商店街放浪記50
大阪・天王寺、あべの界隈(3)
小池康生
明治屋である。
格調高き居酒屋である。
伝説的と言ってもいいのではないだろうか。
まるで知っているような書き方であるが、わたしはこの店に行ったことがない。
筆ぺんさんも、ペーパーさんも、九条DXも通っていたようで、やはり大阪の酒飲みには膾炙したところなのだ。
わたしは雑誌や本で、この店を記したものを何度か読み、憧れていたが、訪ねたときはいずれも満席で、滅多に足を運ぶ場所でないこともあり、明治屋未体験であったのだ。
大阪に戻ってすぐのときにも、「今度こそ・・・・」と足を運んだのだが、その時は、店がなかった。再開発事業の対象区画であり、店そのものが無くなっていた。
それで終わりかと思っていたのだが、今回の散策のなかで、あべのキューズモールの中に、出店していることが分かったのだ。
筆ペンさんや九条DXもそれを知り、興奮している。
二人は今回、集合時間よりも早めに来て、辺りを散策していたらしい。
「め・・・明・・・明治屋がありますよ」
冷静な筆ぺんさんが、興奮している。九条DXの分析は、
「地権者の入っている一画・・・」
そこには明治屋だけでなく、「正宗屋」もあり、こちらの店のファンも多く、わたしも「明治屋」に入れなかったときは、あべの交差点近くの「正宗屋」で呑んだ。カウンター席で厨房を見ていると、年配男性の板前さんというのか、従業員の手際の良さに感心したものだった。
なんでもない居酒屋のようで、魚も新鮮、庶民的な値段でありながら、店の中には活気や清潔感があり、くすんではいなかった。
そういう店であり、今回も、明治屋がいっぱいなら、正宗屋にしようと考えていた。
さて、明治屋である。
とうとう、この日がきたか・・・。
内心、わくわくしながら、別館的な位置付けとはいえ、モールの中に存在することに幾ばくかの不安を抱いていた。
移築したのか、再現したのか、昔通りの外観。
この看板が、なんとも言えず、味がある。
筆ペンさんが、店をのぞく。
どうやら、満席である様子。
予想通り、今も人気は変わらない。
「正宗屋で呑んでから、またのぞきましょう」
わたしは、正宗屋にも行きたかったのである。
その時、二人の客が出てくる。
それに続いてお店の女性もでてくる。
「何人?5人?ちょっと待って。入れるかもしれへん」
おや?熱心だな。
でも、満員なんだから2人出ても5人は入れない。
それくらいの引き算はわたしにもできる。
正宗屋のほうに歩いていたのだが、筆ぺんさんが追いかけてくる。
「なんか、席を作ってくれたみたいですよ」
満席状態から、五人分の席が完成したらしい。
どういうことだろう。
踵を返す。
明治屋に踏み込む。
姿形が無くなったと思っていた店に入れるのである。
関われないと諦めていた伝説に関われるような喜びである。
カウンターに5人分の席ができている。
しかも角。奥に二人、折れて三人。理想的な席である。
店員さんはが注文を聞きに来るが、ここでも積極的である。
色々とすすめられる。
ほどほどに注文する。
あたりを見回すと、びっしりと満員である。満員電車のようである。嘘。それは大袈裟であるが、かなりの賑わい。上品な客層である。
この店をリスペクトする人たちが、場所を譲りあいながら、呑んでいるという雰囲気。
ペーパーさんが写真を撮ろうとすると、
「写真、あかんよ」
店員さんから厳しい叱責の声。
店前での熱心な“お誘い”や注文を聞くときとはぜんぜん違う声である。
カウンターには、なんとも言えぬ雰囲気があるのだが、そこに料理人はいない。
店の奥に厨房があり、そこで酒や料理が用意され、運びこまれてくる。
なにか、微妙な違和感が生まれる。
憧れの店に入ったのだが、以前はどういう雰囲気だったのかと、興味が湧く。
ペーパーさんや、筆ぺんさん曰く。
「昔は・・・店員さんが表まで来て・・・呼び込むようなことはありませんでしたね」
明治屋経験済みの人間も、微妙ななにかを感じていたのだ。
オーダーを取るときの熱心さにも、わたしと同じ違和感を持ったようだ。
少し呑み、少し話し、河岸を変える。
店に出た途端、なにか、羽織を脱いだような感じになる。
どこか畏まっていた自分に気付く。
憧れの店に入れてよかった。良かったのだ。さぁ、次。
正宗屋に行こう。
「何人さん?」
「5人」
「奥に掛けてて。すぐ空くから」
小柄なおばちゃんは、明るく自然体である。
奥は小上がり。
テーブルが二つある。
隣り合う二人掛けテーブルには、サラリーマンが二人座っている。
案内されたテーブルは、4人がやっと。
ここに5人も座れない。
隣の2人が席を立たないことには、5人は座れない。
隣のテーブルは、料理がほぼ終わり、飲み物も空に近い。
「すぐ空くから・・・」
そういうことか。隣の席へのプレッシャーとして、わたしたちは存在するのだ。
5人を別々に座らせて、あとでひとつにするとか、そういう方法論はないらしい。
しかし、腹は立たない。
淡々と、にこにことエゲツナイことをするおばちゃんが、どうも憎めない。
長っ尻の二人を追い出す作戦に利用されているというのに、このおばちゃんの明るさはなんだろう。
意地悪そうにも、がめつくも見えない。フツーの大阪のおばちゃんである。
何を言っても目が笑っている。
天然系で明るい。
ただ、やっていることがエゲツナイ。
九条DXはデカイからだをもてあまし、近くの座敷にずれる。
注文している間に、隣の紳士二人は、勘定に立った。
おばちゃんの笑顔がなんとも逞しい。
隣のテーブルをくっつけ、5人がゆったり座る。
皆リラックスして、語りだす。
居酒屋に来ている気分だ。居酒屋に来ているのだ。
あべの天王寺界隈というのは、大阪人にとって、カジュアルな場所である。
わたしには学生のターミナルという印象が強い。
赤レンガさんは、大阪芸大だったので、天王寺駅は通学のためのターミナルであり、界隈は青春時代のデートコースだったようでもある。
現在の阿倍野は、大規模な再開発がなされ、ニューファミリー(この言い方も古いが)のための街ができつつある感じがする。
西北にくだれば、大阪芸人発祥の地、<てんのうじ村>があり、じゃんじゃん横丁や通天閣もあるのに・・・。
そういう街のそばにファミリー向けのニュータウンが生れつつあるのだ。
そういう再開発のなかで、居酒屋もモールのなかである。
筆ぺんさんは、職場の歓送迎会があり、途中退席。
美人新入社員が入ってきたらしい。嘘。でも当たっているかもしれない。
酒が進み、足も伸ばせる。
ペーパーさんは、小さなスケッチブックを取り出し、絵具までひろげる。
鞄のなかにこういうものを携帯しているとは。
絵も結構うまい。
皆がくだけていく。
阿倍野とはそういう街である。
しかし、昭和と平成では最も姿を違える街になるかもしれない。
晴れぬなら本屋に檸檬置けばよい 康生
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2011-10-09
商店街放浪記50 大阪・天王寺、あべの界隈(3) 小池康生
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