶民的な値段でありながら、店の中には活気や清潔感があり、くすんではいなかった。

そういう店であり、今回も、明治屋がいっぱいなら、正宗屋にしようと考えていた。

さて、明治屋である。

とうとう、この日がきたか・・・。

内心、わくわくしながら、別館的な位置付けとはいえ、モールの中に存在することに幾ばくかの不安を抱いていた。

移築したのか、再現したのか、昔通りの外観。












この看板が、なんとも言えず、味がある。

筆ペンさんが、店をのぞく。
どうやら、満席である様子。

予想通り、今も人気は変わらない。

「正宗屋で呑んでから、またのぞきましょう」

わたしは、正宗屋にも行きたかったのである。

その時、二人の客が出てくる。
それに続いてお店の女性もでてくる。

「何人?5人?ちょっと待って。入れるかもしれへん」

おや?熱心だな。

でも、満員なんだから2人出ても5人は入れない。
それくらいの引き算はわたしにもできる。

正宗屋のほうに歩いていたのだが、筆ぺんさんが追いかけてくる。

「なんか、席を作ってくれたみたいですよ」

満席状態から、五人分の席が完成したらしい。
どういうことだろう。
踵を返す。

明治屋に踏み込む。

姿形が無くなったと思っていた店に入れるのである。
関われないと諦めていた伝説に関われるような喜びである。

カウンターに5人分の席ができている。
しかも角。奥に二人、折れて三人。理想的な席である。

店員さんはが注文を聞きに来るが、ここでも積極的である。
色々とすすめられる。
ほどほどに注文する。

あたりを見回すと、びっしりと満員である。満員電車のようである。嘘。それは大袈裟であるが、かなりの賑わい。上品な客層である。

この店をリスペクトする人たちが、場所を譲りあいながら、呑んでいるという雰囲気。

ペーパーさんが写真を撮ろうとすると、

「写真、あかんよ」

店員さんから厳しい叱責の声。
店前での熱心な“お誘い”や注文を聞くときとはぜんぜん違う声である。

カウンターには、なんとも言えぬ雰囲気があるのだが、そこに料理人はいない。
店の奥に厨房があり、そこで酒や料理が用意され、運びこまれてくる。

なにか、微妙な違和感が生まれる。

憧れの店に入ったのだが、以前はどういう雰囲気だったのかと、興味が湧く。

ペーパーさんや、筆ぺんさん曰く。

「昔は・・・店員さんが表まで来て・・・呼び込むようなことはありませんでしたね」

明治屋経験済みの人間も、微妙ななにかを感じていたのだ。
オーダーを取るときの熱心さにも、わたしと同じ違和感を持ったようだ。

少し呑み、少し話し、河岸を変える。

店に出た途端、なにか、羽織を脱いだような感じになる。
どこか畏まっていた自分に気付く。
憧れの店に入れてよかった。良かったのだ。さぁ、次。

正宗屋に行こう。

「何人さん?」
「5人」
「奥に掛けてて。すぐ空くから」

小柄なおばちゃんは、明るく自然体である。

奥は小上がり。
テーブルが二つある。
隣り合う二人掛けテーブルには、サラリーマンが二人座っている。

案内されたテーブルは、4人がやっと。
ここに5人も座れない。
隣の2人が席を立たないことには、5人は座れない。

隣のテーブルは、料理がほぼ終わり、飲み物も空に近い。
「すぐ空くから・・・」
そういうことか。隣の席へのプレッシャーとして、わたしたちは存在するのだ。

5人を別々に座らせて、あとでひとつにするとか、そういう方法論はないらしい。

しかし、腹は立たない。
淡々と、にこにことエゲツナイことをするおばちゃんが、どうも憎めない。

長っ尻の二人を追い出す作戦に利用されているというのに、このおばちゃんの明るさはなんだろう。

意地悪そうにも、がめつくも見えない。フツーの大阪のおばちゃんである。

何を言っても目が笑っている。
天然系で明るい。

ただ、やっていることがエゲツナイ。

九条DXはデカイからだをもてあまし、近くの座敷にずれる。
注文している間に、隣の紳士二人は、勘定に立った。
おばちゃんの笑顔がなんとも逞しい。

隣のテーブルをくっつけ、5人がゆったり座る。
皆リラックスして、語りだす。
居酒屋に来ている気分だ。居酒屋に来ているのだ。

あべの天王寺界隈というのは、大阪人にとって、カジュアルな場所である。
わたしには学生のターミナルという印象が強い。

赤レンガさんは、大阪芸大だったので、天王寺駅は通学のためのターミナルであり、界隈は青春時代のデートコースだったようでもある。

現在の阿倍野は、大規模な再開発がなされ、ニューファミリー(この言い方も古いが)のための街ができつつある感じがする。

西北にくだれば、大阪芸人発祥の地、<てんのうじ村>があり、じゃんじゃん横丁や通天閣もあるのに・・・。

そういう街のそばにファミリー向けのニュータウンが生れつつあるのだ。

そういう再開発のなかで、居酒屋もモールのなかである。
筆ぺんさんは、職場の歓送迎会があり、途中退席。
美人新入社員が入ってきたらしい。嘘。でも当たっているかもしれない。

酒が進み、足も伸ばせる。
ペーパーさんは、小さなスケッチブックを取り出し、絵具までひろげる。
鞄のなかにこういうものを携帯しているとは。












絵も結構うまい。

皆がくだけていく。
阿倍野とはそういう街である。

しかし、昭和と平成では最も姿を違える街になるかもしれない。

晴れぬなら本屋に檸檬置けばよい   康生


                    

0 comments: