〔週俳9月の俳句を読む〕
句作濃く咲く
月野ぽぽな
芒原溺るるときのこと思ふ 藤崎幸恵
芒原の中に身を置いたときの感覚と海の中に身を置いたときの感覚はなるほど通じている、と思わせる。穂が風を受けてうねる様、その音、芒が覆いかぶさってくるほどの迫力に息が詰まる。たとえ個人が海に溺れた経験はなかったとしても人間の長い歴史のなかで集団として共有する無意識に保存されているその感覚が、芒原によって意識上に呼び出されてくるのだろう。
水中のペンギン速し秋に入る 岡田由季
ニューヨークセントラルパーク動物園内のペンギンコーナーはペンギン山から池の底までが見渡せるガラス張り。陸上ではよたりよたりと足付きがおぼつかなくてそれゆえ愛嬌たっぷりだが、そこは海鳥ペンギン、ひとたび水中に飛び込んだとたん、空を飛ぶ鳥のごとく鮮やかに進んでゆく。その違いに驚くのだ。それは秋の訪れを知る驚きに重なる。無理がなく且つ新鮮に。
上弦の月だよお尻が右だもの 佐山哲郎
新月から満月になるまでの半月、「上弦の月」は月の右半分が光り輝く。それが割れたお尻の右側だなんて、ふふ。—半月・はんげつ・ハンケツ・けつ・尻—。ユーモラスな発想とおちゃめな口語の物言いがしっかりマッチ。ちょうど今日(10月3日執筆日)は上弦の月だよ、だってお尻が右だもの。
子規の忌の禁煙延期軒の棋士 井口吾郎
個人の寿命よりはるかに長い寿命を今もなお生き続ける言葉という生命体の生々しくて瑞々しい深層心理の領域からその息吹を掬いとるかのような装置、回文。言葉の意味からの意志でなく音からの意志にじっと耳を澄ましてゆくと言葉達は思いも寄らないところに作者を連れていってくれる。遠くは「長き夜の遠の睡りの皆目醒め波乗り船の音の良きかな」から連なる回文文化。井口氏のクラフトマンシップを堪能。
教科書の死角に小鳥来てをりぬ 嵯峨根鈴子
教科書を目の前に両手で掲げ読んでいる子供の姿とその子供の目からは教科書の裏になって見えないところに小鳥が来ているという実景がまず浮かんでくるが、「教科書の死角」の措辞は、教科書に語られていない部分、歴史の闇のようなものを示唆しており、読み手の知識・経験の如何によって感受の仕方が多様になるだろう深みを掲句は携えている。
未練とは葡萄の味のするダイヤ 赤羽根めぐみ
「未練」と「ダイヤ」を見て、この終わってしまった恋愛は婚約もしくは結婚を通ってきたものだ推測。そしてこの未練、であるダイヤは「葡萄の味」がするという。感情のたかまりからそのダイヤに舌を。この少し狂気の混じった行為は人間の業の一景色と思えてくる。内容のわりにはドライな物言いにより、切なさの中に滑稽をふくませた粋な一句に仕上がった。
第228号2011年9月4日
■藤崎幸恵 天の川 10句 ≫読む
第230号2011年9月18日
■岡田由季 役 目 10句 ≫読む
■佐山哲郎 月姿態連絡乞ふ 10句 ≫読む
■井口吾郎 回文子規十一句 ≫読む
第231号2011年9月25日
■嵯峨根鈴子 死 角 10句 ≫読む
■赤羽根めぐみ 猫になる 10句 ≫読む
●
2011-10-09
〔週俳9月の俳句を読む〕月野ぽぽな
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿