〔週俳9月の俳句を読む〕
大まかに描ける対象はそんなにいないから、これも愛なのだろう
江渡華子
おほまかに父は描かれ九月果つ 嵯峨根鈴子
小学校低学年の頃、兄が図画で釣りの絵を描いた。
兄と魚が画用紙の大半を占め、私と母が手前で笑っている。父が、奥で驚いた表情で描かれていた。
父はその絵が不満だったようで、「なんで俺が魚より小さいんだ」と怒っていたが、まぁ、主役は兄と魚なのだし、仕方がないと思う。
しかし、今改めて思うと、父親の描かれ方というのは、母親以上にイメージとして捉えられることが多い気がする。家庭にもよるだろうが、父親の立ち位置は第三者であることが多い。
母親に叱られているとき、母親に加勢するわけでもなく、子供の味方をするわけでもなく「まぁまぁ」と言ったり、進路等についても、深く口を出さない。テレビドラマや漫画等で描かれるスタンダードな父親はそのようなタイプが多い。
おなかを痛めて生んだ上、子供に接する機会が多く、感情の移り変わりを見る機会にも恵まれている母親に比べ、父親は一定の距離感を親子内でも持つ。その距離感が、父親をイメージ化させるのだ。
この句の父親は表情が見えない。おおまかに描かれる父に、威厳があまりないように見えるのは、「九月果つ」とあるからだろうか。父親までが秋の郷愁にとらわれ、寂しく小さく見える。
第228号2011年9月4日
■藤崎幸恵 天の川 10句 ≫読む
第230号2011年9月18日
■岡田由季 役 目 10句 ≫読む
■佐山哲郎 月姿態連絡乞ふ 10句 ≫読む
■井口吾郎 回文子規十一句 ≫読む
第231号2011年9月25日
■嵯峨根鈴子 死 角 10句 ≫読む
■赤羽根めぐみ 猫になる 10句 ≫読む
●
2011-10-09
〔週俳9月の俳句を読む〕江渡華子
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿